登山口のある剣山神社に着いたのは10時少し前であった。剣山は往復5時間の山なので、帰ってくるのは15時くらいになりそうだ。
神社の本殿の左に登山届けのポストがたつ登山口がある。
樹林の中の平坦な道を行くとすぐに林道と交差して、これを横切って緩やかに登って行く。道には石仏が点々と置かれている。登山口には一番と刻まれた石仏があったのだが、山頂まで続いているのだろうか。四国札所の石仏なら八十八まであることになるし、観音巡りなら三十三ということになる…などと考えながら歩いていった。
歩いて行くにつれて心配になってきた。道がちっとも登りにならないのだ。石仏が並ぶほとんど平坦な道が続くばかりである。もしかしたら、交差した林道が登山道だったのではないか、この道は何かの御堂へ行く参道なのではないかと思ったりする。
樹林の中でもあり、また霧で展望もきかないので周りの状況がまったくわからない。
緩やかに登っていって、樹林の途切れた笹原に着く。道がぬかるんでいて、そこに登山靴のような足跡が残っていた。この道でいいような気がした。(間違っていなかった)
山の斜面にぶつかって、これを右に捲いたが、すぐに急な登りになった。これで安心した。
でも、この急な登りはどこまでも続く。さっきまでは登りにならないといって心配していたのだが、今度はすごい登りにまいっているのだ。
道には笹が目立つようになって、岩がゴツゴツする急斜面をまっすぐに登って行く。登山口から1時間ほど登ったところに休憩できそうな小さな広場があった。ここが912mピークかと思ったが、まだ急登は続いているので、さらに先を急ぐことにした。
ここまで来て、いつの間にか石仏をまったく見かけなくなったことに気がついた。あの石仏の終点はどこだったのだろう、奥の院みたいなものがあったのだろうかと考えてしまった。
草の斜面の登りになったところで、樹林の途切れるところがあった。視界が開けたが一面の霧で、霧の中に樹林の影が霞んでいた。
ダケカンバの中を急騰してようやく平坦地に着いた。そこには「一の森906m」という標識があった。ここがガイドブックの912mピークのような気がするのだが、標高が少し足りない。ここには大山社という碑も置かれていた。
少し休憩してから、先に進む。平坦な尾根を少し行くと大きなスラブがあって、この右を下る。すぐにまた急な登りになって、息を切らして登って行くと大きな岩があった。これが蛙岩かとも思ったが、そうではなくて、この岩から5分ほど登ったところに「蛙岩」の標識があった。左の斜面に大きな岩がある。見方によっては蛙に見えないことはない。
少し平坦な道を行くが、再び急な登りになって、蛙岩から10分ほどで二の森に着いた。こで右に折れて、そのすぐ先に不動岩があった。登山道をふさぐように立つ大岩で、登山道はこの右を行く。平坦な尾根を行くと、行く手には岩稜がそそり立っていた。左側は居wの絶壁である。この垂直のような岩稜を登るのかと思ったら、登山道はこの右を捲いて行くのだ。樹林の中アップダウンを繰り返して登って行く。この頃から巨岩が目立つようになって、すごい巨大なスラブの基部を歩いたりするのだ。
木の根が網のように張り出した急斜面をロープにすがって登ったりして、二の森から20分ほどで三の森に着く。
このあたりは急な登りと緩やかな下りの連続で、全体としては登っているのだ。登山道は細い尾根の右を行くのだが、時々尾根の上に出ると、左はすさまじい絶壁になっているのがわかる。晴れていたらすばらしい展望なのだろうが、今日は霧で真っ白である。
三の森から10分ほどで、巨岩が重なる「母の胎内」に着く。以前はこの巨岩の細い隙間を通ったらしいが、今は右を迂回して登って行くのだ。
ここから岩の間の急な道を登って行くと樹林から抜け出して、二連の梯子がかかっていた。
なんかすごく緊張を強いられる垂直に近い梯子で、恐る恐るこの二連の梯子を越えると、その先に巨岩の壁があって、そこに再び二連の梯子がかかっていた。
梯子がちゃんと固定されていないようですごく怖かったが、この梯子を登りきったところが山頂であった。巨岩の上に錆びた宝剣がおかれている。この岩に少し下に岩棚があって、ここで休憩できる。その下はスラブが急角度で落ちこんでいて、腰を下ろしていても怖いのだ。最初は霧に包まれていて何も見えなかったのだが、少し晴れてきて登ってきた岩稜が一部見えた。でも、期待していた日高の山並みはまったく見えることはなかった。
山頂には30分ほどもいて霧が晴れるのを待ってみたが、あきらめて下るしかなった。
途中の岩稜から振り返ると、雲の間に黒い陰になった剣山山頂がちらりと見えた。
あとはひたすら下り続けて、一の森を過ぎる頃には、樹林の間からどこまでも広がる十勝平野が見えるようになった。下はそれなりに晴れているのだ。
どんどん下って、道が平坦になるところに石仏があった。これが登りでは最後になる石仏のようだが、まわりには何もなかった。
緩やかな下りは歩きやすくて、石仏の番号を数えながら下って、登山口に戻ったのは14時25分であった。
神社の本殿の左に登山届けのポストがたつ登山口がある。
樹林の中の平坦な道を行くとすぐに林道と交差して、これを横切って緩やかに登って行く。道には石仏が点々と置かれている。登山口には一番と刻まれた石仏があったのだが、山頂まで続いているのだろうか。四国札所の石仏なら八十八まであることになるし、観音巡りなら三十三ということになる…などと考えながら歩いていった。
歩いて行くにつれて心配になってきた。道がちっとも登りにならないのだ。石仏が並ぶほとんど平坦な道が続くばかりである。もしかしたら、交差した林道が登山道だったのではないか、この道は何かの御堂へ行く参道なのではないかと思ったりする。
樹林の中でもあり、また霧で展望もきかないので周りの状況がまったくわからない。
緩やかに登っていって、樹林の途切れた笹原に着く。道がぬかるんでいて、そこに登山靴のような足跡が残っていた。この道でいいような気がした。(間違っていなかった)
山の斜面にぶつかって、これを右に捲いたが、すぐに急な登りになった。これで安心した。
でも、この急な登りはどこまでも続く。さっきまでは登りにならないといって心配していたのだが、今度はすごい登りにまいっているのだ。
道には笹が目立つようになって、岩がゴツゴツする急斜面をまっすぐに登って行く。登山口から1時間ほど登ったところに休憩できそうな小さな広場があった。ここが912mピークかと思ったが、まだ急登は続いているので、さらに先を急ぐことにした。
ここまで来て、いつの間にか石仏をまったく見かけなくなったことに気がついた。あの石仏の終点はどこだったのだろう、奥の院みたいなものがあったのだろうかと考えてしまった。
草の斜面の登りになったところで、樹林の途切れるところがあった。視界が開けたが一面の霧で、霧の中に樹林の影が霞んでいた。
ダケカンバの中を急騰してようやく平坦地に着いた。そこには「一の森906m」という標識があった。ここがガイドブックの912mピークのような気がするのだが、標高が少し足りない。ここには大山社という碑も置かれていた。
少し休憩してから、先に進む。平坦な尾根を少し行くと大きなスラブがあって、この右を下る。すぐにまた急な登りになって、息を切らして登って行くと大きな岩があった。これが蛙岩かとも思ったが、そうではなくて、この岩から5分ほど登ったところに「蛙岩」の標識があった。左の斜面に大きな岩がある。見方によっては蛙に見えないことはない。
少し平坦な道を行くが、再び急な登りになって、蛙岩から10分ほどで二の森に着いた。こで右に折れて、そのすぐ先に不動岩があった。登山道をふさぐように立つ大岩で、登山道はこの右を行く。平坦な尾根を行くと、行く手には岩稜がそそり立っていた。左側は居wの絶壁である。この垂直のような岩稜を登るのかと思ったら、登山道はこの右を捲いて行くのだ。樹林の中アップダウンを繰り返して登って行く。この頃から巨岩が目立つようになって、すごい巨大なスラブの基部を歩いたりするのだ。
木の根が網のように張り出した急斜面をロープにすがって登ったりして、二の森から20分ほどで三の森に着く。
このあたりは急な登りと緩やかな下りの連続で、全体としては登っているのだ。登山道は細い尾根の右を行くのだが、時々尾根の上に出ると、左はすさまじい絶壁になっているのがわかる。晴れていたらすばらしい展望なのだろうが、今日は霧で真っ白である。
三の森から10分ほどで、巨岩が重なる「母の胎内」に着く。以前はこの巨岩の細い隙間を通ったらしいが、今は右を迂回して登って行くのだ。
ここから岩の間の急な道を登って行くと樹林から抜け出して、二連の梯子がかかっていた。
なんかすごく緊張を強いられる垂直に近い梯子で、恐る恐るこの二連の梯子を越えると、その先に巨岩の壁があって、そこに再び二連の梯子がかかっていた。
梯子がちゃんと固定されていないようですごく怖かったが、この梯子を登りきったところが山頂であった。巨岩の上に錆びた宝剣がおかれている。この岩に少し下に岩棚があって、ここで休憩できる。その下はスラブが急角度で落ちこんでいて、腰を下ろしていても怖いのだ。最初は霧に包まれていて何も見えなかったのだが、少し晴れてきて登ってきた岩稜が一部見えた。でも、期待していた日高の山並みはまったく見えることはなかった。
山頂には30分ほどもいて霧が晴れるのを待ってみたが、あきらめて下るしかなった。
途中の岩稜から振り返ると、雲の間に黒い陰になった剣山山頂がちらりと見えた。
あとはひたすら下り続けて、一の森を過ぎる頃には、樹林の間からどこまでも広がる十勝平野が見えるようになった。下はそれなりに晴れているのだ。
どんどん下って、道が平坦になるところに石仏があった。これが登りでは最後になる石仏のようだが、まわりには何もなかった。
緩やかな下りは歩きやすくて、石仏の番号を数えながら下って、登山口に戻ったのは14時25分であった。