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近畿財務局元職員赤木俊夫氏と芥川龍之介侏儒の言葉から

2021-06-24 15:47:03 | 日記

2021.6.24

近畿財務局元職員赤木俊夫氏の自殺について

 私は、長年下級公務員生活を続け、組織の中において数々の矛盾を経験して昇進して管理職に上り詰めた。

かつての長い公務員生活は30年前のこと今は「終わった人」の存在で過去を語らないことにしていたが、数年前、近畿財務局の森本学園問題。話題の渦中、故赤木氏が上司から公文書変造を命じられて、変造した。彼はそれを苦にして悩み欝症状に陥り自殺されたというか悲しい事件を検証したい。

問題点 彼は近畿財務局の職員だったということは、国彼が国家公務員法の定めた国家公務員であったから当然公務員としての服務規程が定める、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならなかった。

下級公務員の地位のものが上司の命令に批判を加えたり、命ぜられた行為を否定する余地はなかったし、変造したことを一人苦しみ悩むことはなかった筈である。

このことは、かつて公務員上級管理職を経験した私は、若い時分から文学に親しみながら数々の矛盾を経験してきたが、妻子あるもの、あえて芥川龍之介の侏儒の言葉を胸に矛盾と戦ってきたし死を決したことはなかった。芥川龍之介の「侏儒の言葉」を紹介し旧軍事組織を現代の公務員(国家、地方)組織の地に置き換えて比較した。

 理想的兵士(下級公務員)は、いやしくも上官(上司)の命令には絶対服従しなければならぬ

絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。すなわち理想的兵卒(下級公務員)はまず理性を失わななければならぬ。と説き、さらに、理想的兵卒は(下級公務員)いやしくも上官の命令には絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち、理想的兵卒は(下級公務員)はまず無責任を好まなければならぬ。と教示している。

赤木氏に文学的思考があったなら、上司の命令が違法であっても芥川の思想の恣意が存在していたら

 無責任を貫きとおせただろう。死ぬくらいの勇気があれば、上司の無理難題を他の場所で暴く方法があったのではと同情をやまない。

男が家族を養うのだ、自分一人ではないのだ。少しのエゴがあってもだれも文句を言わない。家族の幸福を、妻子を苦しめない他に生きる方法があったのではと素朴な世界観があったらと残念でならない。


バレンタインデイのチョコを頂いて

2021-03-05 15:36:05 | 日記

バレンタインチョコを頂いて

私は、今年2月1日米寿、88歳の誕生日を迎えた。70歳を古希というが、我が属するシニア・テニス・クラブメンバーの年齢層は男性34名中80代が8名24パーセント。女子に至っては36名中19人で53パーセントが古希をお迎えになったミセスである。ジェンダー・フリーの時代、長寿社会と健康寿命が延びた今日、私は彼女たちを「婆ちゃん」とか、「おばさん」と呼んだことはない。姓に敬称を付けるか、またはお姉さんと呼んでいる。この年齢、お顔と名前が一致しないときはすべて彼女たちを「お姉さん」と呼ぶと笑顔で快い返事が返ってくるし、彼女達には大うけのようである。

2月14日は聖バレンタインの日。憎からずの仲?ある御方からチョコレートを頂き嬉しかった。男性の平均寿命をとっくに超えてもう黄泉の国を流浪していてもよい年嵩。このことから始まる私の追想日記。

バレンタインデイは、AC269年2月14日、殉教したローマ司祭バレンタインの記念日。女性は、この日に愛する人へ贈り物をする。日本には1985年(当時私は20代の下積み職)より菓子業界は、男女の愛よりも菓子販売の業績拡大のため、聖バレンタインを利用して来た。以来、バレンタインには愛する男性への贈り物以外に義理チョコなる慣習が盛んになった。リタイヤー後、終わった人となっている私には縁のないものになっていた。

遡れば、下積みを経て職場に若く華やいだ女性を持つようになって職掌柄?この日には義理チョコを頂戴していた。

Aftere40年、若かく華やいでいて溌溂した20代の彼女達たちは、シニアテニスのレデイーたちは今日のテニスメートと同じ世代の筈、思えば、当時の美女たちはこの日、私のデスクの前にきて「課長!机の引き出しを開けてください」。と命令、   私は机の引き出しを開けた。すると、彼女たちは,すかさず手にていた義理チョコの包みを引き出しの中に入れた。義理チョコとは知っての上でも頂いたチョコは嬉しくも楽しく高揚したことを懐かしく思い出した。

あの日から幾星霜、私も彼女達もお互い年を重ねお互い平等に爺ちゃん婆ちゃん。でも、最近読んだ73歳の内館牧子は著書の「すぐ死ぬのだから」に78歳の忍ハナさんに実年齢78歳の美人女優三田佳子を配しての演出、ハナさんは齢を重ねても内容より派手な装いでの名演技。派手なテニスルックに身を包みテニスに若やいだ気持ちで興じるテニスメートと変わるところがない。年齢は関係がない。

米寿を迎えた爺さん(記述者自身のこと)は、今日、コートサイドで出番を待っていた。

遠目からは若い美女を彷彿させる華やいだミセステニスメートが近づき、Oさん貴方のバッグはどれ?といった。これだよと言って鞄を指さしたら彼女はバッグの蓋を開いて紙の袋を入れた。多分義理チョコとは想像したが。

Before40年、机の引き出しにチョコを入れてくれた元美女たち、After40年の 今日、鞄の中にチョコを入れてくれたテニスメート、共に同世代のレデイ。皆元気で可愛く気の良い婆ちゃん。私も爺ちゃん。先日書店で見つけて読んだ内館牧子婆ちゃんの書いた「生まれ変わったら」からを読み人生をリセットしてみたくなった。

早速、普段書き留めている徒然随想日誌に吉田兼好法師をまねて、Before40年とAfterのバレンタインを回想を書きとどめさせてくれた某美女テニスメートさんに感謝。

2021.2月14随想日記

 


降る雪に寄せて

2021-02-17 12:00:48 | 日記

日は、昼からテニスコート行きだと朝早く目覚めた。外を見た。庭一面が雪で覆われて重い雪が降り続いていた。

リタイアー後、近くの商船専門学校の公開講座で学んだ、いや、高校の時も。枕草子の「雪のいと高く降るを 中宮が清少納言に‥謎かけ「香炉峰の雪いかならむ」。

才知に長けた清少納言は中宮の謎かけに?白楽天の詩の一節から、すぐさま、閉ざされていた御簾を差し上げたという情景を思い出させた。

今日は、テニス日。先日バレンタインデイに義理チョコを頂いた憎しからずのテニスメート。この天候では残念。来日した歌手のアダもが歌った「雪が降る。あなたは来ない、いくら呼んでも なたは来ない

雪が降る  白い雪が 重い心に…・・・人生は楽しい。恋人を待つ、たぶん若くアダモのようにハンサムの男に待たれる女性はどんな人だろう。終わった人の存在、平均寿命を超え健康年齢も同時進行のこの年齢。内館牧子の「生まれ変ったら?」を読み人生をリセットしたい。小説のように私の寝顔をのぞき見する人はいない。2021.2.17ブログ

 


内館牧子の「女の不作法」を読んで

2020-11-28 13:38:29 | 日記

最近読んだ本で、内館牧子の「終わった人」、「女の不作法」、「男の不作法」があります。

私事、ある出来事、ある方から私が知悉の内館牧子女史をブログで誤って「中館」とキーを打ったしくじり、また二か所の印字ミスを指摘され「コメント」で酷いご指摘を受けました。ブログの楽しみを教えていただいた方からのお叱りだったからひどく落ち込みました。

しかし、その後、彼女の著書「女の不作法」を読み、悪げがないにせよ、他人を不愉快にさせる女の不作法を指摘、世に注意を示して頂きました。私は、この言葉から私の胸につかえていたいたものが一挙に解消してさわやかになりました。著者はまた「男の不作法」をもとりあげて、続けて「すぐ死ぬのだから」を著してNHKBSプレミアムでは女優三田佳子が好演しました。男人生81歳、女性87歳の長寿社会さらには伸びる人生の生き方を示してくれました。良書というものはこうあるべきなのでしょう。2020.11.28

 


ブタペスト旅友との回想

2020-11-17 13:54:53 | 日記

11月13日、早朝目が覚めた。テレビのリモコンをONにした。NHKBSプレミアムがヨーロッパトラム(路面電車)の旅ハンガリー、ブタペストを紹介していた。

懐かしいブタペストの風景。6年前、娘を連れてチェコ、オーストリア、ハンガリーを訪れた。

同じツアーに関西に住むAさんと三女のフアミリーがあった。娘が関西の学校を出ていた。連れの娘も関西の有名な学校を出ていた。すぐ仲良しになったおかげで、食事には同じテーブルを囲み団らんした数日を楽しんだ。Aさんは3年前パートナを送った。私はこの年に送った。二つのフアミリーは同じ境遇だった。

私も長く関西に住み、神戸からの大阪の学校に、また、勤めた。彼女のパートナの父は京都大学の教授で彼も同じ学校を終えて大阪のサントリーに勤めたエリートと聞く。彼女は育ちの良さから明るく人懐っこい誰からも愛される方だった。ということから私と彼女とは馬が合ったということが言える。話がよく合った。4人そろって肩を組んだフオア・ショットの写真も撮った。ツアーが終わって関西空港でお互いアドレスを交換し合い、翌翌年約束した北海道へのフアミリー旅行が実現したこと数々の思い出が回想された。

携帯電話が、スマホに進み、画像の送信、コメント入りの旅先の風景などを交換し合っている。早速、早朝に見たテレビを送信した。もう、6年前のことでしたね。ブタペストの街並み・夜景最高でした。と返信を受けました。