flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

設楽郡杉山村の諸城

2007-02-01 00:00:23 | 城郭・城下町

(愛知県新城市杉山)
 三河から信州に至る道と、作手、八名へ至る道の交差する要の地、杉山。故に戦国時代の菅沼氏の足跡を多く残す地でもある。

杉山端城
 端城は、永禄の頃、菅沼定氏によって築かれた。(定氏が建てた祠には永禄五年二月四日とある)
道目記城と同じ頃に訪れたとき、一部分となった高さ4m程の土塁(北東角)の頂に稲荷祠が祀られていた。
 隣に住む人が昔のことを説明してくださり、後日図を書いてくださった。
昭和56年に国道151号バイパス築造によって土塁は撤去、祠は路傍に移された。昭和63年にバイパス拡幅部分にあたるエリア(城外)の発掘調査が行われ、城と同時期の遺物の他、前後の時期の遺物も出土した。
 
(1982年7月撮影)

(クリックすると拡大します)
 上図は昭和56年、城跡に住む城所さんという方が、更に70年前の城跡の状態を書いたものである。東西四九間(約90m)南北四七間(約85m)の城郭であり、城跡の南東部の堀土塁を書いていないのは、そこを開墾した人が早死にし、家運もよくなくなったからだそうである。そしてその土塁にはたくさんの狐が棲んでいたという。
城跡地主であった、ある古老が山で馬に乗っていると、突然狐が現れ、乗っていたこの人を突き落とした。それ以来寝たきりとなったそうである。この図を書いた城所さんも、西側を開墾しているときに、胸が苦しくなり苦労したそうである。そしてあまりにも身体の具合が悪くなり、北側の開墾を他の人にしてもらったところ、その後その人は事故で亡くなったそうである。このようにこの地には“障り”ともとれる出来事が続いた。
(※関係人物の個人名は省略しました)

杉山古屋敷
 端城南東、字野口に跨り、現在は畑、宅地となっている。菅沼氏家老の兵藤蓬之助が住したという。

道目記城 市々浪城
 野田川に面する段丘端に築かれた城。
北から東にかけては堀を兼ねた石田用水を配し、面積は一町歩(約三千坪)あったという。
現在はタイヤメーカー敷地、千郷中学校敷地となっていて、遺構は残らない。
双方は別の城であるという見方と、同様という見方がある。
 市々浪城は永禄三年(1560)に築城、道目記城は元亀元年(1570)、共に菅沼定氏によっ て築かれたとされる。二城は途中で城郭を拡大したことによる改名とも解釈でき、他に「石田の新城を杉山の端城に移す それよりドドメキに移し、信州飯田に退行したという」(三河国二葉松)は、その築城時期から市々浪城=杉山端城で、杉山村の端にある「杉山端城」をさしているとも考えることができる。
 昭和53年頃、郷土のことを纏めておられた、字野中の正養寺住職が、「昔、城跡東側の畑でお百姓が芋穴を掘っていたところ、鎧を着た武人が出土し、驚いて慌てて埋め戻した」と語っていた。また、旧城内(現在は中学校)には豊玉稲荷社がある。
 

杉山中屋居館(いだち)
 端城西側の国道301号線西側、字中屋に位置する。
菅沼家臣今泉四良左衛門が住み、続いて塩瀬資時が居住した。遺構といえるものはないが、微高地となっていて、末裔が住んでいる。西側の木の根元には一石五輪塔があり、国道隔てて向かい側の今泉九郎左衛門屋敷跡(庄屋敷跡)の林の中には今泉家の墓標、祠、金石文等が建っている。また、付近の通称に屋敷及び古屋敷の地名があったという。
 
 その他居館南側、字野中には今泉五郎右衛門の下中屋屋敷、その南隣には今泉権三郎屋敷の今泉氏一門の屋敷跡がある。

今泉與介屋敷
 字実近、徳定に程近い丘陵上に位置し、文永年間(1264~74)から正安二年(1300)にかけて今泉氏が居住したという。現在は畑地となっている。


杉山屋敷
 字大東、畑中稲荷社が建っている。
伝説によると、長寛元年(1163)から今村氏がこの地に代々居住し、その後富永氏臣杉山氏(修理、弾正左衛門)居住という。稲荷社は、杉山氏のときから祀られたものといわれている。
 


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2 コメント

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杉山の諸城 (くらじろう)
2007-02-02 01:05:42
貴重な画像やいわれ等の紹介興味深く拝見いたしました。
私の知らないことが多くありました。ありがとうございます!
koureiさんのフィールドワークの凄さを感じました。

それにしても狐と城跡の結びつき・・・。やはり狐はどこでも怖い存在のようですね。
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すぎやま (kourei)
2007-02-02 12:49:25
当時の日記を引用しているのと、いろいろなお話しをもとに書いているので、通説とは違う部分があるかもしれません。
もし参考になるところがおありだったのでしたら、うれしく思います♪
一時期、ひとつのテーマに集中して突き詰めたことがあったので、その頃を懐かしく思います。
最近はあまりお城だけを限定して見て回ることがないので、探究心は弱まったのかしれませんが…。

祠を見ると、そこにお城があったような気がしてなりません。
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