flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

山巓毛と白銀堂

2015-07-05 00:00:00 | かみのやしろ

(さんてぃんもうといーびんめー 沖縄県糸満市糸満 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選)
 糸満ロータリーの程近く、糸満漁港を見下ろす高台がある。1429年、南山王の他魯毎(たるみい)が、中山王の尚巴志(しょうはし)の攻撃を受け、妻子と共に自害した場所とされる。丘腹にはこの地特有の門中(一族墓) や御嶽(うたき)があり、頂には1999年に建てられた展望台の他、 昭和天皇の即位を記念して1932年に白銀神社改築期成会によって建てられた御大典記念山巓毛改修碑、「皇太子殿下御誕生記念・昭和九年八月一日建立」と刻まれてた国旗掲揚台、1943年、沖縄県警防課によって設置された糸満防空監視哨の跡がある。
 山巓毛の西側には海神を祀る御願所(うがんじゅ)白銀堂があり、次のような言い伝えがある。昔、糸満村の漁師が漁の途中で遭難して船と漁具を失った。その光景を見た薩摩の武士は漁師にお金を貸したが、不漁が続いて漁師は約束の期日に金を返す事ができなくなった。漁師は洞窟に隠れていたが武士に見つかり、怒った武士に刀で切られようとしたとき、漁師は「イジヌイジラー ティヒキ ティヌイジラー イジヒキ」(意地が出たら手を引け、手が出たら意地を引け) ティヌイジラー イジヒキ(意地が出たら手を引け、手が出たら意地を引け)」と言う琉球の諺を言って許しを請うた。武士はその言葉で気持ちを鎮め薩摩に帰ったが、玄関に自分のものではない男ものの履物があった。武士が部屋に入ると、妻が見知らぬ男と寝ており、怒りの気持ちを抑えきれず刀を振り上げたが、漁師に聞いた諺を思い出し、冷静に見てみると妻の横に寝ていたのは男物の着物を着た母親だった。それは武士の留守中、一家に男がいないのは危険だと考えた母親の行動であった。翌年琉球へ戻った武士は、漁師の所に行くと、漁師は礼と共に借りたお金を差し出す。然し武士は自らのそれまでの経緯を話し、お金を受け取らなかった。そこで、漁師か隠れていた洞窟の前にお堂を建て、海上の平安と村の繁栄を祈ることにしたという。
  
   
  
 糸満漁港方面
 糸満ロータリー
  
 1
    
 白銀堂


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