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「携帯電話がない時代は好きな女の家に電話する時、『親』という関門があった」オヤジ、パターン増やせ

2014-02-10 15:32:49 | Weblog
 オッサンどもが「昔は…」と過去を振り返って「昔あるある」を語る時、圧倒的頻度で武勇伝のごときドヤ顔で登場するのがコレですな。

「昔は好きな女の子に電話をすると『親』という関門があってだな。『○○さんいますか』とやって緊張しながら、不審がられながらようやく繋いでもらえたワケよ。お前ら若者は携帯があっていいよな。ダイレクトに繋がれるんだからなw」

 あのよ、このたとえ、もうウゼーんだよ。もう、こんなたとえ、使うな! 登場した当初は「あったあった!」と拍手喝采だったが、どいつもこいつも使うものだから、もう陳腐化してるんだよ。くそったれが。つーか、お前、女に電話したことなんかほぼねぇだろ、どうせモテなかったからよ。

 これを聞かされる若者だって「この話、これまでに123人のオッサンから合計174回聞かされたよな……」なんて思ってるぞ。

 というわけで、オレはここで埋もれてしまった「昔あるある」を書くのであるっ! オッサンのお前らは、これを使って若者からキャーキャー言われやがれ、この野郎! 大体1970年代後半から1980年代前半の話であるっ!

【電車の中でタバコを吸うヤツだらけだった】
 あのよ、電車の中に灰皿があるのが普通だったのよ。そいで、オッサンとかオバサンがプカプカタバコ吸ってるのね。そして、吸い終わったら灰皿に押し込む人もいたけど、窓が開いてるもんだから、外に火のついたタバコを捨てるのよ。こりゃ、驚きましたねぇ、驚きましたねぇ。なんて言ってるけど、まったく驚いていないのですよ。だって当たり前過ぎる風景でしたから。

【電車の子供料金が40円だった】
 オレは東京都立川市出身と名乗っているが、実際に小学校4年生まで住んでいたのは東急田園都市沿いの「鷺沼」という場所だった。ここで田園都市線乗るワケですよ。すると初乗り料金が40円なのですね。

 1982年の秋、オレは10円を拾ったので、交番に届けたワケですよ。当時のガキどもは「カネを拾ったら警察に届けなさい!」という教育を徹底的に受けていたのでした。そのため、オレは10円玉を鷺沼駅の近くの交番に届け、調書に色々書いたところ、約半年後「落とし主が現れなかった」ということで、家に電話があったのですね。

 そして、オレは母親に連れられ、「溝の口」というところにある川崎警察署まで10円を取りに行くワケです。母親の初乗り料金は80円。オレは40円。往復240円をかけて10円を回収したのでした。めでたしめでたし。

【やたらと瓶のジュースだらけだった】
 今でこそペットボトルのジュースだらけだが、1980年代前半は300mlの瓶ジュースだらけだったのであるっ! そして、もっと前は、自販機から引っ張り出す瓶ジュースだらけだったのであるっ!

 500mlのファンタとかスプライト、コカ・コーラは110円、1リットルのコカ・コーラは200円だった。だが、ここからが重要なのであるっ! なんと、500mlのビンは店に戻すと10円くれたのだ! そして、200円のジュースは30円くれたのであるっ! 当然周囲の少年達は、瓶を求めて各所を歩き回り、酒屋に「おじさん! 300円ちょうだい!」などとやっていたのであるっ!

 ちなみに瓶ジュースの「チェリオ」は60円で小学生からは大人気でした。

【ビールの「冷やし賃」を取られていた】

 当時は冷蔵庫が貴重な存在だったのかな。酒屋にビールをケースで頼むと「2本だけ冷やしたの入れといたよ」なんて言われて「1本5円ね」と「冷やし賃」を取られていたのだっ!

【先生が平気で差別用語を使っていた】
 オレが小学校1年生の3月、突然先生がこう言った。

「あのさ、4月から、義足の女の子が転校してくるから。彼女は右足がないんだけど、『かたわ』とか言ってはダメだよ」

 あと、小学校6年生の時、クワガタ獲りで「煙玉」を使うクラスメイト・A君がいた。木に掘られた穴の中にいるクワガタを煙でいぶしだして捕まえるという手法を取ったワケだな。

 すると、これを聞きつけたクラスメイト・T君の母親が「そんな卑怯な手を使ってクワガタを取るとは在日韓国人に決まっている」とT君に言ったようですよ。おぉ、ネトウヨ的思考は30年前にも存在していたのか! と驚愕する次第でありますが、T君は学級会で「ウチのお母さんがそんなやり方でクワガタを取るのは在日に決まっていると言いました!」と言うのですね。

 すると先生は「A君が在日ではないことはこちらで確認している。そうした差別的なことをことをあなたは言わないように」と言うではないか。つーか、先生、アンタの方が差別的だろ!

【先生が体罰をするのが当たり前だった】
 よく分からんが、廊下に立たされて、5人くらいで並ばされて巨大シャモジ(ヨネスケが使うようなやつね)で一斉に尻を叩かれることはよくあった。生徒達は「またやってるのね」とスルーしていた。

【茶髪は不良の象徴だった】
 今の中高生って茶髪のヤツらけっこういるけど、当時は「不良」の象徴だったんだよね。で、このことを「脱色」と言ったのでした。

「田中のヤロウ、脱色したぜ……」
「マジかよ……。ついに極道の道に入ったのか……」
「田中、もう、あいつはオレ達とは違うところへ行ってしまったんだな……」

 本気でこんなことを言っていたのでした。

【コーラを頭にかけると茶髪になれるとの説が登場した】
 さぁ、前述の通り、茶髪は不良・アウトローの象徴だったワケですが、やや憧れの風潮もあったのですね。その時、安く茶髪にするためにコーラかペプシを頭にかけると色が抜ける、という説がまかり通ったのですね。 

 あとはオキシドールをかけると脱色できるとの説もまかり通っていました。で、当時は「茶髪」こそが不良の象徴として憧れられたのでした。

【500円札があった】
 岩倉具視デザインの500円札があったのですね。青い色は、なんだかキレイでしたね。500円玉が誕生した時、銀行に行列するオッサンも多数出ましたね。いい思い出です。

【5000円札と10000円札の見分けがつかなかった】
 なんと、両方とも聖徳太子だったんですよ! 今や歴史の教科書では聖徳太子なんていなかった! なんて説があるんですよね。それなのに国の根幹を握る高額紙幣が聖徳太子だったんですよ! で、子供にはどっちがどっちかよく分からなかったのですね、ガハハ。

 しかしながら、次の5000円札が新渡戸稲造、10000円札が福沢諭吉になったと知った時、「誰こいつら?」と小学生のワシらは思ったのでありました。
 
【駅の掲示板にXYZと書かれていた】
 漫画『CITY HUNTER』の影響ですね。やたらと駅の掲示板にはXYZと書かれていましたよね。これが何かはおググりください。

 で、今や携帯電話があるので掲示板は不要となりましたが、当時は「このクソったれの山田! 先に『庄屋』に行ってるぞ、バカ野郎!」などとキレる文面も書かれてあり、駅を彩ってくれていました。


 というわけで、「昔あるある」を言う時、「彼女の家に電話をすると『親』という関門がさぁ……」と言うしか能がないオッサンは、是非とも参考にしてくださいね。押忍!

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