鴨ネギマンのまちおこしブログ(埼玉県越谷市発)   

出向先の春日部より帰任しました。ご当地鍋料理「こしがや鴨ネギ鍋」の地域ブランド作りと越谷情報発信ブログ

三ノ宮卯之助って誰なのさ

2009-09-25 | Weblog





鴨ネギマンです。
















三ノ宮卯之助って誰なのさ。





三ノ宮卯之助(さんのみや うのすけ、1806年(文化3年) - 1854年(嘉永7年)7月8日)は、江戸時代の武蔵国岩槻領三野宮村(現在の越谷市)出身の江戸力持ちである。

生まれつき小柄で虚弱体質であり、非力で馬鹿にされていたので、一念発起し猛練習に励んでいるうち頭角を現し、ついには江戸を代表する力持となった。はじめて22歳のとき、瓦曽根村最勝院で70貫の力石を持ち上げた。そして、卯之助は力自慢の近在のものを集めて力持ちの興行をはじめた。得意な芸は、馬に騎乗した人を乗せた舟ごと持ち上げる「人馬舟持ち上げ」であった。

また、天保4年(1833年)6月に徳川家斉の御前にて力持ち芸を披露。この時の「御上覧力持番付表」によると大関となっている。興行先は、はじめは主に関東周辺から30代になると甲信越、関西方面にまで及んだ。江戸で大坂方の力持ちを破り、日本一になったが、興業主の宴席に招かれた帰りに急死。相手方の毒殺説もある。戒名は到殺清紳信士。墓所は不明。

卯之助が持ち上げたといわれる銘が刻まれた力石は、地元の三野宮香取神社、越ヶ谷久伊豆神社をはじめ、富岡八幡宮(江戸深川)、鶴岡八幡宮、諏訪大社、桶川宿・稲荷神社、川崎大師、江ノ島、魚吹八幡神社(姫路)、大坂天満宮などに残されている。なかでも桶川のものは、大盤石(特別に大きい石で全国に4つしかない)と刻まれ、推定610kgあり、重量としては日本一といわれる。嘉永5年2月と刻まれているので、43歳の時のものである。

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』






三ノ宮卯之助は越谷出身の力持ち。











越谷市観光協会を中心に越谷出身の三ノ宮卯之助にちなんだまちおこしの取り組みが行われています。27日(日)の越谷市民まつり会場にて「三ノ宮卯之助に挑戦!越谷力持ち大会」が開催されます。