kasaiさんの江戸甲府物語

江戸時代の甲府の様子を庶民の生活を中心につづる。

第27回甲斐廼(の)手振2

2014-10-27 08:06:00 | 説明
 前回「甲斐廼(の)手振」という書物を紹介しました。宮本定正という人が、嘉永3年(1850)19世紀中期の甲府と近在の風俗に関する見聞をまとめたにまとめたものです。

 この本の中に「義太夫、長唄、常磐津とも流行。市中ヨセと名づくる所多くあり」という記載があります。芸能が流行していたことがわかります。

 天保13年(1842)に「遊芸渡世名前覚」という記録があります、これは、甲府市中(甲府城下)の義太夫、長唄、常磐津の師匠を調べたもので、31名の名前と住所が記載されています。女性18名、男性12名、不明1名が列記されています。

 業名(芸名)を持つものが5名あります。また、本職は別にあり芝居興行がある時に参加する者、内職として芸能指南をしている者も存在しています。近郷へ芸能指南に出向いている者もあります。

 天保13年(1842)は天保の改革が始まった年で、5月3日に芸能指南が禁止されています。この資料は、この時調査されたものです(4月21日に役所から町年寄に調査するように通達されています)。8年後の嘉永3年(1850)には芸能が盛んであるとありますので、天保の改革が終わった時点で復活していることがわかります。

 天保13年(1842)の芸能指南の禁止の町触れには、幼少の子供が、琴、三味線、踊りなどを習っているのはよくないとありますので、かなり芸能が盛んであったことがわかります。現在でも小さい頃からピアノなどを習っている人も多いことを考えると、現在も昔も変わっていません。

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