チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

敬天愛人

2023年09月26日 09時47分03秒 | 日記

西郷隆盛が生涯の生き方として「天を敬い人を愛する」その心で一生を貫いたという

その心を後世に伝えたいという志の方々が神田の駅近くで「西郷記念館」を立ち上げ。西郷さんの遺志を継ぎ「日本創生」を掲げて活躍ちう

チャ子ちゃん先生そこで、彼らが新しく取り組もうとしている「養蚕の現状をはなしてほしい」という依頼を受け行ってきた

今若手が小規模だけど農協に属さない人々の手によって、本当の養蚕が始まり始めている

そのことと現実は「遺伝子の組み換え」が盛んなこと、またマウス代わりに蚕を使う実験が多くの研究室で行われている実態を話した

その他は

なんといっても西郷隆盛の話

政治的なまた西南戦争の時の話などは、ここに集まっている方たちの方が、はるかにチャ子ちゃん先生より詳しい

それで

西郷内閣の時に進んだ富岡製糸場の話、建物もでき、フランスから指導者もやってきたが製糸を現場で行う女性が集まらない

赤ワインをたしなむフランス人を見て、多くの人が「あの建物に近づくと血を吸い取られる」と本気になって怖がっていた

この話はまだ富岡製糸場がヨネスコ文化遺産に指定されるはるか前に取材して、建物の地下に作られたワインセラーの立派さを見て納得した

そういう時代背景の中、日本は富国強兵のためには何とも輸出の王者を作らねばならず、それに選ばれたのが生糸なので政府は必死

そこで考えられたのが「藩士の娘」を集めるという案だ

廃藩置県でもう藩は消えているのだが、率先して薩長の藩の娘が応募してきたという、松前藩の班長が指揮を執っていたのだが、未だ明治維新の名残が娘たちの意識にもあり、これがなかなか面白いのだがこの話はまたいづれ

表向きは渋沢栄一の働きになっているがそれもまたいづれ、こんな話を前振りで、チャ子ちゃん先生が一番話したかったのは、西郷隆盛と大島紬

 

奄美大島に島流しされた西郷さんは龍郷村に蟄居した。そこで島の人たちの日々の暮らしにいろんなアイデアを与えている。当時は大島紬もまだ紬糸で織ることが多く、養蚕も盛んであった。町々によって織る柄も決まっていた。同じ柄を織った方が生産性は上がる、しかしそれでは発展性がない、そこにこういう模様を加えて新味を出してみたらどうか、などのアドバイスを与えていたらしい

 

かつ節を作る、銅を掘るなど島の人々の生活に潤いを与える助言も大きかった。私は初めて行ったとき古老たちから聞いた話を皆さんに伝えた


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