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亡き竹馬の友へのレクイエム

2012-12-31 10:30:52 | 日記

 

暮れの27日、竹馬の友が旅立った。クラス会の会長が相談してきた。私はクラスメートに有志を募って代表して参列することを促した。あれから何の連絡もない。

私は彼の奥さんと息子さんを知っている。その理由は後述。人生の最終章。脳裏に藤村の惜別の歌が、特攻隊の兵士が歌ったダンチョネの三途の川原で仲間が相撲を取るのメロデイーが浮かんできた。

早速、香典を封筒に収め、レクイエムの文を添えて投函した。

前略ごめんください。

鑑みますと、君には太平洋戦争に敗戦色が漂っていた昭和20年4月、ともに県立Y学校に入学、戦後を経て学校は高等学校になりました。そして26年3月の卒業まで6年間を一貫して学びました。卒業したクラスメートはチリジリバラバラになりました。

私は関西へ、君は東京へ就職、夜学に学びましたそれから幾星霜共に業成して故郷へ還ってまいりました。卒業以来疎遠となっていた我がクラスは16年前に卒業後の初のクラス会を開き共に郷関を称え合い友の絆を確かめ合いました。爾来クラス会は今年まで毎年続いてきました。我が故郷には遠崎の町に幕末の詩僧月性の寺の石碑に「男児志を立て郷関を出ず、学若し成る無くんば復(また)還らず」刻まれ、藤村は「遠き別れにたえかねて、この高楼に登るかな、悲しむなかれわが友よ、旅の衣をととのえよ、別れと言えば昔よりこの人の世常なるを、流るる水を眺むれば、夢はずかしき涙かな。と歌っています。

君がクラス会長のK、とM、E.K、O、I、N.Y達、既に不帰となったY、F君がバレーコートで汗と土埃にまみれながら練習している姿。私はテニスコートから垣間見ていました私。後衛で守る君は汗で体躯が右へ、左と活動していました。その雄姿が今でも目の前に浮かんでまいります。

クラス会開催は欠かさず参加し、最近は病のため御子息あるいは奥様連れ添われてれ参加されておりました。思えばまさに郷関の喜びを共にしていたのでした。今、まさにクラスメートは藤村の惜別の思いに浸っています。これはクラス会一同の共感でもありました。

男性の平均寿命79歳といわれます。彼は平均寿命を達成しました。残ったクラス員も、そろそろ君の後を追って鬼門に向かう時期がまいりました。

学業半ばで戦争は終わり、軍国少年は戦争にはいきませんでした、その少年が成長して酒席で歌う特攻隊員のダンチョネ節

 “俺が死んだら 三途の河原に鬼を集めて相撲をとる” お互い三途の川原でみんなが顔を合わせて相撲をとりたい。今は亡き君の御霊の前に合掌致します。

   24年12月29日                                     

クラスメートT.O

 

Y.H様御霊に