コマメディア ー史上最弱の仏弟子 コマメー

仏教ファン、瞑想バカのフリーライター森竹ひろこ(コマメ)の仏系ブログ。最弱なので、おてやわらかに!

ナイトスタンド・ブディストの初めの1冊に 「ブッダが職場の上司だったら」

2013-10-29 | 仏系読書メモ




タイトルからみて、女子高生マネージャーが経営管理論を学んで甲子園を目指したり、リアルパンクロッカーが仏門に入って「脳内ドッカーン」したりするようなストーリー仕立てかと思いましたが、本書は仏典や仏教者の言葉を紹介し、それをビジネス視点から解説していくオーソドックスな構成。
著者は現代アメリカの禅および仏教研究の第一人者のフランツ・メトカルフ教授と、多くの世界的企業を顧客に抱えるコンサルタントのBJギャラガー。彼らはブッダを成長しつづける組織の創設者であり、CEOであると位置づけ、その知恵を現代の仕事に活かすアドバイスを提示します。

紹介された50以上の言葉の出典は、パーリー語仏典や「正法眼蔵」からダライ・ラマ14世とティク・ナット・ハン師の現代二大巨頭、さらに瞑想を通じてホームレス支援をしている社会活動家や「仏教文学傑作選2006」の収録作品まできわめて多彩。現代アメリカ仏教の裾野の広さが伝わるとともに、それらを同じフォーマットで語ってしまうアメリカ仏教の風通しのよさも感じました。

著者は「仏性と呼ばれるブッダの心が私たち一人一人のなかに眠っていて、目覚めるのを待っているという信念」に基づいて書いているそうで、監訳者は「考えない練習」「超訳ブッダの言葉」など多くの仏教本を著した小池龍之介住職ですが、その著書のようにツボをグイグイと突いてくるタイプではなくて、とても穏やか。
とはいえ、「営業マンがお客様に『親切』という雨を降らせれば、お客様は営業マンとその会社に『感謝』という雨をお金という形で降らせてくれます」といった現世利益まんまんな表現もけっこうあるのは、ご愛嬌でしょうか。

1つの言葉を2~3ページで解説しているので、寝る前に少しづつ読み進めていくのにも向いています。ケネス・タナカ師が著書「目覚める宗教」で、アメリカでは仏教徒とは名乗らないが就寝前に仏教書を読み、瞑想をたしなむナイトスタンド・ブディストが増加していることを指摘されていますが、まさに彼らをメインターゲットに企画されたのでしょう。仏教について踏み込んで書かれてはいませんが、まず仏教に興味をもった人が最初に読んで、そのなかで心にふれた言葉の出典となった経典や、著者の本を読むというカタログ的な使い方もできる一冊です。





天空の寺・大陽寺で、今年の雨安居最終日をむかえました

2013-10-22 | (報告・感想)気になるイベント、講演会



心身にしみわたる大陽寺の朝食。
特に和尚さんのお母さんがじっくりとつけ込んだ梅干しが、忘れがたいです。


10月19日は3ヶ月に渡った雨安居の最終日。この日、タイのスカトー寺のある農村では朝から爆竹をならし、夜はロウソク行列でお祝いするそうです。森林寺院を巡るロウソク行列は、きっとおごそかで幻想的なことでしょう。

私は秩父の奥深い渓谷に建つ大陽寺に前日から宿をとり、この日をむかえました。
平日の金曜日ということもあり、宿泊客は6人、しかも全員一人旅の女性という、ナカノヒト・オヤジの私には内心うはうはのシチュエーションでした。

初日は宿に到着後、遥か下方から響く清流の音だけが聞こえる静寂な中で写経に取り組み、浅見和尚さんのダイナミックな読経に引き込まれ、ていねいに作られ精進料理をいただき、心が元気になる法話をうかがい、大自然に抱かれて露天風呂に入るという、豊かな時間を過ごすことができました。
2日目の19日は早朝の読経に続き、じっくりと坐禅のご指導を受け、おかゆの朝食をいただくという、雨安居の最終日にふさわしい朝を過ごしました。
大陽寺の坐禅は開山された仏国国師(ぶっこくこくし)が目の前の大自然を師とし、経とした伝統を受け継いで、自然体を目指します。浅見和尚さんから腹式呼吸をしながらヘソ下の丹田に意識をむけてありのままを感じるというご指導を受け、気づきの瞑想になじんでいた私もスムーズに取り組むことができました。


この日はあいにくの雨でしたが、深い渓谷を霧が気流に乗って円を描きながら上昇する様は、まるで上り龍のようなで圧巻!宿泊者と「これは晴れていたら見えなかった光景だね」と言い合い、息を飲んで見入りました。

安居が明けることを禅宗では「解夏」といいます。今年は東京もいつまでも暑い日が続いていましたが、この週あたりからやっと夏が解かれ、本格的な秋がやって来たようです。



(おまけ)


日本のマチュピチュともいわれるほどの秘境に建ち、
築250年以上の本堂には当然のように妖獣も跋扈していました。




……と思ったら写真がブレていただけで、その正体はお寺のアイドル犬の千寿くんでした。
「せんじゅくん」と聞き、寺犬なので千手観音の「千手くん」かと思ったら「千寿くん」、
久保田酒造の吟醸酒ですか……?


お酒といえば「サンガジャパン Vol15」でボディーブロウをくらったおかげもあり、その後は禁酒を守り雨安居の期間を終えることができました。








ボディブローの嵐だった、「サンガジャパンVol 15」戒律特集

2013-10-11 | 仏系読書メモ




雨安居の最後の1ヶ月を禁酒すると宣言しながら何度かアルコールを口にしてしまい、すでに禁酒から節酒にクラスダウンした私……
これではいけないと思い、ちょうどサンガジャパンの最新号が戒律を特集していますので、いくつかの記事の飲酒に関する部分をピックアップして、我が身を顧みなが読んでみようと思います。


「ブッダが説いた『五戒』の真意」 アルボムッレ・スマナサーラ(初期仏教長老)

例えば酒を止めて、また飲みたくなったとする。飲みたくなった自分を観察してみれば、何かを発見するはずです。「自分には○○という問題があって、飲みたくなったのだ」と。そこで、「自分が弱かったから」という答えがでてきます。「自分は芯が弱いんだ。悔しいから、次はその芯の弱さに負けないぞ」となる。このように、道徳は理解・納得に基づいて日々実践するべきものです。

はい、おっしゃる通り「自分は弱い」です。弱いからお酒を飲みたくなるのです。でも、なかなか実践(禁酒)に行かないのは、自分に対する発見が不足しているのが大きな一因でしょう。と言うか、あえて発見を避けているのでしょう、弱いから。(あっ、堂々巡りになってしまいました)
長老が指摘されたように、自分の問題を逃げずに見て理解して実践する、それが瞑想践者としてのあるべき態度なことは自覚しておかなくては。



「戒律に守られ、自由に生きる」プラユキ・ナラテボー師(タイ・スカトー寺住職)

お酒に関しては、在家であればお付き合いなどもありましょうからまったく飲まないということも現実的ではないかもしれません。そうであれば「コップ一杯、グラス一杯以上は飲まない」など自分なりの戒律を設定して、我を忘れてしまわないように工夫してみるのも一考かと思います。

やった!プラユキさんは飲酒を認めているではないですか。……いや、あくまで日本社会でスムーズに暮らしていくための、お付き合いの上での話。これを自分の楽しみのための飲酒も全面OKと読み解いてしまうのは、誤読でしょう。ションボリ……



「インタビュー 不殺生戒こそが、仏教の根本」 佐々井秀嶺師(インド仏教復興の指導者)
 
酒を飲むことによって一切の五戒は壊れてしまう。十戒であれ二十戒であれ、全部壊れてしまう。だから、一切の罪をつくるのは不飲酒戒、酒を飲むことだ。不邪淫戒も壊してしまうだろうし、不偸盗戒も壊してしまうだろうし、不妄語戒も壊して、すべてを壊してします。

ガーン、おっしゃるとおりです。今まで酒を飲んで、どれだけの黒歴史を作ってきたことか。どれだけ人を傷つけ、自分を貶めてきたか…… 
まれに飲酒の席で人の助けとなったこともありますが、それでも圧倒的にマイナス面の方が多いのはたしかです。



「五つのマインドフルネス・トレーニング(五戒)を実践すればうつ病も治せる」 ティク・ナット・ハン

ギャンブル、アルコール、麻薬などをはじめとして、ウェブサイト、テレビゲーム、テレビ番組、映画、読み物、会話でも不健全な類いのものにはいっさい触れません。今、この瞬間を深く生き、自分の内と周りにある滋養のあるすがすがしい要素に触れ、過去を悔やんだり、悲しみ、不安、恐れ、渇望に囚われないようにします。消費に没頭することで寂しさや不安やその他の苦しみをごまかさないようにします。
マインドフルネスな消費──これがトレーニングの五つ目の課題です。伝統的には「不飲酒戒」と解釈されていますが、このトレーニング(戒)はとても深い教えであり、お酒だけの問題ではありません。


うーん、私はアルコールだけでなく不健全なマンガも大好物。耳が痛いです。

ところで、この記事はフランスのプラム・ビレッジのサマーリトリートの法話を元に構成されていますが、戒をトレーニングと訳すところが欧米を中心に活動されているハン師ならでは。
十戒は「the Ten Commandments」になりますが、戒めや命令といったニュアンスの ”Commandments” ではなく、ここではトレーニングという言葉を使用しています。強制ではなく自発的な取り組みであると示すことが、より欧米の人たちのやる気を促すのでしょう。日本という西洋的文明社会で育った私にも、たしかにトレーニングとした方が抵抗なく取り組めそうです。



「ミャンマーで『ティラシン(戒の人)になりました」天野和公(みんなの寺 坊守)

正直なところ、それまでは仏教徒を自称していながら平気で飲酒していたわけで、それがどうして気が変わったかのかと言うと、実際に体験してみてそのメリットを実感したことが一番の理由でしょうか。
「戒は後悔なきを目的とし、後悔なきを利益とする」
ブッダはひと言で説明していますが、「しないこと」を決めているのはたいへん合理的です。悩まされる場面が減りました。

ミャンマーでの出家生活後、それまでの八戒に代わり五戒を受け直して帰国した天野氏。その後の8年間で、五戒を破ったのはとっさについた嘘が一回だけという、優秀さ!
天野氏のブログ「みんなの寺 絵日記」は初期から楽しく拝見していました。たしかビールネタもあって「仲間だ!」と思っていたのですが……今でははるか上空の「戒の人」。
たしかに、私が今までしてきた後悔の多くが、五戒と関連しています。戒を守ることで、ずっと悩みが減って穏やかに暮らせるようになるのは、想像に難くありません。
(単行本「みんなの寺 絵日記 夫婦でお寺をはじめたよの巻」でも確認しましたが、こちらはより抜き構成のため確認できませんでした。もしビールネタが私の記憶違いでしたら、大変失礼いたしました)


と、今回の「戒律特集」を読んで、なんだかボディブローを受けまくった感じです。これが効いてこれからはお酒とも、もう少し健全な関わり方ができるような気がします。
さあ雨安居は19日まであと1週間ちょっと、これらの言葉を糧に禁酒に取り組んでいきます。



(おまけ)
ところで紹介した文章の多くは酒のところをギャンブルでも、ネットでも、恋愛でも、依存の対象に置き換えて読むことができます。そういった意味では五戒は依存症対策のヒントになるのではないでしょうか。



出版記念対談「仏教を『更新』する 藤田一照・山下良道」を聴講しました

2013-10-04 | (報告・感想)気になるイベント、講演会




10月3日(木)に朝日カルチャーで行われた、曹洞宗僧侶の藤田一照師と、鎌倉一法庵住職の山下良道師の対談集「アップデートする仏教」(玄冬舎)の出版記念対談を聴講しました。


対談は藤田師の提案で、一本締めならぬ一本開きでスタート。
まずは、お二人の体験を交えながら話題は仏教1.0(形骸化した仏教)、仏教2.0(方法・テクニックとしての仏教)と順に対談は進みます。ここいらへんは、一緒に安泰寺で修行し、アメリカのヴァレー禅堂で布教活動をされていただけに、スルスルと話は進みます。
そして今回のメインテーマの仏教3.0(本来の仏教)になると、その後の歩んできた道の違いから、会話はがぜん立体的に。以下、講義メモから一部を要約&構成してシェアさせていただきます。
気をつけてはいますが、意味の取り違いや、聞き違いが入っているかもしれません。あくまでも、一参加者のメモとしてお読み下さい)

山下「現在の日本の仏教は医療行為の行われない病院。病院という建物はあるのに、苦しみを仏教という薬で治せるという発想じたいがない」
藤田「日本のお坊さんに1.0を脱出しろと言っているのではない。1.0 2.0 3.0というのは、仏教に関わる態度としてのカテゴリー」


山下「2.0は心に直接アプローチするが、1.0は心に直接タッチしない」
藤田「道元さんはタッチしていると思う。最初の摂心で心の深いところにタッチされたと自分は感じた。言い訳を許さない、裸で鏡の前に立たされたようで、己に直面せざる得なかった」


藤田「3.0では呼吸を見るのではなく、呼吸が見えてくる」
山下「どうして呼吸が見えないのか、どうして(ラベリング)で怒りが消えないのか。それはシンキングマインドでは物事を客観的に見る事はできないから。シンキングマインドが脱落した雲のない青空に入っていくと怒りは消える。なぜなら怒りは単なる現象に過ぎな  かったから」


山下「『俺が受け入れよう』と思ってもできない。それができるのは自分の中の青空だけ」
藤田「良道さんの青空と言っているものは、人間が自然に備わっているもの。自分が言葉にすると『自我意識を成立させているit』」
山下「itですか?」
藤田「『あれ』とか『それ』とかのit。言葉にしなくてもわかるでしょ、って感じのit。3.0を1.0や2.0に誤訳しないように、言葉で断定しない」



藤田「3.0というのは仏教に限らず、ヨガでもお茶でも、会話でも生き方でもありえる。2.0は一生懸命、3.0はていねい。坐禅は安楽の法門、真剣だけど柔軟性がある。みなさんも3.0の世界で生きて下さい。」
山下「日本では瞑想をしている人は行き詰まりを感じている。失敗をしたことを認め、行き詰まりを見るのが3.0へ行く鍵ではないか」


今回の対談では、自分が現在の仏教に対してばくぜんと思っていたことを、お二人が明確に言語化されたことでかなりスッキリしました。とはいえ、仏教3.0がどんなものかは、今一つ見えてこなかった。マインドフルネス的に捉えてしまうと、取りこぼすものがありそうだし……
また、山下師が2.0を否定的な文脈で語られていましたが、自分は2.0の方法でかなり楽になれたこと、またそういった人を多く見てきたので、その部分では思いのズレを感じました。
でも、ポジティブな効果があるということは、現在の2.0(方法・テクニックとしての仏教)とされているもののなかにも、2.0的なものと3.0的なものがあるのかもしれません。そういえば私のMacのOSは10.8.3ですが、仏教2.8.3もあるのではないでしょうか。







マインドフルネス! 来日されたアン・フーン夫妻の講演会とリトリートに参加しました。

2013-10-01 | (報告・感想)気になるイベント、講演会



9月後半に来日された、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師の姪であり、師の最初の弟子の1人であるアン・フーンさんが講師を務められた講演会「心の病とマインドフルネス~講演と質疑応答」と、「2015年 ティク・ナット・ハン来日招聘」へ向けたリトリートに参加しました。
アン・フーンさんは30年間、在家でマインドフルネスの実践を続け、人々を指導してきた方。瞑想で培ってきた念(気づき・マインドフルネス)を、僧侶ではない一般人の立場からどう伝えていくかを模索している私には、またとない先生です。


講演会の参加者は治療者や援助者が大半のため、医学や心理学の見地に立ちながら、マインドフルネスであることがいかに私たちを苦しみから癒すか、といったテーマで講義が進められました。
なかでもアン・フーンさんが18歳で(いわゆる)ボートピープルとして命がけでアメリカにたどり着いた後、ストレスやホームシックで皮膚疾患や精神不調などの辛い状態になり、それをマインドフルネスの実践で癒していったお話には胸を打たれました。アン・フーンさんの苦しみと再生を共有することで、会場が1つの分かち合いの場になったように感じました。




リトリート会場には祭壇が設えられました

リトリートは1泊でしたが、瞑想、ダンマトーク、シェアリング、ボディーワークなどを通してプラムビレッジのエッセンスを味わうことができました。
今まで参加した瞑想合宿やリトリートではありえない、歌ったり、踊ったり、手をつないで歩いたりと、中の人がオヤジの私にはかなり躊躇するワークもありましたが、それもまた自分の隠れていた内面を見つめるよい機会になりました。

アン・フーンさんのダンマ・トークのなかでも、なぜ瞑想をするのかについて

心の中に静かな湖をつくる

本当の現実を見つめる

苦しみをつくりだしていた間違った受け止め方を変えていく、癒していく
  「オレンジをリンゴだと思っているから、私たちは苦しいのです」

といった流れで説明されたことが印象に残りました。
瞑想の目的を「抜苦」だと明言されたのですが、これはブッダの言葉に基づいたもの。やはりここの部分は、上座部も大乗も関係なく同じだということが確認できました。


またアン・フーンさんは、「参加者とそのインナーチャイルドが、安心してくつろげる場である」サンガの大切さを、何度も何度も語られました。実際、今回のリトリートにもアメリカのサンガから5人ほど参加され、会場は温かい雰囲気に満たさていました。
私も瞑想会やリトリートを主催していますが、運営や進行に気をとられて、けっこうガサツな場になっていたかも……
一般の講演会では滞りなく運営ができればそれで充分かもしれませんが、瞑想は心の深いところまで入り込むデリケートなもの。安心してワークに取り組める場をつくることの大切さを痛感しました。そのためにはスタッフもマンドフルネスであることが大切ですが、普段は放逸にしていて、当日だけマインドフルネスでいることは私には困難です。
まずは、日々の瞑想で気づき(マインドフルネス)を育て、その気づきとともに日常を送る……その積み重ねが大切ですね。



さて、来たる2015年には、ベトナム戦争の平和運動の指導者であり、現在は医療分野でも注目されているマインドフルネスの提唱者であるハン師の来日が予定されています。寛容を離れ硬直化していく現在の日本には、ますます師の教えが必要とされるのではないでしょうか。



会場の中央には花が飾られ、これを囲むように瞑想やワークが行われました




(おまけ)
リトリートのプラグラム終了後、「これはデザートですが」と前置きをされて、六識や五蘊、さらには阿頼耶識など仏教独特の概念を多用した仏教心理学の講義を始められました。それまで仏教用語をあまり使用せず、誰にでもわかる平素な言葉で話されていたので、ちょっとビックリ、でも個人的には歓迎です。アン・フーンさんの言動は、実践と理論的理解をともに深めているからこそ説得力があるのですね。
でも、これがデザートなら、オーガニックなベジタリアン料理のフルコースの最後に、松坂牛のステーキが出たようなもの……?私は美味しくいただきましたが!