(舟形山古墳 愛知県豊川市上長山町)
一宮中学校背後、舟山丘陵に点在する9基の古墳である。 1号墳から4号墳は、丘陵南部に群集し、5号墳から9号墳は丘陵北部に群集する。古墳群中、最大のものが全長40m、高さ3mの前方後円墳の2号墳で、横穴式石室が開口している。
明治時代に後円部を発掘し、甲が出土したといわれている。その後前方部が盗掘に遭い始めたために、昭和34年発掘調査が行われ、武具、馬具、金環、須恵器、人骨が出土した。石室の形式、須恵器から6世紀中葉の古墳とみられている。石室は次第に変形し始めており、危険な状態となっている。また、墳丘は苗畑となっており、葺石が周囲に散乱している。
2号墳の東側に1号墳があり、「一宮町遺跡文化財地図」による正式な規模は、直径13m、高さ1.2mの円墳、その北側には3号墳があり、直径17m、高さ1.3mでやはり円墳である。 4号墳は3号墳の北西にあり、直径13m、高さ1mで平成7年に調査され、横穴式石室と、追葬が検出された。
「長山年代記」によると、宝永五年(1708)御手川(宝川支流白鳥川)に橋を架けるために舟山の石を運び用いたという。現在その石材の一部は、上長山公民館敷地内に残されている。
(関連記事:西原古墳群)
一宮中学校背後、舟山丘陵に点在する9基の古墳である。 1号墳から4号墳は、丘陵南部に群集し、5号墳から9号墳は丘陵北部に群集する。古墳群中、最大のものが全長40m、高さ3mの前方後円墳の2号墳で、横穴式石室が開口している。
明治時代に後円部を発掘し、甲が出土したといわれている。その後前方部が盗掘に遭い始めたために、昭和34年発掘調査が行われ、武具、馬具、金環、須恵器、人骨が出土した。石室の形式、須恵器から6世紀中葉の古墳とみられている。石室は次第に変形し始めており、危険な状態となっている。また、墳丘は苗畑となっており、葺石が周囲に散乱している。
2号墳の東側に1号墳があり、「一宮町遺跡文化財地図」による正式な規模は、直径13m、高さ1.2mの円墳、その北側には3号墳があり、直径17m、高さ1.3mでやはり円墳である。 4号墳は3号墳の北西にあり、直径13m、高さ1mで平成7年に調査され、横穴式石室と、追葬が検出された。
「長山年代記」によると、宝永五年(1708)御手川(宝川支流白鳥川)に橋を架けるために舟山の石を運び用いたという。現在その石材の一部は、上長山公民館敷地内に残されている。
(関連記事:西原古墳群)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます