とあるダメ管理人の戯言日記

九里学園陸上部OBのダメ管理人の戯言集。
題名通りただの戯言。

年末 ~原点を思い出せる良い時期~

2008-12-26 14:15:00 | 戯言
訳あって今年最後のブログ(予定)です。
眼がやばいので…(笑)

女川の冬合宿。
正直に言うと、あれほど怖い合宿はなかったですね。
何故って…、凄いメニューがくるし天候は不安定と、夏合宿に比べると段違いで辛いです。
そんな合宿を自分もしてたんだなぁ…と、この時期になると思います。
ここまで嫌なイメージがあるなら「もう二度と…」って思うのが当然なんでしょうけど、私は寧ろ逆で、「ぜひ参加したい」と思っています。
不思議なものですね。内容が自身の好きな陸上競技だからでしょうか。
他の内容であれば絶対に参加したくないと答えるでしょう。

よく知り合いに、何で走るのがそんなに好きなんだ?と聞かれることがあります。
確かに、野球などに比べれば人気は今一つですし…
陸上をしていない人からしてみれば、「ただ走るだけ、投げるだけ、跳ぶだけ」といった印象なのでしょう。
そう考えれば、疑問に思われても不思議は無い様な有る様な…
でも、単に好きだから、それだけなんですよね。
陸上が好きだという事に理由付けする必要性はないですし、本当にただそれだけなんです。
ここ暫く練習は全くといって良い程してません。
それでも、陸上競技は好きであり続けたいと思います。
嫌いになってしまったら、もうキッパリと辞めてしまう他ありませんからね。

何かを失う衝撃の大きさ

2008-12-24 11:44:00 | 戯言
最近眼科に行ってきた。
というのも、妙に眼の奥がジワジワと痛む為。
診断の結果は「眼精疲労」。それも結構重いらしい…。
職業柄仕方ないと済ませれば良いかもしれないが、ふと
「失明したらどーするよ…」
なんて心の中で自問自答していた。

日々の生活で、突然何かを失うのは大きく響くものだ。
九里は私立校だから良いものの、一緒に合宿を共にしている学校は公立校。
指導者の本業はあくまで「教師」なので、嫌でも転勤しなくてはいけない時が必ず来る。
そういった面では私立校であるこの部活は恵まれていると思える。
この事例は以前にも書いたとおりだが、やはり普段考えない分、失った時の衝撃というのは大きい気がする。
とはいえ、改めてありがたく思えなんて言っても、普段生活している上でそんな事を脳裏に過ぎるのは本当に少数だと思う。
故に、ありがたみの実感も湧かなければ、何を言ってるのだと理解もしてもらえない。
内容的には難しいかもしれないが、改めて考えてほしいと思います。

(少し眼を労わるか…)

やっぱりか…と展開が読めた結果

2008-12-22 12:03:00 | 戯言
日曜日、高校駅伝を観戦していました。
いつもなら観戦しません。勝つ学校が決まっているからです。
でも今年は全く環境が変わった、という事もあり観戦してみようと思い、観戦していました。

今年から最長区間に留学生配置を禁止するルール下で行われたので、いつも勝っている学校はまず勝てないだろうと予想しながら見ていました。
やはり結果は男女共に初優勝でしたが、佐久長聖高が初優勝というのは意外だったので驚きました。今年で11年連続出場ですし、驚いても無理はありませんが。
男子に至っては、あの学校はやっぱり留学生を長い区間に配置しないと勝てないのか、そんな印象を受けました。
まぁそれでも上位に食い込むのは流石だなぁとは思いましたが。

いつか九里陸上部の様に地元の選手のみのチームが全国の舞台で優勝するのを見てみたいものです。

たった3年間だけなら狂気の如く取り組んでみる

2008-12-18 10:59:00 | 戯言
毎度の様に自論を展開しようと思う。
山形県には、「部活に入ることが半ば義務付けられている」学校が大半だ。もっとも、全国的に見ても「入学時に必ず部活に入部しないといけない」とする学校が大半を占める。
私は、この現在の部活の体制は如何なものかと疑問に思うことがある。
強制することなのか?と問いたい。
部活は基本的に3年間、この3年間を有意義に出来るかどうかは自身の気持ち次第だと思う。
本気で「これを極めよう」と入部する人間が、現在の半ば強制的に入部させるシステム下でどれ程いるのだろうか。
九里陸上部も例外ではない。
どんなに素晴らしい指導者がいても、生徒の方が「とりあえず」「仕方なく」「なんとなく」という具合ではお話にならない。
いっそ部活というシステムを取っ払った方が、生徒側が積極的に動くのではないだろうか? 何て事を考えたことがある。

既に準備されている環境下で練習を開始するせいか、ハングリー精神的なものが欠けている生徒が多いような気がする。
例えば、九里学園に陸上部が無かったものとしよう。
陸上競技をしたいと思う生徒がいるのであれば、学校に掛け合ってでも部活発足に必死になるだろう。本気で陸上競技部を作りたいのであればの話だが。
そういった生徒は、部活発足後の練習も自然と必死になれると思う。
しかし、既に陸上競技部が存在していて、ただ入部するだけの生徒はどんなものなのだろうか?
そう考えていくと、既に「陸上部が存在している」という環境自体が恵まれている事なのだ。
室内の部活であれば、既に体育館が存在する。学校の備品で、とりあえずは練習が出来る。
屋外の部活だって、グラウンドがあるのだから練習が出来ないという事は無い。
(九里学園のグラウンドは庭に近いが…)
九里陸上部の場合は、既に地元に競技場がある。最近に至っては、全天候対応にする為競技場を改修した。土の競技場でドロドロ状態での大会を経験することが無くなった。
恵まれている事は良いことでもあるが、その分失うものも多い気がする。
だからこそ、たった3年間を部活に所属していながら棒に振る生徒が絶えない。
これは九里陸上部だって例外ではない。
現在所属している生徒は全国という舞台を目指して、日々頑張っている事だろう。しかし、過去を見てみると実際辞めていった生徒がいるのも事実なのだ。

この3年間、それも恵まれた環境下にも関わらず「ただ所属しているだけ」という事ほど言葉に出来ない事は無いと思う。
たった3年間、気が狂ったかの様に取り組んでみてほしい。
人生の内の3年間、というと大袈裟かもしれないが、この必死になった3年間というのは後々大きい財産になる。
OBだからこそそう思う。


鏡に映る自分を改めて見てみる

2008-12-16 10:39:00 | 戯言
今でこそ、このブログで知ったかの様な事をずかずか書いているが、高校生の時、部活に在籍していた時にこんな事を書けるだけの事が頭にあったかと聞かれると、まずなかっただろう。
ここで偉そうに書いている事は、元部員が九里陸上部を中からではなく外から見た時に気づいた事を書いてるに過ぎない。
故に、卒業後に気づかされる事が多かった。
部活(学校)という柵で自身が守られている事だとか、1番必死になれていたのは部活の時だった事、逆に高校生活はだらけていた事などなど。
何時ぞや、「私は自分を客観的に見れる」などと言っていた政治家がいたが、こう言う台詞を吐く人に限って見れていないものだ。
性格を変えるのが並大抵では出来ないように、自信を客観視することも並大抵の事ではない。
あの政治家の場合、自身を客観視する事が本当に出来たのであれば、あんな無責任な辞め方はしないだろう。常識的に考えて。

高校(部活)に在籍している後輩達がこの「自身の客観視」が出来るようになったら凄い事になるのだろうなぁ。
なんて事を思った。
逆に言えば、他校の生徒でこんな事を出来るのであれば、一番の脅威になる。
自身を客観視出来るという事は、本当の意味で自信を見つめることが出来る。
良い所も悪い所も手に取るように把握することが出来る。
であれば、自分自身の改善策なんか次々と出して、その改善策を取り入れて練習し続ける。
ただ渡されたメニューをこなしている人が、今挙げた様な人を敵に回した時、どれだけの勝算があるだろう。

重圧が一番の敵?

2008-12-15 10:23:00 | 戯言
先週、仕事を終えて家でスポーツニュースを見ていると、競泳の柴田亜衣選手が現役引退の記者会見を報道していて驚いた。
何でも「度重なる怪我」と「金メダルの重圧で思うように結果が残せない」というのが引退の理由らしい。
私は怪我らしい怪我はしなかったので「度重なる怪我」の辛さは全くと言って良い程理解出来ていないが、「金メダリストの重圧」というのは何となくだが理解できる。
金メダリストなんて言われる選手は、「国内では勝って当たり前」の風潮が強い。
ましてやこういった重圧は相談できる相手は非常に限られている。
幾らコーチとはいえ、その「金メダリストの重圧」というそこらのプレッシャーとは違うものに対して、的確なアドバイスを与えることが出来るかというと、正直疑わしい。
「金メダルの重圧」というのは、金メダルを獲得した者にしかわからない重圧であり、試練なんだろうと思う。
柴田選手が引退する一報は、正直ショッキングなものでした。
まだ26歳という若さで引退する事にもショックでしたが、また日本スポーツ界を引っ張る存在が消えてしまうという寂しさを感じました。
出来ればもっと続けて! 何て言いたいですけど…
柴田選手も悩んで出した結論でしょうから、この言葉は軽率な言葉になってしまうんでしょうね。
残念で仕方が無いです。

高校アスリートでも、最終的に一番の強敵として立ち塞がるのは「自分自身」や「重圧」なのかもしれません。
少なくとも、私は「重圧」に負けた事があるクチです。
俺は、私は大丈夫と思っている人ほどそうなる場合があるかもしれません。
どんな小さな試合でも、好んで「重圧」を求められる選手は強いんでしょうね。
そんな選手見たことは無いですけど

万物共通の「起承転結」

2008-12-12 15:33:00 | 戯言
万物全て起承転結で成り立っている。
よく文章の推敲などで注視されるないようですが、これは万物共通のものだと思います。

起=目標を立てる 
承=計画を練る  (メニュー作成など)
転=実行・改善の繰り返し (練習など)
結=実現     (大会で結果を出す)

といった様に、何も文章だけに用いられる訳ではありません。
文章で起承転結の何れかが抜けると、文章構成が変になってしまうように、それぞれの行動もまたどれか抜けては成立しないのです。
(私はそう思ってます)
一番よい例がテストでしょう。
予習復習もせずにテストに臨むとどんな結果になるか。
…とはいえ、世の中広いものです。当然例外はあるでしょう。
それでも、世の中で何人の人がその例外に当てはまるか。
大半は当てはまりません。
必ず下準備をしなければ事が上手く事が進まないでしょう。

終わり良ければ全て良しなんて言葉がありますけど、そんな事は内容ですね。

感情とは共有されているもの

2008-12-11 12:58:00 | 戯言
毎朝駅に向かう際、最寄の駅ではなくわざと1つ先の駅を目指し15分程歩いている。
健康の為… でもあるが、歩く事そのものが好きと言うこともある為だ。

そんなある日、とあるポストを丹念に雑巾で拭いている郵便局の局員らしき人を見かけた。
次の日も、また次の日も、同じように磨いている所を目撃した。
あまりにも真剣なので、ある日、いつもより早めに家を出て話を聞いてた。
「郵便物を入れる際、郵便物が汚れては大変でしょう?だからこうして毎日磨いているんです」
と一言。
「それに、汚いポストに誰も入れたがる訳がないですからね(笑)。汚いよりは断然綺麗な方が気持ちいいじゃないですか」
と更に一言。
この人は郵便局員の鏡だ… そう感心しながら会社に向かった。

あの局員の場合、仕事だからというよりは「自分がされたら気持ちが良いから」という理由で、毎日ポストを磨いていた。
そういった考えは、自分も含めた現代の「若者」と呼ばれる世代には欠けているような感じを受けた。
あの一言で感心した、ということは、自分はそうではないのだろうと、恥かしい気持ちになる。
あんな人の様に自身もありたいものだと、つくづく感じた。

日本スポーツ界のクリーンさの崩壊秒読み

2008-12-10 11:41:00 | 戯言
国民体育大会、俗に言う「国体」と呼ばれる誰もが知っている大会である。
参加標準記録が設けられていて、かなりレベルの高い大会といえよう。

国体には、各競技、全競技の総合得点の2種類で天皇杯・皇后杯というトップの都道府県に与えられる賞がある。
しかし「賞」などとは名ばかりの賞で、有り得ない確立で「全競技の総合得点」で優勝を決める方の天皇杯・皇后杯は開催地である都道府県が高確率で受賞している。
その確立を算出したところ、天皇杯・皇后杯どちらも6~7割超になっている。近年に至っては、9割の確立で開催地である都道府県が受賞している。
あまりにも有り得ないだろうと思い少し調べてみた。

一般的なコメントでは、「特に開催県は多くの競技に参加できるよう何年も前から準備する。だから高確率で獲得できるのだ」などといっているが、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
そんな単純な理屈で出来る事ではない。1992年に、私の地元の山形で国体が行われた際も天皇杯・皇后杯両方獲得していた。
はっきり言って、山形県のスポーツのレベルでこの総合的な賞を獲得できるかと聞かれると、お世辞でも「取れる」と断言できない。寧ろ「絶対に無理」と決め付けても良いほどだ。

2002年の高知国体の際は、天皇杯・皇后杯は何れも東京が獲得、開催県獲得ではなかった。
しかし、その前年の2001年宮城国体まで、実に38年連続で開催地が天皇杯・皇后杯どちらかを必ず獲得している。
先程のコメントでこんな事がありえるだろうか?常識的に考えて有り得ない。事実山形県勢は、1992年に天皇杯・皇后杯を獲得し、次の年どうかと言うと惨敗を喫している。
天皇杯・皇后杯双方獲得するのならば、次年度も上位に食い込んでも良いだろうに、下から順位を数えたほうが早いという結末…。
ここまで有り得ないと、何か裏があるようで仕方が無い。うろ覚えだが、当時の高知県知事がそれまで行われてきた莫大な資金投入を拒んだのが原因だとかどうとか。
つまり、国体の度に莫大な資金を投入し、天皇杯・皇后杯を買っていたという事になる。
更には、某知人から聞いたが、国体に伴い選手が裏で引き抜かれたとか抜かれてないとか。
本当かどうかはわからないが。

スポーツは常にフェアプレイで、クリーンなものであるべきだと私は思う。
今回書いたように、実際にスポーツをしない側もクリーンに楽しむべきだと思う。
少なくても、陸上競技の部の天皇杯・皇后杯獲得県にばらつきがある様なので、まだクリーンなのかも知れない。が、実際わからない。
盛り上がればよいというものでもない。
仮に先程挙げたような事が本当に行われているなら、きっとスポーツの良さを知らない連中が企ててるに違いない。
何にせよ、この事実が日本のスポーツ精神のクリーンさをダメにするのは否定できないだろうが。

1番大事だが1番難しいこと

2008-12-09 10:39:00 | 戯言
休日に、「子供は褒めて育てるべきか、叱って育てるべきか」という内容でディベートをしているテレビ番組があった。
私は、どれが正しいなんて事は無いと思う。
見る番組も無かったので、暫くその番組を見ていた。内容を聞いていると、どうも詭弁ばかりに聞こえて仕方が無い。
他にも、「子供が嘘を付いたらぎっちり叱るか叱らないか」、「子供に『勉強しろ』と言うか言わないか」とか、違う内容でも詭弁に聞こえる。
全てのディベート参加者は、「一方的な意見」しか述べていない。
「相互理解も必要」という見解が全くとまでは言わないが、殆ど出てこなかった。

陸上競技というモノを教える際は、どうなんだろう。
自身も、後輩にアドバイスを乞われた事があったが、正直困ってしまう。
「教員」の様に、教えることを専門に仕事をしている人とは違い、「教える事が素人」の部類にいる私はどう教えるべきなのだろうと考えた。
まず、褒めるだの叱るだの結果を考えるのではなく、まずは会話から始めて、何故相手はこうしたのか、そういった工程で教えていくべきだと思う。
一方的に教える(押し付ける)のは誰でも出来る。聞かれた事を機械的に、様々な書籍に書いてある事を伝えれば良いだけなのだから。
しかし、「何故こうした?」と聞く指導者はどれだけいるだろうか?
私が知る限りでは、コーチや米子先生、あと合宿でお世話になった先生くらいだ。
尤も、「指導者」という立場の人たちと関わる機会が少ないという事もあるが、大会などの時他校のテントを通過する際、やたら一方的な指導者が多いと感じている。
相手が何を考えているか、この事を理解できないようじゃ教える事なんて出来やしないと思う。
まだ私もその類に属しているだろう。会話をしただけではそこまで他人を理解できないし。

部員同士でも同じことだ。
1つの目標、例えば「リレーでインターハイ出場」を掲げいくら頑張っても、互いを理解し合えないチームの結果なんか大抵予想がつく。
北京五輪の男子400mR日本代表のメンバーは、そういった点が世界でも勝てるだけのものがあったからこそ、メダル獲得という快挙を達成できたのではないだろうか?
ならば、いつも練習をしている仲間(部員)が、同種目・似種目・別種目だろうと関係なく、「チームワーク」を作る上では相互理解が必要不可欠だ。
以前、インターハイの1600mR準決勝で、大阪の清風高校の生徒が準決勝敗退した際、先輩に涙ながらに「すみません、すみません」と言っていた後輩選手の事を目にした、という内容を書いたと思うが、このチームはまさに互いを理解していたチームではないかと思う。

限界を決めた後程つまらないモノはない

2008-12-05 09:50:00 | 戯言
ニュースで、現在までの100mとフルマラソンの世界記録遷移から推測した「人類
の限界」を統計学で算出したアメリカの教授が語っていた。
何でも100mは9"48、フルマラソンは2時間00分47秒だそうだ。
限界を決めつけてはそれ以上は伸びない、そうコーチに指摘を受けた事がある。
何ともコメントに困るニュースだ。
これよりもまだ速く走る人は出てくると断言は出来ないし、逆に出ないとも言い
切れない。

まぁ何にせよ、やる前から決めつけるのもなぁと思う。
これは何に対しても言える事だろう。
始めから断定して事を進めるのは逃げでしかない。
やって出来ないなら仕方がないと言えば仕方ないのだろうが…。
それすらしないで「これが限界だ」と言うのは如何なものかと思う。
てはいえ、やはり限界というラインが万物全てに存在するのもまた事実。
こな限界のラインを如何にして拡げていくかを研究方が良い気がする。
何れにしても、大変興味深いニュースだった。

if

2008-12-02 15:05:00 | 戯言
ここの管理人は陸上部OBであることはご存知の事と思う。
陸上競技マガジンや月刊陸上競技などの情報誌を買った例がない。陸上部員のくせに。
とは言え、決して読まなかった訳ではない。
全て立ち読みで済ませていた。それも毎月のように。
本屋で実に3~4時間は平気で立ち読みをするという、何とも迷惑この上ない高校生であった。
しかし、これは別に情報誌に限った事ではない。
好きなマンガを我先にと買ったは良いものの、帰って直ぐに読むかと言うとそうでなく、寧ろ存在そのものを忘れて他の事を始めるというありえない事を平然とする。
つまり、極度に飽きっぽいという事。
事実、今も買って読んでいないマンガが数十冊あったりする有様だ。
そんな飽きっぽい自分が、よく「陸上競技部」を続けられたものだと、今思えば不思議で仕方がない。
自身からしてみれば奇跡的な事だ。今も走りたいと思えるのだから、純粋に好きなんだろうと思える。

前フリが長くなりましたが…

飽きた
その理由で辞めてしまうのは非常に楽だ。それは誰でもそうだと思う。
しかし、仮に辞めるとして、自身が辞めた結果周囲に与える影響は?と考える事が出来る人間と言うのは、高校生ではなかなかいない。
無論、社会人にもなってしまえば四六時中「責任」が付いて回る為、嫌でも頭で周囲の迷惑を考えてしまう。
私が在籍していた時にも、同期や後輩が辞めていったという事があったが、果たしてどんな気持ちで辞めていったのだろうと思う事がある。
先にも挙げたように「飽きた」などという理由なら殴ってやりたい所だが、まずそんな無責任な奴はいない、筈。

「もしも…」と考えてみて欲しい。
自分がリレーメンバーで、今大怪我をしてしまったらどうなるか。
風邪を患い、無理をしてでも部活に来たらどうなるか。
怪我をしていて、無理をして「大丈夫大丈夫」と部活中に言っているとどうなるか。

答えは色々あるでしょうけど、難しいと思います。
冒頭で挙げたように、自身のみの事であれば問題はありません。あくまで個人の問題ですからね。
でも、部活の一員という立場で考えたとき、同じような考えでいたらどうなるか。
まず間違いなくチームとしての機能は欠如してしまうでしょう。
そんなチームが勝てるかどうか、個人なら勝てるかもしれません。でもリレーは?
1人がどれだけ重要なのかを再認識してほしいと思います。「責任」というのはそうゆうモノなんです。
私自身も堅苦しくて、正直嫌ですけど、この「嫌」だって自身のわがままでしかないんですよね。

師、多忙の月。白い邪魔者が降ってくる月

2008-12-01 11:17:00 | 戯言
師走とはタイトル通り、昔の師(今で言うお坊さん)が忙しく走り回っていたと言う説が有力らしい。そんな一説のように、何だかんだで12月は忙しい季節である。
雪国の指導者と言うのは、そういった意味でもこの季節は大変なのだろうと思う。
「走る」「跳ぶ」「投げる」という練習項目が大幅に制約がかかってしまう雪国の指導者は尚の事。メニュー作りも容易ではないはず。

東京のグラウンドに雪が積もるはずも無く、今でも練習をしているところがある。
無論、サーキットも取り入れてはいるが、からっきしサーキットという訳ではなく、半分以上が走練習や投練習だ。
九里陸上部では絶対にありえない事だ。
雪が積もる東北では、走るという事自体が積雪の影響で制約されてしまう。
故に筋トレ中心になりがちになり、精神的に辛い時期と言える。
これは陸上に限った事ではない。東北地方の野球のレベルが、他地方に比べ低い部類にあるのはその為だと疑わなかった。
しかし、いつぞや北海道の高校が甲子園を2連覇してから考えは変わった。
雪の影響もあるし  そんなのは言い訳でしかない。
事実陸上競技を取っても、東北から優勝者・入賞者が幾人も出ているのは事実だし、必ずしも積雪の影響はあるにしても、それが致命的な要因とは言いがたい。
九里陸上部からは、当時高校歴代1位の記録で優勝した選手だっているのだから、やって出来ない訳では決してない。
この時期、この辛い時期を如何に過ごすかで結果が変わってくる。そういう事だと思う。
とはいえ、雪ははっきり言って邪魔者以外の何者でもない。
ただ見る分には「綺麗」で終わるが、スポーツをする側からしてみればたまったものではない。
雪かきの事も考えると鬱になる。
そういったハンデをモノともしない選手が、本当の意味で「強い選手」なのかもしれない。