(沖縄県浦添市仲間 国指定史跡)
浦添市の最高所、標高140mにあるグスクを訪れた。1187年、琉球王国始祖中山王(ちゅうざんおう)に即位した舜天(しゅんてん)によって築城されたという。またこの舜天は、保元の乱の際に伊豆大島に流された源為朝(みなもとのためとも)の子であると伝わっている。二代舜馬順煕(しゅんばじゅんき)、三代義本(ぎほん)と世襲し、その義本のとき天変地異が起きたため、1259年、家臣(摂政)の英祖に譲った。英祖王統大成、英慈、玉城、西威(せい)と五代続くが、玉城の政策によって権威を失い、1351年、西威のときに察度(さっと)王統にとって変わられている。然し、1405年、子の武寧のとき第一尚氏に攻められ察度王統は滅亡、尚氏は琉球の首都を首里に移した。城跡北側にある二つの掘込墓「ようどれ:極楽山」は1273年築造の英祖王と1620年築造の尚寧王の陵墓であり、さきの沖縄戦により被害を受けたが、近年発掘調査が行われ、周辺の石垣と共に修復が施された。
浦添グスク・ようどれ館
沖縄戦で滅失した岩の洞門 暗しん御門跡
ナーカ御門
尚寧王陵墓
英祖王陵墓
城内にある沖縄学の父・伊波普猷(いはふゆう 1876-1947)の墓所
ディーグガマ(渡嘉敷御嶽)
居館跡
東シナ海方面
久高島遠望
主郭跡
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