北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。

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よくわかる原理講論のおかしさ  「最初に結論ありき その目的は」

2010-01-11 09:27:55 | 原理講論批判

「神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である。したがって、神がこのような存在としておられるための根本的な力も、永遠に自存する絶対的なものであり、同時にこれはまた、被造物が存在するためのすべての力を発生せしめる力の根本でもある。このようなすべての力の根本にある力を、我々は万有原力と呼ぶ。」(第1章創造原理第2節(1)万有原力)

 

 

前回のブログ記事「よくわかる原理講論のおかしさ 創造原理の巻」に対して、ブログ仲間のベルナデッタさんのブログ「ベルナデッタの日記」で、原理講論の論理性の欠如をテーマに、元信者の立場でアップしていただいた、感謝。

 

説得を準備されるご家族に、ぜひこの記事を私の記事以上によく読んでいただきたい。

原理脳を体験した人しか書けない内容であり、脱会後自らの過去を理性的立場で綴ったものであり、彼女の聡明さが伝わってくる。

 

あらためて、原理講論が、いかに論理性が欠如したものか、それを疑問も待たずに真理と信じてしまう原理脳の恐ろしさを知った。

 

彼女の指摘したことを、原理講論第1章創造原理第2節(1)万有原力にあてはめてみよう。

 

「神は・・・・絶対者である。したがって・・・・根本的な力も…絶対的なものであり・・・」

 

これも、理由らしきものはあるが、前回のブログで指摘したように、結論を導き出す理由になっていない。

 

この論理性の欠如と絶対的存在が二ついる矛盾した世界観をどうみるか。

 

よく読んでほしい。神は絶対者といいながら、神の絶対性を否定しているのである

 

神と対等な絶対的な存在、いや神以上の絶対的存在、万有原力を持ち出すことにより、神の力の及ばない、堕落世界観、呪縛世界観、宿命的世界観を信者に刷り込ませるマインドコントロールに不可欠なツールが隠されていることを知っていただきたい。

 

ビデオセンターで、心を揺さぶられて、文鮮明をメシアと信じた時、まさしくここに理性的論理的思考回路の放棄がはじまる。

「文鮮明はメシア」という結論しかみえてない論理性欠落の思考回路がうえつけられれば、自ずと「原理は真理」という理由なき思考に移行するに時間はかからない。

 

私もネット上で多くの信者の方に疑問を投げつけたが、回答に詰まれば、私に対する回答は「大局的に原理を理解していない」とか、「神の心情を理解していない人には理解できない」という返事しかないのである。

 

まさしく、ベルナデッタさんが体験された「論点そらし」である。

原理を大局的に見ろといわれても、私の疑問に思ったのは、原理を構成する世界観の始まりの部分であり、この世界観無しには原理は構成されないことを考えるならば、大局的に見ているつもりなのだが・・・・。

 

また神の心情ということだが、私自身が神とどう向き合っているかも知らない人に、そんなことを言われる筋合いはない。私の信仰の自由も認めてほしい。

むしろ、なぜ存在するのか論証不能な万有原力世界のなかで、勝手にもがき苦しむ絶対者の神を描いて、涙し、自己満足的に神の心情がわかったと独りよがりしている信者の方が心配だ。

 

感動なしに涙はない。感動を否定するつもりはない。

しかしその涙にいたるまでの過程を、もういちど自己検証してほしいと、食口の一人一人に呼びかけたい。