(愛知県岡崎市西本郷町御立 旧県社 1990年3月22日) 和志山古墳の被葬者とされる五十狭城入彦皇子(いさきいりひこのみこ)を祭神として祀る社として創立したとされる。平安時代には式内社であったとされ、その後衰退し、社名も本郷大明神、瀬部明神、蝉神社、天王社、長谷部神社と変遷したが、境内社の中にワシ取ノ社が存在したこと、明治21年(1888)隣接する蓮華寺において、延喜年間作とされる和志取神像が発見されたこと等により、和志取神社の名が復活している。
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