flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

乙川経塚古墳

2016-10-17 00:00:00 | いにしえびとの睡

(愛知県幡豆郡吉良町乙川字経塚 1994年5月3日)
 正法寺古墳から東へ約250mの経後古墳跡を先ず訪れた。現在は蜜柑畑となっており、そこで農作業をしている人に尋ねたところ、「私が来たときには既に平らな段々畑になっており、土は下の田んぼに使うために下ろしたと聞いたことがある」ということで、更に「耕作で何か出てきたことはなかった」と語られた。この古墳は直径30m,高さ3m,2段築成の円墳であったが、面影は全くない。経後古墳の東約100mには経塚古墳跡があり、石碑が建てられているが墓地のため削平されている。下の林道を隔てた蜜柑畑で農作業をしていた人が来て、「30年位前、墓を整理するとき、古墳を削ってその土を下の畑へ下ろした。削るまでは、今墓地に植わっている木の高さ位(現在の地面より約10m地上)のところに頂上があった。また、大したものは出なくて、出たものは正法寺にある。」と語られた。ここで出土したものは土師質円筒埴輪や朝顔形埴輪であるが、古墳の土砂を撤去したのであるから埋葬施設や副葬品も出てきた筈であるが、その辺りはどうなっているのだろうか。この古墳の時期判定は埴輪のみで5世紀とされているが、古墳名に「経塚」(本来は中世に経典を埋納した塚)が付けられた経緯も不明である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする