Koyo劇

Koyo演や埼高演連西部B地区の活動のお知らせもしくは、旧Koyo劇顧問の戯言です。

『センチメンタル・アマレット・ポジティブ』との戦い

2014-05-12 16:11:56 | 日記・エッセイ・コラム

中間考査の部活動休止中だし

  すべての上演が終わったので『センチ』という作品に対する感想と、

  アンケートの感想とを交えて、思うがままに書いていきたいと思います。

  『センチ』は、20年近く前に、この西部でも多くの高校の演劇部が上演しました。

  それを繰り返し見ましたが、作品としてあまり私には伝わってきませんでした。

  それは、それぞれのシーンが唐突に始まる感じがして、

  それぞれのシーンがどうつながっているのか掴むことができなかったからです。

  特に谷川俊太郎さんの詩や、星の王子様とか、サン子やシローの長台詞とかがです。

  アンケートの感想では、下ネタが多いことと、3人が自殺するという終わり方に対して否定的な意見が多く出てくるだろうと思っていました。

  思春期真っ直中の高校生にとっては、ちょっと刺激的な台詞が多いのですが、

  でもこの作品は、そういう台詞を多数配しながらもそれぞれの登場人物のたちピュアな気持ちを表現したいのだろうと思います。

  だからこそ、20年前に多くの学校がこの台本を選んだのでしょう。

  逆に、愛とか恋とか語るのに、性のことを抜きにして語る方がウソ臭いような気もします。

  作品のすごく正直で、ピュアな姿勢を、下ネタが多いと拒否してしまうのは、もたいないなぁと私は思います。

 

  今回、台詞はほとんど台本通りに上演しました。

  カット(テキストレジ)もしませんでした。その上で、台本解釈をしていきました。

  それぞれの台詞をどういう気持ちを内包しながら語るのかということを検討していきました。

  たとえば、二子はイチ子の気持ち(イチ子がレズで前からニ子のことが好きだということ)に最初から気づいていたという前提で芝居を作っていきました。

  そうでないと、ニ子がシローのイチ子へのアタックを応援する理由がわからないからです。

  『階段の上の子供』という詩がどういう意味の詩で、なぜそれをシローが語るのかとか。

  でも、あちこちにエチュードで出てきた笑えるネタを、多少前後のつながりが不自然でもそのまま採用しているようなところもあるように思えました。(ニ子の「あんた私のこと~」とか)

  そういう検討を一通りした上で、役者たちには芝居全体の中で気持ちが自然に流れていくようにしていってほしいとお願いしました。

  私としては、この作品と出会ってから20年目にしてやっとこの作品を理解できたように思います。

  それはKoyo劇の役者たちが、登場人物の心の変化をしっかり作ってくれたからだと思います。

  だから芝居としてもそこそこうまくできたのではないかと思うのです。  

  でも、それに対する感想や意見があまりもらえなかったので、なんか気持ち的には宙ぶらりんな感じなのです。

  どうなんでしょうか。

1日遅れたけど、上P誕生日おめでとう!