日光東照宮がふと頭に思い浮かびました。
あの日光東照宮は築城のマニアだった藤堂高虎が初代造営奉行で、そののちに 江戸幕府の作事方大棟梁 甲良氏が大改修したものだそうです。
甲良豊後守宗廣も藤堂高虎と同じ出身地で、近江国の甲良というところです。佐々木道誉にも小堀遠州にも縁のある所です。
宮大工の家に生まれた甲良宗廣は、小堀遠州の父(伏見城の作事方)とも知己であったのかその頃伏見城にいた徳川家康の知遇をえます。
そして江戸幕府成立後の慶長9年(1604年)家康の命により甲良氏一族が江戸に赴き、作事方大棟梁に任じられます。
大きな仕事としては第3代将軍・家光の時に日光東照宮の大改修を任されたことでした。
初めに東照宮の建築を任されたのは藤堂高虎でしたが(秀忠の時)、其の後、家光が甲良宗廣に改修を命じたのです。
そこで、今私たちが見ることのできている日光東照宮が出来上がったのだそうです。
九里の祖が出ている『近江国御家人井口中原系図』のなかに、甲良氏、そして藤堂高虎も出ております。(廣宗は未確認ですが甲良氏は多数おります。藤堂は確認済みです!)
日光東照宮の彫刻を彫った、彫師のお話がいろいろと載っております! オススメです。
http://matome.naver.jp/odai/2140689555097197001
あの日光東照宮は築城のマニアだった藤堂高虎が初代造営奉行で、そののちに 江戸幕府の作事方大棟梁 甲良氏が大改修したものだそうです。
甲良豊後守宗廣も藤堂高虎と同じ出身地で、近江国の甲良というところです。佐々木道誉にも小堀遠州にも縁のある所です。
宮大工の家に生まれた甲良宗廣は、小堀遠州の父(伏見城の作事方)とも知己であったのかその頃伏見城にいた徳川家康の知遇をえます。
そして江戸幕府成立後の慶長9年(1604年)家康の命により甲良氏一族が江戸に赴き、作事方大棟梁に任じられます。
大きな仕事としては第3代将軍・家光の時に日光東照宮の大改修を任されたことでした。
初めに東照宮の建築を任されたのは藤堂高虎でしたが(秀忠の時)、其の後、家光が甲良宗廣に改修を命じたのです。
そこで、今私たちが見ることのできている日光東照宮が出来上がったのだそうです。
九里の祖が出ている『近江国御家人井口中原系図』のなかに、甲良氏、そして藤堂高虎も出ております。(廣宗は未確認ですが甲良氏は多数おります。藤堂は確認済みです!)
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