すっかりブログをご無沙汰してしまいましたが、お蔭様で何とか元気です。
近況
一昨昨日は、朝起きると秋の気配に、今まで横になってばかりいたktempleもシャキットした気分になり、
家内に引っ張られて30分の散歩やラジオ体操をしたりで大分健康的な生活に戻りました。
9月は色々と行事があり、会が5つと、家内の2番目の妹の希望で運よく籤があたった
大相撲9月場所の見学や帝釈天の見物、家内の従妹の家への訪問、それに絵手紙講座もあったりで結構忙しくなりそうです。
水道技術センターOB会に出席
1日には、会出席のの1号として最後に勤めた水道に関する研究財団である水道技術研究センターのOB会に出ました。
このOB会の名前は「同心会」で、発足当時の事務所が東京の八丁堀にあった
東京都水道局さんの建物で、使っておられなかったのを事務所に使わせて頂いた事からです。
現在のセンターのオフィスは、虎の門にある立派な電機ビルの中にあります。
30数人の出席でしたが、やはり出席者の中の最長老で、挨拶と乾杯の音頭をとらされました。
センター発足時の仲間で出席したのは小生一人であったのと
ご一緒に仕事をした小生よりお若い元理事長お二人、常務理事お一人、部長お一人が亡くなっており残念でした。
センター出向の経緯とその後
50歳になった時水道技術研究センターが発足するので、希望するなら出向してはどうかとの話がありました。
会社では55歳になると管理職の大半は定年退職か子会社に移らされるのが一般的であり、
当時小生会社で4工場の研究開発の管理をしていた事もあり、水道の事は殆ど知りませんでしたが
研究財団の方が面白かろうと希望し出向しました。
その後会社は62歳迄定年延長をして下さり、62歳の4月にセンターのプロパーとなりました。
68歳になった時にはセンターの最年長者となり、更に多くの方は2年間の出向で交代する中で18年も勤めていたため
色々の会でもつい多くしゃべってしまうようになった自分自身を考えると
小生センターで老害になっているのではと心配になったため、理事長に退職を申し出ました。
すると「常勤を辞めるのは結構だが、非常勤で手伝ってもらいたい」と75歳までの非常勤辞令を出して下さいました。
非常勤になってからは、依頼がある時はセンター職員として外部の会議に出席したり、色々と調査した情報の提供などを行いました。
その結果在籍25年間とセンターでは例のない長期にわたり財団に席を置いてしまいました。
センター業務で特に楽しかったこと
センターでは、海外の水道関連組織との交流の仕事も担当しました。
その関係で特に思い出深いのは、神戸市さんと共催の国際シンポジウムの1,2回を担当したことで
海外講師の選定、シンポ開催時の事務、終了後講師の皆さんを京都にご案内をしたりしたため
海外の水道関係者と大変懇意になり、その後センター職員の海外出張の際色々と便宜を図っていただけましたし
小生自身の海外出張でも、幾つかの組織を直接訪ねてディスカスが出来たりで大変楽しい経験をしました。
その一例として米国のセンターと同じ様な組織であるAmerican Water Works Association Research Foundationにお邪魔したとき
会議の後会長と専務理事のお宅に招待してくださいました。
その後政府ベースの日米水質会議が日本で開かれた時にお二人も来日されたため
我が家にご招待して歓談できたという楽しい思い出もあります。
なお国際シンポジウムは、3年に一度開催され、千人以上の方が参加されており
また併催の展示会には一万人以上の方が訪れて盛会です。
またこの頃は横浜市さんとの共催の国際シンポジウムも加わり、横浜市でも開催されています。
終わり
近況
一昨昨日は、朝起きると秋の気配に、今まで横になってばかりいたktempleもシャキットした気分になり、
家内に引っ張られて30分の散歩やラジオ体操をしたりで大分健康的な生活に戻りました。
9月は色々と行事があり、会が5つと、家内の2番目の妹の希望で運よく籤があたった
大相撲9月場所の見学や帝釈天の見物、家内の従妹の家への訪問、それに絵手紙講座もあったりで結構忙しくなりそうです。
水道技術センターOB会に出席
1日には、会出席のの1号として最後に勤めた水道に関する研究財団である水道技術研究センターのOB会に出ました。
このOB会の名前は「同心会」で、発足当時の事務所が東京の八丁堀にあった
東京都水道局さんの建物で、使っておられなかったのを事務所に使わせて頂いた事からです。
現在のセンターのオフィスは、虎の門にある立派な電機ビルの中にあります。
30数人の出席でしたが、やはり出席者の中の最長老で、挨拶と乾杯の音頭をとらされました。
センター発足時の仲間で出席したのは小生一人であったのと
ご一緒に仕事をした小生よりお若い元理事長お二人、常務理事お一人、部長お一人が亡くなっており残念でした。
センター出向の経緯とその後
50歳になった時水道技術研究センターが発足するので、希望するなら出向してはどうかとの話がありました。
会社では55歳になると管理職の大半は定年退職か子会社に移らされるのが一般的であり、
当時小生会社で4工場の研究開発の管理をしていた事もあり、水道の事は殆ど知りませんでしたが
研究財団の方が面白かろうと希望し出向しました。
その後会社は62歳迄定年延長をして下さり、62歳の4月にセンターのプロパーとなりました。
68歳になった時にはセンターの最年長者となり、更に多くの方は2年間の出向で交代する中で18年も勤めていたため
色々の会でもつい多くしゃべってしまうようになった自分自身を考えると
小生センターで老害になっているのではと心配になったため、理事長に退職を申し出ました。
すると「常勤を辞めるのは結構だが、非常勤で手伝ってもらいたい」と75歳までの非常勤辞令を出して下さいました。
非常勤になってからは、依頼がある時はセンター職員として外部の会議に出席したり、色々と調査した情報の提供などを行いました。
その結果在籍25年間とセンターでは例のない長期にわたり財団に席を置いてしまいました。
センター業務で特に楽しかったこと
センターでは、海外の水道関連組織との交流の仕事も担当しました。
その関係で特に思い出深いのは、神戸市さんと共催の国際シンポジウムの1,2回を担当したことで
海外講師の選定、シンポ開催時の事務、終了後講師の皆さんを京都にご案内をしたりしたため
海外の水道関係者と大変懇意になり、その後センター職員の海外出張の際色々と便宜を図っていただけましたし
小生自身の海外出張でも、幾つかの組織を直接訪ねてディスカスが出来たりで大変楽しい経験をしました。
その一例として米国のセンターと同じ様な組織であるAmerican Water Works Association Research Foundationにお邪魔したとき
会議の後会長と専務理事のお宅に招待してくださいました。
その後政府ベースの日米水質会議が日本で開かれた時にお二人も来日されたため
我が家にご招待して歓談できたという楽しい思い出もあります。
なお国際シンポジウムは、3年に一度開催され、千人以上の方が参加されており
また併催の展示会には一万人以上の方が訪れて盛会です。
またこの頃は横浜市さんとの共催の国際シンポジウムも加わり、横浜市でも開催されています。
終わり