(静岡県磐田市/浜松市)
浜松宿の東方、旧長上郡橋羽村(→浜名郡和田村→浜松市東区天龍川町)に鎮座する六所神社に参拝し、東に向かうと天竜川に差し掛かる。現在は全長約900mの天竜川橋を渡るとすぐ、旧豊田郡池田村(→磐田郡豊田町→磐田市池田)に渡ることができるが、往時は渡し舟であり、明治7年(1874)に長さ1160mの天竜橋、明治16年(1883)に長さ765mの池田橋が架橋されたが、木橋や舟橋であったため、昭和初期に鉄橋が完成するまでは大水の際に流失を余儀なくされていた。
池田村は渡し舟で栄えたところであり、鎌倉街道時代には池田宿で栄え、東海道時代には間の宿として栄えた。また、東海道見付宿より分かれ、東海道御油宿に至る脇往還「姫街道」も通過していた地でもある。付近には永享六年(1434)村内妙法寺住職の見た夢の通りに天竜川に浮かんでいたという聖観音像を安置する粒見堂や、孝謙天皇年間(718-770)に創立したという天白神社、熊野(ゆや)の長藤のある時宗行興寺等がある。
(粒見堂)
(関連記事:見付宿)
浜松宿の東方、旧長上郡橋羽村(→浜名郡和田村→浜松市東区天龍川町)に鎮座する六所神社に参拝し、東に向かうと天竜川に差し掛かる。現在は全長約900mの天竜川橋を渡るとすぐ、旧豊田郡池田村(→磐田郡豊田町→磐田市池田)に渡ることができるが、往時は渡し舟であり、明治7年(1874)に長さ1160mの天竜橋、明治16年(1883)に長さ765mの池田橋が架橋されたが、木橋や舟橋であったため、昭和初期に鉄橋が完成するまでは大水の際に流失を余儀なくされていた。
池田村は渡し舟で栄えたところであり、鎌倉街道時代には池田宿で栄え、東海道時代には間の宿として栄えた。また、東海道見付宿より分かれ、東海道御油宿に至る脇往還「姫街道」も通過していた地でもある。付近には永享六年(1434)村内妙法寺住職の見た夢の通りに天竜川に浮かんでいたという聖観音像を安置する粒見堂や、孝謙天皇年間(718-770)に創立したという天白神社、熊野(ゆや)の長藤のある時宗行興寺等がある。
(粒見堂)
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