(福島県須賀川市)
奥州街道の延長街道、仙台道十番目の宿場町であった須賀川。「すか」は一般的に砂州や土砂の堆積を表し、阿武隈川と釈迦堂川の合流するこの地付近の地質が須賀川の地名の由来とされる。往古、石背国造(いわせのくにのみやつこ)が統治した地といい、その後、陸奥国に併合されたという。建久元年(1190)波多野筑後守が創建したとされる鎌足神社の辺りは磐瀬(いわせ)の森と呼び、「陸奥や 岩瀬の森の 茂る日に 一声暗き 初ほととぎす」紀貫之 「陸奥の 安積の事を 人問はば いかが岩瀬の 森は答へむ」読み人知らず 「陸奥の 岩瀬の渡し 水越へて みつまき山に 雲ぞかかれる」読み人知らず 等、この地をさしているのであろう、俳人が句を認めている。中世は北畠氏、二階堂氏がこの地を支配した。
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