「おだしと小麦の店」。
なんのこっちゃ。
そして、「羅臼昆布と帆立出汁マグロ節のせ 」という料理名。
一体全体、なんのことだし。
かつて、この店はラーメン屋「イサオ」だった。わたしは1年余り前に一度、お店を訪れている。だが、その時分から、魚出汁でとった極上のスープと麺はラーメンと呼ぶには程遠く、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師の言葉を借りると、それは「和そば」なのである。
その「イサオ」がリニューアルしたのは、この春。ふらいんぐふりーまん師のブログによると、「イサオ」は今春、一度店をたたみ、4月20日にリニューアルオープン。店名を「おだしと小麦の店 一三〇」に変更したという。
つまり、ラーメンではなく、出汁と小麦の麺に特化した店なのである。
いいじゃん。それいいじゃん。
本当にすごいよ。
モノを作るのは模倣が全てだと思い込んできた。けれども、リマニファクチュアともいうべき、この発想。これって目から鱗じゃないか。
ていうよりも、手段が目的化した現代で、「一三〇」の挑戦は、手段を手段として再構築しているようにみえる。
ラーメンに似たものをつくる、のではなく、プロセスを踏んでいったら、こうなった、みたいな。
恥ずかしながら、わたし半年前から、味噌汁作りに開眼し、煮干し出汁と鰹節、そして昆布による味噌汁作りにチャレンジした。
アメ横に行って、煮干しを買い込み、カタクチイワシをはじめ、アゴや鯛の煮干しを買い込んで、毎朝の味噌汁作りに精を出した。出汁によって、味噌汁の表情が違うのだ。コストと手間はかかるが、これがとても面白かった。
だが、この煮干し出汁味噌汁は僅か数週間で終わりを告げることになる。家族に、この味噌汁はすこぶる不評だったからだし。
味噌汁において「鰹だしに勝るものはなし」と言ったのは上沼恵美子だったか。いや、小林カツ代だったか。
そんな格言を聞かされ、わたしの出汁作りの日々は終了した。今は、様々な合わせ味噌を用いた味噌汁作りに勤しんでいる。
おっと、ついつい脱線。
「一三〇」の話しに戻す。この出汁作りの楽しさを、このお店のオーバーオールを着た若き店主が楽しんでいるのではないかと、カウンターに座ってわたしは考えたのだし。
背後のラックにはガラスの瓶に、まるでオブジェのように置かれている、煮干しの数々。
これすごいよ。マジで。
だってさ、冒頭に記した「羅臼昆布と帆立出汁マグロ節のせ」というスープばかりでなく、他には「サンマ節と鯛の煮干の出汁」、「カマス煮干出汁と鮭厚削り」などなど、様々な組み合わせのスープを作っているみたいだし。
この探求心。この男、まさにプロフェッショナル。
そんでもって、「羅臼昆布と帆立出汁マグロ節のせ」。
透き通ったスープはきらきらと昼下がりの陽光に照らされているよう。
白いもちっとした麺はなんと上品なことなのか。
この麺だって。なんだかすごいみたい。食べログに書かれた誰かの書き込み。
「キタノカオリ&ゆめちから&アヤヒカリ&南部地粉」。
多分これ、小麦の種類でしょ。
まずは、一口スープをすする。
なんと澄み切った味。近年、増加するマシマシ属ジロリアン科の輩にはこの味、分からないだろうな。
うまいよ。本当においしい。
化学調味料、一切無し。だからさ、ジロリアンには物足りないだろうな。
でもさ、人間、少し物足りないくらいがちょうどいいんだろうな。
したがって、絶妙。この麺だって絶妙。
あっさりだけど洒脱。奥深さ故の哲学。伝統にとらわれない清新さ。
落語家ならば古今亭志ん朝。プロ野球人だったら権藤博。
麺のキレともっちり感。そしてのど越し。するすると口に入っていくその感覚は、恐らく麺に不純なものがないっていう証拠かな。
我が町、北区豊島にある人気のラーメン屋「中華そば屋 伊藤」の麺に極めて似ている。
麺とスープを飲む手と口が止まらない。
できれば、京都人になって、定点観測でこの店をウオッチしたいところだけど。
1年に1回か2回くらい訪れる京都の楽しみの一つとしてとっておこうかなと思っているところだし。
1杯が800円。東京で800円は珍しくないけれど。この内容を考えれば安い!
ちょっとは見習ってくれよ。東京のラーメン店は。
食後の満足感が違うから。スープを飲む人の姿に五光が射しこんでいる。
しかし、出汁は凝り始めると、本当に旨い出汁を作りだすのは難しいよねえ。
俺なんか面倒だから、ただただ濃くしてしまって誤魔化してるけど、本当に旨い出汁は、「絶妙の濃さと絶妙の素材のブレンド具合を見つける。」ことにあるように思うからね。
その点、一三〇さんは、その絶妙な落とし所を数々の試行錯誤の上で見つけてきたんだろうなあと思う。
出汁も味も、濃すぎず薄すぎず、絶妙なところにあってすげえ美味いんだもんなあ。
ラーメン好きというよりも、蕎麦好きの人とか、和風の出汁好きの人、和食好きの高齢の方々なんかに強力におすすめできる店だと思う。
評価も普通だったよね。
「時として行きたい」みたいな。
正直、自分は毎日でも行きたいな。
今日は何かなってワクワクするよ。
食べるものを表現する人ってあまりいないから。食の安全も以前と比べて言われるようになったけれど、コストを抑える風潮だから、食べ物で訴える人は激減したと思う。
だけど、一三〇は様々な意味でメッセージを発していると思う。
だってさ、100mくらいのところに「天一」の総本店があって、理念が感じられないラーメン作りをしているのだから、これこそ、分かりやすい図式はないんじゃないだろうか。
並ぶ店は好かないけれど、応援したいお店。
京都に行ったら、マストな店だと思う。
なんつっても出汁が美味いし、より美味しい出汁をと探求することでクオリティーが上がっていくから、何度か行くうちに、ついには、たまにたまらなく行きたいなと思う店になったんだよね。
好きこそ物の上手なれっていうけど、あそこの店長は、ほんと出汁と小麦麺が好きなんだと思うよ。いつも新たな驚きがあるもん。
って事で俺もお気に入りの店なんだよ。
やはり、お店は一度の訪問では分からないね。
「一三〇」みたいなお店、東京にないかな。