(愛知県新城市牛倉字城山 1990年3月11日再訪) 南北朝時代、この地に城が築かれた。城主は伝わっていないが、隣村の欠下城と関連があると思われる。また、天正三年(1575)設楽ヶ原の戦いの際には、織田信長が陣を敷いたところでもある。その際信長は、「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」と句を詠んでいる。郭跡には平安時代末期の経塚があり、その上には山住稲荷が建つ。 設楽ヶ原を望む
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