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一人分の料理

2011-06-30 10:11:44 | 日記

 

ひとり分の料理

題名は、20年も前、一人暮らしをしていたときに買ったレシピ集である。

本の巻頭には、「ひとり暮らしをした人の、実情にぴったりの内容。健康で快適な一人暮らしのためにお役にたててください」とある。男子厨房に入るなかれ。料理など男の沽券に関わる」などと言われた時代をすごした語り手。その後、「お一人さまの老後」で売れた有名なジェンダー学者がベスト・セラーを、続いての「男お一人さま道」は、弱い男へのアドバイス書だが、俺はとっくにお一人さま道を予習していたので先生には余計なお世話だと言いたい。

夫婦いずれはどちらかが先だ。俺は、いつ連れ合いが離れて、俺の前から姿を消しても慌てないように危機管理が十分だ。(俺という言葉、ストイックに生きた分、時には不良に堕ちた汚れ役を演じてみたい俳優の気分です。荒っぽい言葉使いを御免ください)

俺のひとり暮らしの始まりは独身時代、そして結婚、子供を出し、熟年、老いた両親の介護のため妻をわが故郷に帰してから一人神戸での生活。男は拘束から解き放れて自由を謳歌、思えば、男は仕事で身に着けたスキル「安正早楽」。料理は安く、早く、美味しく、早く簡単に、手間を省いてである。あのときの情熱は何処に、女は年を重ねて英語のEnnuiとなる。食卓に並ぶのは手の込まないレトルト食品ばかり。にこの雄猫は手を抜いた食事には猫またぎ。メス猫にとってこの雄猫は厄介で可愛くない。

久しぶりにひとり住まいになった男は本屋でレシピ本は見つけた。本は男に生活の知恵を授けた。料理は面白かった。今でもテキストを開いては料理を楽しみ、燻製、漬物などにもレパートリを広げてきた。

 

6月16日、仲間の集まりが神戸で開かれて会話を過ごした。妻に頼りきった愛妻家は料理ができない。己があるいは配偶者の体の不調が生活を圧迫する。愛した妻が逝き一人男やもめ飯が炊けずに三度の食事をつつましくコンビに弁当で済ます友。人生それぞれの感あり。片田舎に住み、畑でジャガイモ、たまねぎの園芸に、暇を本読み、絵画鑑賞に過ごす俺は恵まれていると思う。本読みは、ソクラテスの悪妻物語りを、絵画集から英国画家シッカートの「ennui」(訳:倦怠)の絵画をオーバーラップする。料理も倦怠から抜けきらなければならない。

NNUI

 

翌日、昼すぎ、新幹線新神戸駅で柳井へ向かった。新神戸駅には、大掛かりのみやげ物店があり、書籍、神戸の洋菓子、南京町の豚マン、地物の神戸牛弁当、明石の蛸弁当、京料理弁当などなどが並べられていた。蛸弁を買った。列車に乗り込み座席に着くと弁当を開いた。蛸の煮付けが美味しかったが、牛蒡と牛肉の煮つけは肉の旨味が牛蒡に滲みこんだ鄙びた香味がとても美味しかった。

よし、帰ってから、材料を整えてあの味を出してみようとの思いが募った。

帰宅した午後、材料をメモして街のショッピング・センターに出かけてわけありの値段の安い牛蒡、味付け用の細切れ肉、にんじんを買った。妻は出かけていた。厨房に入り、包丁で牛蒡、にんじんを短冊に切り水に晒し、フライパンに油を引き肉と野菜をいれ炒める。砂糖、出汁、酒を加え、最後に醤油を加えて煮詰めた。火を切ってから七味をふりかけ皿に盛った。簡単な男料理だが、肉汁が牛蒡に滲みこんで牛蒡の香りと舌触りがよくいい味を出すことに成功した。亡き母が弁当のおかずに入れてくれた牛蒡の味であり、弁当の牛蒡の味だった。私は現在、妻を扶養している。ひとり料理のレシピにもう一人分を余計に作っている。

日記2011年6月19日

 


古典文学講座始まる

2011-06-22 21:11:48 | 日記

古典文学「大鏡」の講座が始まった

まえおき

岩国市中央図書館の好村友江先生の古典文学受講は4年目である。先生は、地元岩国市川西に住み週1回九州産業大学で日本文学の講座をもつ講師である、私の浅薄な知識、この年で今更聞くのも恥ずかしい質問に親切丁寧に文献や画像を示して教えていただいている。先生には深甚の敬意を表します。

6月18日(土)から先生による講義が始まった。月1回、来年2月まで全9回の講座。3月の修学旅行が待ち遠しい。受講生は150人、性別では断然女子が圧倒的である。隣の席のNさんに聞くと、この年齢女子の連れ合いのほとんどはあの世ですよ。私も家に旦那を置いての受講です。講義が終ったら寝ている旦那のお昼食の世話ですよ。のお答えが返ってきた。

講義が始まった。「大鏡」は平安時代、藤原氏が摂政、関白となって摂関政治を確立した170年。道長はその権勢を誇り栄華を極めた。

文章の体裁は、先生から教わった「紀伝体」という。紀伝体とは歴史叙述の一体裁であり、鏡とは歴史を写すものを意味する。

 

 

文体は一貫として女性らしい細やかな筆致で藤原氏を中心とした華やかな生活や宮廷の歳事・行事が詳述されている。その構想は、京都標野の雲林寺(今は廃寺である。菩提講は挿入の画像)で知り合った大宅世継と夏山繁樹の二老人の懐旧談を、傍の青侍(青色の袍を着た公家に仕えた六位の侍)が傍聴し批判するという対話形式でで、記録には覆面の女性の筆記者がいた。お上の物語であるからには女性がしゃしゃり出ることには遠慮があってか物語に姿を現すことがことはなかった。今様の才知に長けた有能の女性だろう。華やかな藤原氏の繁栄の陰の政治の醜態にまで筆を及ぼし批判が加えられた興味ある紀伝体の文章。今日の講義は、大鏡上の雲林寺の菩提講で終了した。

来月の講義が待ち遠しく、老学生は予習に余念がない。


父の日に

2011-06-22 21:04:42 | 日記

岐阜の城下町、金華山を望む長良川畔に住む次女は二児の母親である。

その次女からメールが届いたのは父の日である6月19日を過ぎた20日だった。

6月の第3日曜日は「父へ感謝する日」としてアメリカに起こった行事である。

港神戸で育った娘は、外国の文化に馴染み、毎年父の日には何かのプレゼントを怠らなかった。

その次女も結婚し、昨年長女を月謝の安い名古屋の公立大学に、今年は息子が頑張って県立高校入ったばかり。夫は滋賀の京セラ工場のエンジニヤーで単身赴任。家計は楽ではない。自身、簿記を身に付け会計事務所勤め、仕事から帰ったら夕食の準備、息子の塾通い、名古屋の大学にいっている娘の迎えに大忙しの生活。

次女が結婚前に家にいたときは、お気に入りの娘を連れだって薄給ながら娘の手前見栄を張って夜の神戸の街をランデブー、レストランで神戸ステーキを奢り、デパートでバーバリーのコートを着せてみた。細身の次女にはよく似合い買ってやった。娘の喜ぶ顔が嬉しかった。考えると父親の猫かわいがり。結婚後も家計のやりくりに苦労、岐阜に父名義の土地を購入、マイホームを建てた。父は使っていたマイカーのゴルフを娘に払い下げ、10年前にはポロに買い替えてやった。その車も大分くたびれたが色落ちもせず元気よく動き、息子の塾かよい、名古屋から帰りの遅い娘の迎え、通勤に役立っているようである。

19日の父の日は過ぎ、娘からの便りがなく悲嘆に暮れていた父。

娘家族に、何かあったのかという余計な心配。親ばかの限りだった。もしや携帯にメールがと気に懸かり電源をいれていた。

20日夜遅くメールの着信音が鳴った。そのメッセージは挿入画像のとおり。メールを読む父の目は涙で潤んできた。俺も涙もろくなったなー。若いと思っていたが老いを認めなければならない年になったなーと独り言。    

日記 平成23年6月21日

 


ブログを始めて

2011-06-13 13:53:31 | 日記

ブログを始めて

このところ雨が降り続き、園芸、テニスコートのアウトドアーの活動から遠のいて、ワーカホリック(workah-olic)の私には何かをしていなければ落ち着かない衝動に駆られている。まあいいかパソコンを開いて随想日記を書こう。

日記や随想といえば、私は長い間、書き続けてきた。

原稿用紙風の日記を好んでいたが、記録の器械がワープロの出現からパソコンへと進化した。記録は市販の日記から

A4の用紙への印刷に変って書き留めた1年分に表紙をつけて製本(自製)している。

記録は後から読み返しは、変換ミスや当て字、脱字に、また心恥ずかしきほろ苦い思い出に浸り楽しんでいる。

2年前、Eさんに出会いブログ(blog)の楽しみを教えていただいた。お蔭で病みつきになった。

ブリタニカ国際大百科事典によるとブログとは、Weblogの略称でwebはワールド・ワイド・ウェブ(w.w.w)の頭文字、blogは記録を意味するとある。さらにブログは趣味、身近な出来事に対する意見、感想、行動、の記録などを日記形式で発信し、それを見たものがコメントを書き込むことで双方的な意見交換ができる。日本では2003年頃から広まったと記述されている。

Eさんのブログは読ませていただいている。綺麗な写真を添えた綺麗な筆致は天性なのか畏怖を覚えている今日この頃である。

ブログにはコメント欄がある。極く短い3行のコメントに感激する。しかしコメント対面と違ってネットの世界であるからコメントはには格別の注意を払はなければならない作法がある。今日この頃、私は年のせいか、若い頃の批評精神が薄れて棘が抜けてきたのでその心配はない。相手を褒めて喜んでいただくといサービス精神を心がけている。向かいに医院がある。そこには綺麗な奥さんが花壇の手入れに精を出している。顔が合えばお互い笑顔で挨拶を交わしているが私は「お庭の花は綺麗な方に手入れをしてもらって喜んでいますよ。我が家のバラも見にきてください。バラが喜びますよとリップ・サービス。これは隣保同士の誼から発する自然のコメントである。ふざけているのではない。花を作るものの心は他人に見てもらい感動されることが嬉しい。物書き、画家、彫刻家もそうだ。ブログ仲間の根性も同じだと思う。感動したら、共鳴したらコメントとしてあげるのは仲間の礼儀と思うのは私よがりの意見かも。それともおせっかいだろうか。もともとブログはブログ仲間の意見交換は暗黙の理解があるはず。


猫にもてたお話

2011-06-08 14:29:56 | 日記

 

 猫って動物、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」からも猫を理解するものの一人である。

街かどで出会った猫には挨拶を交わしているほどである。いわば私は猫との関係は同等なのである。昨日の午前、猫との出会いと交流を紹介しよう。

私は菊の会という菊作りのサークルに入っている。前の日に先生宅を訪れて菊の苗を頂き、翌朝に菊を植えつけるために、庭先に大きな容器を持ち出して座り込んだ。容器には赤玉土、腐葉土、日向砂、籾薫炭を混合割合に従って移植コテで混ぜ合わせていた。

庭先にはスロープがついた勝手口の小道があり、表の門は滅多に開いたことがない。この小道は生活道路であり、親戚、近隣はもちろん宅配の方々ももっぱらこの小道の利用者である。昨日はこの小道を小走りに私に近づいてきた小動物がおり、柔らかくて重量を感じる物体が私のわき腹に体当たりをしてきた。見たら茶色に白の縞柄のオス猫だった。猫は私が座り込んでいた培養土つくりの器の中に飛び込み、ひっ繰り返えりお腹を上にして私の手にじゃれ付いた。思わず可愛いと思い、その顎や背中をなで上げてやった。猫の習性は性別に関係なくこの部分は猫がもっとも喜ぶ場所である。猫はゴロゴロと声を出して喜んだ。

でも、私には菊の植え付けという仕事があり、飛び入りの猫にかまっている暇はない。猫の首っ玉を引っ掴んで放り投げた。猫はうまくジャンプして立ち上がり再び私をメガケテ突進してきて器の中にひっくり返ってじゃれた。何回かの繰り返し、私は傍にあったジョロの水を猫にかけた。猫が嫌がることは水をかけられ毛が濡れることである。効果覿面、猫は私の傍から逃げた。逃げた先は玄関の扉前だった。猫は泰然として我が家の飼い猫然とした態度で威張っていた。

猫に好感を持つ私ではあるが、この猫を家で飼ってあげる気持ちはない。居ついてもらっては、その世話はできないから邪険にも玄関のタイルに水を撒き、猫が座れないように水で濡らした。猫はいたまわれずに垣根を越えて隣の家のほうへ逃げていった。

こうして私は邪魔をする猫を追いやって菊の苗を鉢に植えつけることができた。その前に、この猫は猫嫌いの妻の足もとによっていき背中を妻のふくらはぎにこすり付ける媚をしめした。妻は嫌がりもせずに猫のするままに任せていた。決して邪険な扱いはしなかった。午後買い物から帰ってきた妻は私に、あの猫ちゃん向かいの薬局の傍で会ったよ。器量のよい猫だったよあの猫嫌いが訪れた猫を褒め関心を寄せていたようだった。

僅かな時間だったが私はお前のおかげで和み猫のお前も楽しかっただろう。菊は菊展示会の片隅を飾るだろう。お前は野良猫ではないだろうからきっと飼い主のもとで成長するだろう。水はかけないから、また遊びにおいで。いつまでもいい友達の関係でいようね。

平成236月7日