弔文ありがとうございました。
隆夫の妻 一枝
夫隆夫への弔文ありがとうございました。
小説を読むような気持ちで読ませて頂きました。正確な記憶と記録に驚きました。
貴方様が見ていた隆夫と私が聞いていたことを述べます。
隆夫は貴方様が羨むほど名士の生まれ、生活ではなく幸福ではなかったことです。彼は12歳で母親を亡くし、二人の兄を結核で亡くしました。戦後の公職追放と農地改革の嵐の中、彼のお父さんは職を失い、先祖代々から小作に出していた多くの田畑がとられ、お国のため買っていた国債もただの紙切れと化し生活は大変苦しかったようです。
その後、義父は伊陸村(現柳井市伊陸)の村長になりましたものの生活は苦しかったそうで下着の着替えさえも不自由したと聞きました。彼はあなた様と同じ時期に高校を出て三菱レイヨン大竹工場に就職しましたがすぐ結核に冒され3年間療養したが回復しませんでした。このとき、残った二人の兄も結核でなくしました。病気のため勤め先を解雇され、しばらく小鳥屋をやりましたが商売が上手くいかず、大好きな女性とも別れることに。この時分に隆夫が神戸の貴方様を尋ねたものと思います。お金もなく無賃乗車で知り合いを伊豆まで尋ねていく途中だったのでした。貴方様は日記に、昭和34年初夏、卒業以来、音信のなかった彼が、前触れもなく突然、神戸の勤め先に現れて驚き、上司の許可を得て、神戸の元町の大丸デパートのパーラで昼飯を食べた。彼に省線の元町駅の道筋を教え別れたと書きとどめられていたとお聞きし、貴方様の正確な記録と彼が私に話した事柄が合致しました。私と彼があったのはそれからしばらくたってからのことでした。
愛知県で人生をリセットさせ、起業、やっと人前で過去を笑って話せる頃(平成8年春)柳井のクラス会からのお誘いがありました。戦後生まれの愛知県どころか大府の町から一歩も出ていなかった私としての体験と彼の差はあまりにも大きく、物事の受け止め方も違っていました。
彼の懐かしい故郷への思いは夙に大きくなり毎年のクラス会を楽しく待ち遠しかったようでした。
死を前にして「よい人に出会って、よい人生だった。幸せだったよ。ありがとうな。」息の止った瞬間、本当によい顔になりました。お葬式には沢山の方から送っていただきましたが暖かく穏やかな日で、本当によかったと思いました。
隆夫は大府で事業を起こしましたが病に臥したとき、事業を引き継いでくださる方に仕事を託し廃業しましたがその仕事は見事でした。貴方様には文章の間に夫の幼い時代の写真、ダイア・ローグなどをたくさん挿入していただき私が知らなかった夫のプロフイールを紹介くださり、今は亡き夫を偲ぶことができました。ありがとうございました。よい友達に恵まれました。挿入された夫の幼顔が次男の顔にそっくりです。
残暑厳しき折、お体を大切に、よいお仕事をなされるよう遠くからエールを送ります。
隆夫の妻 一枝
夫隆夫への弔文ありがとうございました。
小説を読むような気持ちで読ませて頂きました。正確な記憶と記録に驚きました。
貴方様が見ていた隆夫と私が聞いていたことを述べます。
隆夫は貴方様が羨むほど名士の生まれ、生活ではなく幸福ではなかったことです。彼は12歳で母親を亡くし、二人の兄を結核で亡くしました。戦後の公職追放と農地改革の嵐の中、彼のお父さんは職を失い、先祖代々から小作に出していた多くの田畑がとられ、お国のため買っていた国債もただの紙切れと化し生活は大変苦しかったようです。
その後、義父は伊陸村(現柳井市伊陸)の村長になりましたものの生活は苦しかったそうで下着の着替えさえも不自由したと聞きました。彼はあなた様と同じ時期に高校を出て三菱レイヨン大竹工場に就職しましたがすぐ結核に冒され3年間療養したが回復しませんでした。このとき、残った二人の兄も結核でなくしました。病気のため勤め先を解雇され、しばらく小鳥屋をやりましたが商売が上手くいかず、大好きな女性とも別れることに。この時分に隆夫が神戸の貴方様を尋ねたものと思います。お金もなく無賃乗車で知り合いを伊豆まで尋ねていく途中だったのでした。貴方様は日記に、昭和34年初夏、卒業以来、音信のなかった彼が、前触れもなく突然、神戸の勤め先に現れて驚き、上司の許可を得て、神戸の元町の大丸デパートのパーラで昼飯を食べた。彼に省線の元町駅の道筋を教え別れたと書きとどめられていたとお聞きし、貴方様の正確な記録と彼が私に話した事柄が合致しました。私と彼があったのはそれからしばらくたってからのことでした。
愛知県で人生をリセットさせ、起業、やっと人前で過去を笑って話せる頃(平成8年春)柳井のクラス会からのお誘いがありました。戦後生まれの愛知県どころか大府の町から一歩も出ていなかった私としての体験と彼の差はあまりにも大きく、物事の受け止め方も違っていました。
彼の懐かしい故郷への思いは夙に大きくなり毎年のクラス会を楽しく待ち遠しかったようでした。
死を前にして「よい人に出会って、よい人生だった。幸せだったよ。ありがとうな。」息の止った瞬間、本当によい顔になりました。お葬式には沢山の方から送っていただきましたが暖かく穏やかな日で、本当によかったと思いました。
隆夫は大府で事業を起こしましたが病に臥したとき、事業を引き継いでくださる方に仕事を託し廃業しましたがその仕事は見事でした。貴方様には文章の間に夫の幼い時代の写真、ダイア・ローグなどをたくさん挿入していただき私が知らなかった夫のプロフイールを紹介くださり、今は亡き夫を偲ぶことができました。ありがとうございました。よい友達に恵まれました。挿入された夫の幼顔が次男の顔にそっくりです。
残暑厳しき折、お体を大切に、よいお仕事をなされるよう遠くからエールを送ります。