(愛知県西尾市刈宿町) 長徳の頃(995-98)勅命に背いて流罪となった源満国が、この地に辿り着いて「この地は永住の地にあらず、我が仮の宿なり」と言った言葉が地名になったとも伝えられる。その満国が村内を馬に乗って回ったとき、石に馬が踏みつけた跡が「馬足石」として残ったという言い伝えのある、旧刈宿村の鎮守熊野神社があり、神社と天沢山西光院常福寺の間には、足利氏族荒川氏及びその家臣が住した刈宿古屋敷が存在したという。
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