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(東京都目黒区中目黒)
祐天寺駅界隈から駒沢通りを渡ると、祐天寺がある。私の号、及び菩提寺が天祐であるため感慨深いものがあった。
享保三年(1718)増上寺三十六世住職であった祐天がこの地で入寂し、弟子であった祐海が住職となって祐天の廟を建立、そして享保八年(1723)に祐天寺の寺号が正式に許可されたのが始まりである。 祐天が下総国飯沼(茨城県常総市豊岡町)の弘経寺の住職であったとき、羽生村(常総市水海道羽生町)の累という女の怨霊を成仏させた累ヶ淵の説話は有名であるが、境内にはその累の墓(分骨)があり、また大正天皇の生母柳原愛子の墓がある。
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