![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/81/69b2b30f347565413ae091d9e4e59704.jpg)
(長野県伊那市高遠町 国指定史跡 日本100名城30番)
治承三年(1179)信濃国高井郡笠原(長野県中野市)から来た笠原頼直が、この地に城を築いたのが始まりとされる。その後、諏訪氏裔高遠氏の居城となり、一時は安定するも、祖である諏訪大祝家と甲斐武田家との関係が悪化し、天文十四年(1545)武田勢が攻め込み、高遠城は武田氏のものとなった。天正十年(1583)織田信長の甲州征伐により、武田信玄の五男仁科盛信が高遠城で信長の長男信忠と戦い討死し、織田氏のものとなるが、本能寺の変により徳川家康の支配下となり、高遠藩が立藩した。以後、城主は京極氏、保科氏、鳥居氏と続き、元禄四年(1691)からは河内富田林より内藤清枚(きよかず)が入り、内藤家八代で明治維新を迎えた。
藩校 進徳館
国有形 高遠閣
(関連記事:進徳館)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます