プロゴルファーの杉原輝雄さんが亡くなった。
74歳だった。
以前から癌との闘病生活は知っていたので驚きはなかったが
「ああ、そうか、とうとう・・・」と感慨がこみあげ、しばらく仕事の手がとまってしまった。
個人的なお付き合いがあった訳ではない。
同じ関西出身だし、同姓と言うこともあってずっと親しみを抱いていた。
あの飄々とした笑顔とユーモアあふれる関西弁が大好きで
「直言居士」と言われる大胆で的確な発言にはいつも感心したものだった。
一度、各界のプロフェッショナルを招くテレビの対談番組にご出演願ったことがある。
ご挨拶と打ち合せを兼ねて宝塚のご自宅を訪れた際に
私が同姓であることを告げると・・・「きっと、ええ人なんやろな」とニヤリと笑われた。
番組の収録はざっくばらんな雰囲気で笑いにつつまれた。
よく「ゴルフ界のドン」などと称されるが、そんな傲岸不遜なところは微塵もなかった。
女性インタビュアーがちょっと緊張気味だと見るや・・・
「何でも聞いてや。何でも答えますよ。ただし下半身のことはアカンよ」
などと真面目な顔でおっしゃって、またまたスタジオには笑いがはじけた。
とにかく相手の気持ちを素早く忖度する「気配りの人」だった。
下積み時代のこと、自分のプレースタイル、若手ゴルファーへの苦言など
さまざまなことをお聞きしたが、何かの流れで当時の「校内暴力」や「家庭内暴力」の
話題になった時に、カメラに向き直ってこうキッパリと言われた。
「親や先生を大切にしない奴は生きている価値がない。生きていなくていい!」
もちろん冗談めかした言い方ではあったが、ハッとさせられた。
若者が荒れる背景や原因を「社会」に求める迎合的な風潮が多かった中
まさに一刀両断の一言だった。
私はゴルフに詳しくないから杉原ファンからはお叱りを受けるかも知れないが
あり余る「才能」の持ち主ではなかったように思う。
素人の私が見ても華麗なスイングとは思えなかったし飛距離も出ない。
コツコツと刻みながらショットやパットで帳尻を合わせていく地味なプレースタイルだった。
それでも160センチそこそこという小柄な体で驚くほどの練習量をこなし
身の丈に余る長尺ドライバーを駆使して青木や尾崎、中島たちに果敢に挑んで行った。
自分の戦い方を知ったまさに「プロ中のプロ」だったと思う。
2006年の「つるやオープン」では68歳10ヶ月で予選通過。(世界最年長)
2010年の「中日クラウンズ」では同一大会51年連続出場を達成。(世界記録)
いずれもがん宣告を受けて以後のことだからスゴイと言うしかない。
石川遼や池田勇太、松山英樹など若手の台頭が著しいゴルフ界。
しかし、杉原さんはそんな若いゴルファーにも常に苦言を呈しておられた。
「バンカーの砂でもフェアウェイのディポットでも、もっと丁寧に直さなアカン」
「悔しまぎれにクラブを叩きつけるなど言語道断」
「お客さんやスポンサーに感謝のないゴルファーはプロの資格がない」
「トナーナメントに出てやってるという態度の奴が多い。出させてもらってるやろ」
そして、若手を引っ張っていく立場にある中堅選手たちの不振を嘆いておられた
あの「ゴマ塩」頭の野武士のような風貌が
もう見られないのかと思うとやはり寂しさがつのる。
あの「いぶし銀」のようなプレースタイルは杉原さんの生き方そのものだったと思う。
つねに「生涯現役」が口癖だった。
私もそうありたいが、果たしてできるだろうか・・・
愛すべき頑固おやじを見送るような年の瀬である。
これからの人生において、こんな話をいっぱいポケットに詰めておきたいです。
関西人らしい気配りもいいなあ。
(サービス精神って言葉はキライ!)
ご冥福をお祈りします。
私も「気配り」に関しては負けないつもりなのですが・・(笑)
杉原さんもですが、本当に気配りの出来る人というのは「頭がいい人」なんですね。聡明さというのは結局、人への優しさにつながっていくような気がするのです。
そういう人間がドンドン減っている!(怒)
わざわざ教えて頂いててありがとうございます。
多分、親戚関係の子かなあとは思っていましたが
なにせ遠い子供の頃ですので・・・
雪降る山里とはどこのことでしょうか。
私の子供時代をご存じとはどなたでしょうか。
新年早々、悩みが増えました(笑)