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反省するけど後悔しない!

中学のガッコのせんせのことばとか

2017-05-20 | 四方山話
中学生活は、振り返ると、人間関係は上手にできなかったけど、

人生で一番勉強して(高校ちゃうんかいっていう)
それ以降の進路の指標になって
今でも心に残っている先生のことばに出会いました


社会の先生がなぁ、朝日新聞的な人でなぁ……
「戦時中、日本人は悪いことをしたんや!」
ってずーーーーっと言っていた人やってんけど
ヒダリマキマイマイな
高校の先生もそうやったけど
先生ってみんなそうなんかいな。


父が
「戦時中、日本が侵攻したところでは、ほとんど教育が行われていなくて、日本人が文字とか教えたんや」
って教えてくれて
だから、中国朝鮮は別にして、
それこそ、椰子の実が成りそうなアジアの辺りでは、親日の国があるのだとか

今でも日本語書けたり喋れるご老人いるんやって
自分の国の文字は書けんでも、日本語は書ける

それって、『アジア日本化計画』って授業で習ってんけど、
ちゃんとした教育をほどこしたって言えるよなって

お父さん、ありがとう

先生の話を鵜呑みにしていたら、日本人として、どこへ行っても肩身が狭く感じてしまうところやった
別に偉そうにするんと違うで
わびさびの心が日本人の機微や

わびさび
ってね、これは、茶道の初心者用の本に書いててんけど

わび:侘び=慎み
さび:らしさ
武士は武士らしく、町人は町人らしく、男は男らしく、女は女らしく
お手前がそれぞれに違うのは、それぞれのらしさに合わせた結果ですね


立場によってその人らしさを出し、相手を尊重し、認める
これがわびさびの心って書いてあった
、よ?(うろ覚え←)


そういう振る舞いを持っていれば、卑屈になることなく、堂々と外国へおじゃましていいのだと、思うことができました。
海外旅行したことないけど



てか、そんなマイナスな先生の言葉ではなく。



そよは、国語の先生と仲がよくて、
先生、ふたりいたんやけど、どちらの言葉も印象に残っています

ひとりはT先生。
「人生でな、絶対忘れられへん言葉に出会うよ」
っていう
予言のような言葉

そして、もうひとりD先生
「中学までは自動的に椅子が用意されているけどな、卒業したら、自分の椅子(いばしょ)は自分で確保せなあかんようになるねんで」
これはなぁ……本当に、さっそく高校受験から身に染みた
今も、染みてる
落ち着く日はくるのか……
しかし、至言である
己の椅子は己で勝ち取れ
そのための勉強であると教えてくれた

なにも試験を受けるためのものが勉強じゃなくて、
社会に出れば、立ち居振舞い、言葉遣い、気の持ちよう、全部勉強。失敗して修正して、次へ生かす。その繰り返し。
この言葉に、何度励まされたか。
居場所を作るのは自分の力でしか出来ない。がんばれって。

あと、東京オリンピックが決まってきてじわじわ実感しているのが、
「国際化やなんやっていってもな、海外の人が知りたいのは日本のことやねん。『枕草子』ってなに?って聞かれて、『わからん』て答えることがどれだけ恥ずかしいことか。日本語をちゃんと理解せな、外国人に伝われへんし、実は数学も理科も解けへんねんで。」

そうやんな。文章問題は日本語で書いてるんやから。


中学の修学旅行で長崎に行った時に、原爆の被災者の方の公演があってんけど、その時に
「海外で公演したとき、ある学生が『原爆を落とされたことについて、日本人はどのように考えているのか』って質問がありました。同席していた日本人の留学生が答えたのは『I don't know』――わかりません」
ていうエピソードを話されていて。
これは、恥ずかしいわ。って思った。
日本人が日本のことを知らん。これに危機感を持たんかったら、愛国心がどうのとか言ってる場合ちゃう。
良いところも悪いところも知って、知った上で、自国をどう思うか、それぞれにがちゃんと考えなあかん、と。



あと、大学で、言語学の講義を受けたとき、
「何語を話すときでも、まず、人間は母語を起点に考える。母語を翻訳して言葉に出す。」
ていう説に出会って

それなら、ちゃんと日本語を理解しなければ、そもそも外国語を学ぶ意味がなくなるのではないか、と。

同じ意味の言葉でも、強弱があって、受ける印象がガラッとかわることがある。
英単語はその度合いから学ぶけれど、
日本語って、そこまでやってる?国語の授業

母語やから、感覚でなんとなく使えるけど、ちゃんと理解してる?

って聞かれたら、私は堂々と「はい」とは答えられん。


今、小学生から英語の授業が導入されているんよね
でも、英語を学ぶなら、
小学生のうちは、「英語アレルギーにならん処方」くらいの程度で良いと思う。その代わり、日本語をきっちり教えこまな。
で、中学、高校では、ちゃんと語弊を生まない会話ができるよう、海外諸国の知識を深めながら、語学を学ぶ。って形にしないと。

ていうのが、私の意見。

でも、現実問題、小学校の先生で、どこまで日本語をただしく使えている先生がいるのかは、甚だ疑問かも。
だって、私の世代が今、中堅として学校の先生になっているのに、学生時代の教育は、「国語」も「英語」も中途半端やった。そのすぐあとの世代は「ゆとり世代」やし、
これで、次世代を上手く牽引できるのかな。

先生の言葉っていうか、先達の言葉は深い
そして、その言葉をもらったから、ここまで意識してこられた自分がいる

未熟やけど、わかっててできひんのと、わからんとできてへんのでは雲泥の差やねんな


学生の柔らかい頭と心には、訓示がどれだけ大切か
それに出会って、心に刻めたら、仕合わせ
学生じゃなくても、今からでも、もし、心に響いた言葉に出会ったら、大切にした方がいい


私はそう思う



そよでした


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