flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

多摩川浅間神社

2016-09-06 00:00:00 | かみのやしろ

(東京都大田区田園調布 旧村社)
 多摩川を見下ろす多摩川台の浅間神社古墳(前方後円墳,全長60m,円筒埴輪,形象埴輪(人物,鹿,馬)が出土,5世紀末から6世紀初の築造)の後円部上に鎮座する神社である。神社の創始は、治承四年(1180)源頼朝が配流先の伊豆で挙兵し、石橋山の合戦(神奈川県小田原市)で敗れて一時安房(千葉県)に逃れたが、上総、下総を経て隅田川を渡り、豊島郡滝野川(東京都北区)に陣を敷いた。夫の身を案じた妻の政子は、後を追ってこの多摩川畔まで来たが、草鞋の擦り傷が痛み、やむなくこの地で傷の治療をすることになった。亀甲山(かめのこやま:多摩川台古墳の一つ)へ登ってみると、富士山が鮮やかに見えた。政子は富士の浅間神社に向かって手を合わせ、夫の武運長久を祈り、自身の念持仏「正観世音像」をこの山に祀った。村人たちはこの像を富士浅間大菩薩として崇め、これが多摩川浅間神社の始まりと伝わる。その後、承応元年(1652)浅間神社表坂の土留め工事をした際、銅製の正観世音の立像が発見された。その像を多摩川で洗うと片足がなかった。そこで不足部分を鋳造して修理し祭礼を行った。以後、神社の祭礼は像が発見された六月に行われているという。
  右側の碑は勝海舟直筆彫刻の「食行身禄(富士講行者)之碑」
    
 東横線複々線化によって失われた浅間神社古墳前方部
  子産石
       
 小御岳石尊(富士信仰)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする