flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

明智大正村

2016-12-12 00:00:00 | 街道・宿場町

(岐阜県恵那郡明智町 1998年5月4日)
 黄金週間のこの日、山間部の天気は変わり易く、曇、小雨、霧、晴れ間と次々変化していった。満々と水を湛えた奥矢作の峡谷を過ぎるとすぐ県境となり、間もなく明智町中心地へと差し掛かる。「日本大正村」は時期からか、思いの外観光客で賑わっていた。「村内」自体は単に懐かしい感じのする普通の町並みといった感じであるが、町起こしにより所々リメイクされており、大正風情復元途上といったところか。南北街道から横に入ったところの「大正村役場」は、明治39年(1906)明智町役場として建てられたもので、当時の資料が展示されており、その他、図書資料館、絵画館、小川記念館、大正ロマン館では美術品が展示されていた。「ロマン館」は初代大正村「村長」高峰三枝子、初代「議長」春日野清隆の記念館として平成6年に開館したもので、両氏の遺品記念品が展示されていて、その他、山本芳翆の絵画、大正時代の調度品が陳列されている。南北街道沿いの「大正村資料館」は明治時代末期の三つの建築、銀行繭蔵、町屋敷、表蔵から成り立っており、生糸の町の名残の銀行蔵は、木造百畳敷四階建てで手動式エレベーターが設置されている。現在は近代美術工芸の時計、蓄音機、人形、楽器等が展示され、町屋敷「大正の館」は当時の生活模様の再現、表蔵は土産品の販売がされていた。中馬街道沿いの天久資料館は一階が喫茶室、二階はガラス食器を陳列する展示室となっている。元々「カフェー天久」が京都に大正12年(1923)から営業していたものを、昭和61年(1986)閉店するにあたり、内装や什具と共に移転してきたものである。今回一番賑わっていたところは常盤町の南北街道、中馬街道交差点辺りであろうか。猿まわしや大道芸が開催されていた。東濃の国境い、人口八千余りのこの町は、町起こし及び観光事業を推進している。然し、商業に徹するほど情緒さロマンさが減少するような感じで、今一度客観視してほしい感じがした。最後に千畳敷から大正村、明智の町を眺め帰路についた。
  大正村役場
  大正ロマン館
   大正資料館
 南北街道町並み
 千畳敷から


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