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日々新たなり/日本語学2020

外延主義と内包主義

2021-12-02 | 日本語学21




論理の言語と言語の論理http://dep.chs.nihon-u.ac.jp › faculty › iida › doc
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しかし、論理を、もっと広く解釈することも十. 分可能である。「言語の論理」は、フレーゲやラッセルが論理とみなしたもの. だけに限られる必要はないし、まして、クワイン ...



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英語と日本語の窓ブログ 外延主義と内包主義
2018年 06月 06日
>内包主義は自然言語の文の論理形式は意味という概念に基づかなければ説明できないとする。一方、ラッセルやクワインたちの外延主義の人たちは文の論理形式は外延によって説明できるとする。
morning star と evening star はやはり感覚的に異なるのである。


1 コメント

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 (Maria)
2021-12-13 10:48:49
以前にも書いたように思いますが、今一度。
「明けの明星」と「宵の明星」は、どちらも外延としては金星なのでイコールである、という立場があります。ただ、問題になるのは「彼は明けの明星が宵の明星だと知っていた」が「彼は明けの明星が明けの明星だと知っていた」と同義だというのはなんとなくヘンだ、という気はします。まぁ、どちらも真ではあるのでしょうが。
そこで考えたのが、「物理的実在を、外延と考えることに無理がある」というアイディアです。すなわち、「外延とは、意味を引っかける釘である」と考えるとなんとなく腑に落ちます。
コンピュータで処理する際には「データベース・キー」というものが「釘」になり、そこに個々のデータが紐づけられる、という形になります。

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