(国後・目梨の戦い)
寛政元年(1789)クナシリのアイヌとの交易を請け負っている飛騨屋との商取引や労働環境に不満を持ったクナシリのアイヌが、首長ツキノエの留守中に蜂起し、メナシのアイヌと共に商人や商船を襲い和人71人を殺害した。この騒動を松前藩が鎮圧したが、アイヌの首長も説得に当たって蜂起した者たちは投降、蜂起の中心となったアイヌは処刑された。松前藩は飛騨屋の場所請負人の権利を剥奪、その後の交易を阿部屋に請け負わせた。その後幕府は、クナシリ場所やソウヤ場所で御救交易(おすくいこうえき:幕府のアイヌとの融和的交易)を行い、千島、樺太を含む蝦夷地を天領とした。
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