中学生活は、振り返ると、人間関係は上手にできなかったけど、
人生で一番勉強して(高校ちゃうんかいっていう)
それ以降の進路の指標になって
今でも心に残っている先生のことばに出会いました
社会の先生がなぁ、朝日新聞的な人でなぁ……
「戦時中、日本人は悪いことをしたんや!」
ってずーーーーっと言っていた人やってんけど
ヒダリマキマイマイな
高校の先生もそうやったけど
先生ってみんなそうなんかいな。
父が
「戦時中、日本が侵攻したところでは、ほとんど教育が行われていなくて、日本人が文字とか教えたんや」
って教えてくれて
だから、中国朝鮮は別にして、
それこそ、椰子の実が成りそうなアジアの辺りでは、親日の国があるのだとか
今でも日本語書けたり喋れるご老人いるんやって
自分の国の文字は書けんでも、日本語は書ける
それって、『アジア日本化計画』って授業で習ってんけど、
ちゃんとした教育をほどこしたって言えるよなって
お父さん、ありがとう
先生の話を鵜呑みにしていたら、日本人として、どこへ行っても肩身が狭く感じてしまうところやった
別に偉そうにするんと違うで
わびさびの心が日本人の機微や
わびさび
ってね、これは、茶道の初心者用の本に書いててんけど
わび:侘び=慎み
さび:らしさ
武士は武士らしく、町人は町人らしく、男は男らしく、女は女らしく
お手前がそれぞれに違うのは、それぞれのらしさに合わせた結果ですね
立場によってその人らしさを出し、相手を尊重し、認める
これがわびさびの心って書いてあった
、よ?(うろ覚え←)
そういう振る舞いを持っていれば、卑屈になることなく、堂々と外国へおじゃましていいのだと、思うことができました。
海外旅行したことないけど
てか、そんなマイナスな先生の言葉ではなく。
そよは、国語の先生と仲がよくて、
先生、ふたりいたんやけど、どちらの言葉も印象に残っています
ひとりはT先生。
「人生でな、絶対忘れられへん言葉に出会うよ」
っていう
予言のような言葉
そして、もうひとりD先生
「中学までは自動的に椅子が用意されているけどな、卒業したら、自分の椅子(いばしょ)は自分で確保せなあかんようになるねんで」
これはなぁ……本当に、さっそく高校受験から身に染みた
今も、染みてる
落ち着く日はくるのか……
しかし、至言である
己の椅子は己で勝ち取れ
そのための勉強であると教えてくれた
なにも試験を受けるためのものが勉強じゃなくて、
社会に出れば、立ち居振舞い、言葉遣い、気の持ちよう、全部勉強。失敗して修正して、次へ生かす。その繰り返し。
この言葉に、何度励まされたか。
居場所を作るのは自分の力でしか出来ない。がんばれって。
あと、東京オリンピックが決まってきてじわじわ実感しているのが、
「国際化やなんやっていってもな、海外の人が知りたいのは日本のことやねん。『枕草子』ってなに?って聞かれて、『わからん』て答えることがどれだけ恥ずかしいことか。日本語をちゃんと理解せな、外国人に伝われへんし、実は数学も理科も解けへんねんで。」
そうやんな。文章問題は日本語で書いてるんやから。
中学の修学旅行で長崎に行った時に、原爆の被災者の方の公演があってんけど、その時に
「海外で公演したとき、ある学生が『原爆を落とされたことについて、日本人はどのように考えているのか』って質問がありました。同席していた日本人の留学生が答えたのは『I don't know』――わかりません」
ていうエピソードを話されていて。
これは、恥ずかしいわ。って思った。
日本人が日本のことを知らん。これに危機感を持たんかったら、愛国心がどうのとか言ってる場合ちゃう。
良いところも悪いところも知って、知った上で、自国をどう思うか、それぞれにがちゃんと考えなあかん、と。
あと、大学で、言語学の講義を受けたとき、
「何語を話すときでも、まず、人間は母語を起点に考える。母語を翻訳して言葉に出す。」
ていう説に出会って
それなら、ちゃんと日本語を理解しなければ、そもそも外国語を学ぶ意味がなくなるのではないか、と。
同じ意味の言葉でも、強弱があって、受ける印象がガラッとかわることがある。
英単語はその度合いから学ぶけれど、
日本語って、そこまでやってる?国語の授業
母語やから、感覚でなんとなく使えるけど、ちゃんと理解してる?
って聞かれたら、私は堂々と「はい」とは答えられん。
今、小学生から英語の授業が導入されているんよね
でも、英語を学ぶなら、
小学生のうちは、「英語アレルギーにならん処方」くらいの程度で良いと思う。その代わり、日本語をきっちり教えこまな。
で、中学、高校では、ちゃんと語弊を生まない会話ができるよう、海外諸国の知識を深めながら、語学を学ぶ。って形にしないと。
ていうのが、私の意見。
でも、現実問題、小学校の先生で、どこまで日本語をただしく使えている先生がいるのかは、甚だ疑問かも。
だって、私の世代が今、中堅として学校の先生になっているのに、学生時代の教育は、「国語」も「英語」も中途半端やった。そのすぐあとの世代は「ゆとり世代」やし、
これで、次世代を上手く牽引できるのかな。
先生の言葉っていうか、先達の言葉は深い
そして、その言葉をもらったから、ここまで意識してこられた自分がいる
未熟やけど、わかっててできひんのと、わからんとできてへんのでは雲泥の差やねんな
学生の柔らかい頭と心には、訓示がどれだけ大切か
それに出会って、心に刻めたら、仕合わせ
学生じゃなくても、今からでも、もし、心に響いた言葉に出会ったら、大切にした方がいい
私はそう思う
そよでした
人生で一番勉強して(高校ちゃうんかいっていう)
それ以降の進路の指標になって
今でも心に残っている先生のことばに出会いました
社会の先生がなぁ、朝日新聞的な人でなぁ……
「戦時中、日本人は悪いことをしたんや!」
ってずーーーーっと言っていた人やってんけど
ヒダリマキマイマイな
高校の先生もそうやったけど
先生ってみんなそうなんかいな。
父が
「戦時中、日本が侵攻したところでは、ほとんど教育が行われていなくて、日本人が文字とか教えたんや」
って教えてくれて
だから、中国朝鮮は別にして、
それこそ、椰子の実が成りそうなアジアの辺りでは、親日の国があるのだとか
今でも日本語書けたり喋れるご老人いるんやって
自分の国の文字は書けんでも、日本語は書ける
それって、『アジア日本化計画』って授業で習ってんけど、
ちゃんとした教育をほどこしたって言えるよなって
お父さん、ありがとう
先生の話を鵜呑みにしていたら、日本人として、どこへ行っても肩身が狭く感じてしまうところやった
別に偉そうにするんと違うで
わびさびの心が日本人の機微や
わびさび
ってね、これは、茶道の初心者用の本に書いててんけど
わび:侘び=慎み
さび:らしさ
武士は武士らしく、町人は町人らしく、男は男らしく、女は女らしく
お手前がそれぞれに違うのは、それぞれのらしさに合わせた結果ですね
立場によってその人らしさを出し、相手を尊重し、認める
これがわびさびの心って書いてあった
、よ?(うろ覚え←)
そういう振る舞いを持っていれば、卑屈になることなく、堂々と外国へおじゃましていいのだと、思うことができました。
海外旅行したことないけど
てか、そんなマイナスな先生の言葉ではなく。
そよは、国語の先生と仲がよくて、
先生、ふたりいたんやけど、どちらの言葉も印象に残っています
ひとりはT先生。
「人生でな、絶対忘れられへん言葉に出会うよ」
っていう
予言のような言葉
そして、もうひとりD先生
「中学までは自動的に椅子が用意されているけどな、卒業したら、自分の椅子(いばしょ)は自分で確保せなあかんようになるねんで」
これはなぁ……本当に、さっそく高校受験から身に染みた
今も、染みてる
落ち着く日はくるのか……
しかし、至言である
己の椅子は己で勝ち取れ
そのための勉強であると教えてくれた
なにも試験を受けるためのものが勉強じゃなくて、
社会に出れば、立ち居振舞い、言葉遣い、気の持ちよう、全部勉強。失敗して修正して、次へ生かす。その繰り返し。
この言葉に、何度励まされたか。
居場所を作るのは自分の力でしか出来ない。がんばれって。
あと、東京オリンピックが決まってきてじわじわ実感しているのが、
「国際化やなんやっていってもな、海外の人が知りたいのは日本のことやねん。『枕草子』ってなに?って聞かれて、『わからん』て答えることがどれだけ恥ずかしいことか。日本語をちゃんと理解せな、外国人に伝われへんし、実は数学も理科も解けへんねんで。」
そうやんな。文章問題は日本語で書いてるんやから。
中学の修学旅行で長崎に行った時に、原爆の被災者の方の公演があってんけど、その時に
「海外で公演したとき、ある学生が『原爆を落とされたことについて、日本人はどのように考えているのか』って質問がありました。同席していた日本人の留学生が答えたのは『I don't know』――わかりません」
ていうエピソードを話されていて。
これは、恥ずかしいわ。って思った。
日本人が日本のことを知らん。これに危機感を持たんかったら、愛国心がどうのとか言ってる場合ちゃう。
良いところも悪いところも知って、知った上で、自国をどう思うか、それぞれにがちゃんと考えなあかん、と。
あと、大学で、言語学の講義を受けたとき、
「何語を話すときでも、まず、人間は母語を起点に考える。母語を翻訳して言葉に出す。」
ていう説に出会って
それなら、ちゃんと日本語を理解しなければ、そもそも外国語を学ぶ意味がなくなるのではないか、と。
同じ意味の言葉でも、強弱があって、受ける印象がガラッとかわることがある。
英単語はその度合いから学ぶけれど、
日本語って、そこまでやってる?国語の授業
母語やから、感覚でなんとなく使えるけど、ちゃんと理解してる?
って聞かれたら、私は堂々と「はい」とは答えられん。
今、小学生から英語の授業が導入されているんよね
でも、英語を学ぶなら、
小学生のうちは、「英語アレルギーにならん処方」くらいの程度で良いと思う。その代わり、日本語をきっちり教えこまな。
で、中学、高校では、ちゃんと語弊を生まない会話ができるよう、海外諸国の知識を深めながら、語学を学ぶ。って形にしないと。
ていうのが、私の意見。
でも、現実問題、小学校の先生で、どこまで日本語をただしく使えている先生がいるのかは、甚だ疑問かも。
だって、私の世代が今、中堅として学校の先生になっているのに、学生時代の教育は、「国語」も「英語」も中途半端やった。そのすぐあとの世代は「ゆとり世代」やし、
これで、次世代を上手く牽引できるのかな。
先生の言葉っていうか、先達の言葉は深い
そして、その言葉をもらったから、ここまで意識してこられた自分がいる
未熟やけど、わかっててできひんのと、わからんとできてへんのでは雲泥の差やねんな
学生の柔らかい頭と心には、訓示がどれだけ大切か
それに出会って、心に刻めたら、仕合わせ
学生じゃなくても、今からでも、もし、心に響いた言葉に出会ったら、大切にした方がいい
私はそう思う
そよでした