末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

信州の鎌倉 その10 安楽寺 その3 八角三重塔の外部

2014-01-30 16:42:14 | 
安楽寺で最後にご紹介するのは国宝八角三重塔です。

この塔は何度か見学していますが、何度行ってもその美しさに見惚れる塔です。

日本に残っている唯一の八角塔

八角三重塔は安楽寺背後の山腹にある鎌倉末期に建立された純粋の禅宗様建築の塔で

八角の塔としは日本に残っている唯一の貴重なものです。

このため長野県では一番早く国宝に指定されました。

八角の塔が日本で残っているのはこの塔だけですが、中国では塔は八角が通例です。 

禅宗は中国から中世に日本に入ってきた宗教であり、

安楽寺の開山、二世は中国に関係の深い方で

特に二世の恵仁さんは中国生まれであったことから

恵仁さんが故国の意匠を取り入れて造営したと思われます。

八角三重塔の外観

本堂左手の道を上っていくと、前方の見上げるようなところに、

八角三重の塔のすばらしい姿を見ることが出来ます。

林を通して見る八角三重塔

昼なお暗いような檜・杉の木立の中の坂道を、この塔を仰ぎながら上っていくと、

厳かで気高いものを感じます。

側に行って塔を見上げると、どっしりした落ちつきがある塔です。

近くから見上げた八角三重塔

塔横の山腹から見下ろした八角三重塔

頂上には相輪が聳え、各層の屋根の下には、

華やかな「木組〔きぐ〕み」がぎっしりと詰まっています。

それらが、この塔に何ともいえない上品さと華やかさを与えています。

塔は一見四重の塔に見えますが、実は建築学上、

一番下の屋根は裳階〔もこし=ひさしまたは霜よけの類)をつけた珍しい形式で、

正確には「裳階付き木造八角三重塔」で、略して「八角三重塔」と言っています。

建立年代は、調査の結果三重塔用材の伐採年代は1289年ということが判明したため

少なくとも1290年代には建立されたことが明らかとなったわが国最古の禅宗様建築です。

以下禅宗様式の特徴である木組みをみることにします。

禅宗様式を示す木組み

扇垂木(おうぎたるき)

扇垂木

屋根の下に張り出した垂木を見ると、皆扇の骨のように放射線状に外側に拡がっており、

これを扇垂木といい禅宗様式特有のものです。

なお垂木とは、屋根板,あるいは屋根下地材を直接支えるために,

棟から外周の軸組に斜めに架け渡された部材の事です。

詰組(つめぐみ)と弓形連子(れんじ)

詰組の様子

各層の屋根の下には、ぎっしりと木を組んであるのが見えます。

和様では組物は柱の上だけにあるのが普通ですが、

ここでは柱の上とその間にも入っており、いっぱいに詰まって見えます。

これを「詰組」といって、庇をできるだけ外に張り出すため工夫されたもので、

やはり禅宗様式の特徴です。

このような木組みがあるため、この塔の軒は思いきって外まで張り出すことが出来、

雨だれが塔の根元に当たることを防いでくれているのです。

その上に「木組み」そのものが美しい「工芸の美」となっています。

また上の写真の一番下に縦の線が見えますがこれは弓の様な形をした縦線で、

横に帯の様に並んでいます。これを「弓形連子」と言い

空気の流通をよくするための隙間になっています。これも禅宗様式です。

連子窓

一、二、三層には縁や手摺がありません。

また扉もなく二層・三層には窓が八つずつ開いています。

このような窓を「連子窓」といい、禅宗様式の建物に特別にあるものです。

連子窓


ご挨拶

実は今日小生82歳の誕生日を迎えました。

人生50年と言われた時代に生まれた小生ですが

今や男子の平均寿命は79.94歳と大幅に増え、しかも小生はそれを遙かに超す状態で、

ただ馬齢を重ねているだけで恥ずかしい思いです。

幸いなことにこのブログを書くことにとり皆様からの暖かいコメントを頂いたり

また皆様の素敵なブログを拝見させて頂き色々の知識を得たり

勝手なコメントを書かせて頂いていることが日々の生き甲斐の一つになっています。

爺さんこの頃ボケ出していますので、皆さんへのコメントがピントはずれであったり、

失礼な事を書くこともあると思いますが

「爺さんボケたな!」と言うことでお許しいただければ幸いです。

どうぞこれからもブログを通じてのご厚誼を賜りますよう宜しくお願い致します。

また我が家では家内が健康で、何でもてきぱきと処理してくれていますので

日々の暮らしが順調に行われており、家内に感謝です。


信州の鎌倉 その9 安楽寺 その2 経蔵と傳芳堂

2014-01-28 16:04:05 | 家内の実家
経 蔵

経 蔵
 

1784年宇治の黄檗山萬福寺から購入した一切経を保管するために建てられた

方3間の経蔵で、この種建物の代表的なものです。

経堂内部には輪蔵があり、その前には傅(ふ)大師が祀られています。

傳大師像と輪蔵

輪蔵は傅大師によって考案されたといわれる廻転式書棚のようなもので、

中心軸に沿って回転させることが可能な八角形の書架を設け、

そこに一切経を収納した形式のものです。

この経蔵を回転させると、それだけで経典を読誦したのと

同等の御利益が得られるものと信じられています。

なお輪蔵には古来から必ず傅大師をまつる習慣がある様です。

地蔵像

経蔵から次の傳芳堂に行く途中にある地蔵像です。

地蔵像

傳芳堂

傳芳堂

本堂の後ろにある傳芳堂には重要文化財の二人のお坊さんの像があります。

この寺の開山樵谷惟仙(しょうこくいせん)和尚と、

二世の幼牛恵仁(ようぎゅう えにん)和尚お二人の像で

木像の頂相(禅僧の肖像彫刻)としては古い例に属するものです。

中の和尚の像を撮ろうとしたのですが、光の加減で像の手前は何となく撮れますが

どうしても像全体は撮れませんでしたので、借用写真を掲載します。

撮れた傳芳堂内部

樵谷惟仙和尚の像

樵谷惟仙和尚の像

惟仙は木曽源氏の出といわれてり、鎌倉時代の中期、宋に渡って修学し

1246年友人であった鎌倉建長寺開山蘭渓道隆と同船帰朝して後、安楽寺を開いた人です。

この像は1329年に造られたものです。微笑をたたえた優しいお顔の中にも

学と行で鍛えぬいた凛然たる気風が漂っています。

幼牛恵仁和尚の像

幼牛恵仁和尚の像

恵仁は幼牛と号し、惟仙とともに来日して、安楽寺二代となった中国僧です。

この像も1329年に造られたものです。

惟仙像に比べ、この像はやせ型のつつましくも鋭い表情に造られています。


信州の鎌倉 その8 安楽寺 その1 黒門から本堂へ

2014-01-23 18:17:20 | 
別所温泉で泊まった翌日の散策コースは次のとおりでした。

安楽寺―常楽寺-大法寺-塩田の館―生島足島神社―無言館

コース順にご紹介することにします。

安楽寺 

安楽寺は禅宗としては鎌倉の建長寺と並んで

日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。

この寺の記録が見えてくるのは鎌倉前期からで、

建長寺の開山として有名な蘭渓道隆が別所安楽寺方丈に宛てた手紙に

「建長寺は鎌倉で、安楽寺は塩田で夫々100人、50人の僧の修行場となっている」

という意味の事を記しています。

この事からも安楽寺は鎌倉時代中期すでに相当の規模をもった禅寺であり、

信州学海の中心道場であったことが伺われます。

塩田北条氏の庇護によって栄え、多くの学僧を育てていたこの寺も、

北条氏滅亡(1333年)後は寺運も傾いて正確な記録は残っていませんが、

国宝八角三重塔をはじめ、重要文化財等数多くの鎌倉時代の文化遺産を蔵し

信州最古の禅寺の面影を残しています。

見学順

安楽寺境内の主要な建物等は下記の図の通りで、

今回は黒門ー弁天堂ー山門を経て上の方に上り

八角三重塔まで行きましたので、順次ご紹介します。

安楽寺建物等の位置図

黒 門

黒 門

安楽寺境内の入口になるこの門の扁額に見られる

崇福山は安楽寺の山号です。江戸時代の1792年に建てられた門です。

弁天堂

弁天堂

七福神のお一人で、音楽・弁才・財福・智慧のをそなえた

天女弁才天をお祀りするお堂です。

まだこのあたりは境内という感じがあまりしない所でした。

山 門

木立に囲まれた山門前の道
杉・あすなろなどの木立の中に見える階段と山門は

これから寺内に入るという感じを起こさせる風景です。


階段と山門

十六羅漢堂

十六羅漢堂

十六羅漢を祀るお堂です。

禅宗では、仏法護持の尊者として、山門の楼上又は羅漢堂にまつる習わしがあります。

なお羅漢は、煩悩を全て断滅して最高の境地に達した修業者で、

十六羅漢、五百羅漢等の尊称で親しまれています。


十六羅漢

十六羅漢と七尊の一部

四国八十八カ所礼所勧請仏の七尊

上の十六羅漢の写真の最後部にあるのが七尊です。

江戸時代の1693年に塩田組の庄屋が合議発願して、

村むらの勧募により、四国八十八カ所の礼所の尊像を京都の仏師に依頼して制作し、

塩田の寺堂に数躰ずつ勧請奉安し、居ながらにして身近な巡礼により、

四国八十八カ所礼所巡拝の功徳にあずかるようにしたものです。

鐘 楼

鐘 楼
  
1769年の建立で、和様・禅宗様の折衷様式からなり、

袴腰鐘楼(袴のような覆いのある鐘楼)としては、当地方最大級のものです。

江戸時代の古鐘は、太平洋戦争中に金属供出に供されましたので、

現在の鐘は昭和32年に鋳造されたものです。

鐘楼のアップ

本 堂

本堂

昔の茅葺き屋根の形そのままを残した落ち着きのある佇まいを醸し出しています。

本堂にお参りするお仲間達

ご本尊は釈迦牟尼仏(お釈迦様)。脇侍に文殊・普賢の各菩薩がお祀りされています。

本堂内部











楽しい湖柳会

2014-01-21 19:11:11 | 家内の実家
H家での湖柳会

湖柳会は諏訪市の湖畔の小さな町湖柳町に住んでいた旧制諏訪中学

(現在の清陵高校)の同期生11人の会です。

昨年11月に湖柳会の事や会が行われた事を詳しく書きましたが、

その時の会で決まった事で

11人の仲間でただ一人亡くなってしまったH君の奥様のご招待で

昨日H宅に常連の5組の夫婦が参加してマージャン会が開かれ

マージャンをしたり、H奥様手作りのお料理をご馳走になったりして

13時から21時までの9時間も楽しんできました。

一昨年12月にもこの仲間がH宅にご招待され楽しんだ事をブログに書きましたが

高級マンションの12階にあるこのお宅からの景色が素晴らしく

今回もダイヤモンド富士を眺めるのも楽しみの一つでしたが

残念ながら今回は昼間から富士は見えませんでした。

小生の下手な写真では、特に夕暮れ時の素晴らしさが示せず残念ですが

H家から眺めた景色を掲載させて頂きます。

H家からの景色

マージャンを楽しんだ応接室の外側2間半は普通は窓がある所ですが、

このお宅は床から天井まで大きな硝子が張り巡らされており

何の遮りもなく素晴らしい景色が眺められます。

左側の硝子

上の写真の様に正面だけでなく、側面も硝子になっており、

写真では見えませんが、この側面からスカイツリーがかすかにみえました。

右側の硝子

こちら側に天気が良いと富士が見えます。

中央部の硝子は桟など何も遮る物がありませんので、景色が丸見えです

上の写真の遠くのビル群は新宿副都心のビル群です.

上記の場所の夕暮れ時

来月もH家で湖柳会

今度はダイアモンド富士がみれる事を期待して、

また来月16日に再度H宅にお邪魔することになりました。

H奥様がお料理を作られるのは大変だと思うのですが

じつは奥様は今でも外部の社会活動を色々とされており

その関係もあって月に何度かパーティーを自宅で開かれており

別に大変ではないとおっしゃって下さっています。

それでもと次回は各奥様方が一品ずつ持ち寄ることにし

持ち寄る料理を幹事さんに報告し、

それを幹事さんがH奥様にご連絡し、H奥様が不足分を作って下さるという事で

H奥様の手を少しでも省くようにしようと言うことになりました。

来月がまた楽しみです。