籠  太  鼓 

     ろ  う  だ  い  こ

歳末のご挨拶

2005年12月29日 23時42分52秒 | 日記
多忙を極めますが、それでも一年の締めくくりだけはしないと。(語り口を変えたのはなれない言葉遣いは書きづらいことに今頃気がついたから。←笑)


今年も一年、ありがとうございました。

『鹿野園』からこの『籠太鼓』になりましたが、基本的な精神は変わらず、マイペースにやっております。

さて、この一年と申しますのは、わたくしにとって本当に実りのある年だったように思います。
俳句との出会い(正確にはもっと前からですが、ここまで本格的にやろうとしたのは今年の三月下旬から)に始まり、東京まで海老蔵の襲名披露を観にいったり、高橋愛の残像を求めて天草を訪れたり、北海道まで吟行を兼ねて巡礼したり、俳句結社『握手』に入会してプロへの道を歩み始めもしました。ちょっと思い出すだけでも「いろいろやったな~~」と感慨に浸ってしまいます。
そして、さまざまな人たちとふれあい、叱咤激励されました。今思い出すだけでも身が引き締まる心持ちです。
来年も俳句に限らず、あらゆることにチャレンジして、今年に増して充実した一年が送れるよう、がんばりたいと思います。

みなさま、よいお年をお迎えくださいませ。また、来年もよろしくお願い申し上げます。


そして。辻さんと、加護さんにも、毎年恒例の年末のご挨拶を……。

一筆啓上申し上げます。

毎年、毎年。お二人には「明日への活力」をいただいております。
今年はハロー関連について、『鹿野園』でも、この『籠太鼓』でもなかなか取り上げる機会はございませんでしたが、お二人への敬意は変わらず、遠いこの肥後五十余万石の大地から、重ねて再拝いたしております。
今年はミュージカル『不思議少女探偵キャラ&メル』を末座(池袋サンシャイン劇場の二階席の一番後ろ。天井に手が届きそうなくらいの劣悪さ)で拝見させていただきました。その際には、辻さんから、思わぬレスポンスを賜りました。(わたくしが天井に頭をぶつける覚悟でジャンプしたら、辻さんが、わたくしのいるほうへお顔を向けて下さり、まるで鏡に映したように、同じリズム・同じ姿でジャンプしてくださりました)あのときは至上の歓喜でございました。
また加護さんには、10月ごろから歳末にかけての単独のテレビ出演に、相好を崩しながら見入ったものです。
ほんとうにお二人ともにご成長なされ、辻さんはより颯爽と、加護さんはよりあでやかに、それぞれの個性がWというユニットの範疇の内外で発揮された一年だった思います。
お二人の成人式も、このままですと、あっという間でしょう。更なる飛躍を願わずにいられません。
来年はハワイツアーも控えているということで、わたくしごときには到底無理と諦観しておりますが、直接お目にかからずとも(強調。←笑)お二人の第一の忠臣として、たとえ届かないとしても(しつこい)変わらぬ声援を送り続ける所存でございます。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

臣・百八軒拝

『握手』添削投句12月分

2005年12月24日 02時07分12秒 | 俳談
年の瀬でBlogどころじゃなくなってきているけど、とりあえず、控えだけはとっておかなければならない。

霜の夜や青きインクの置手紙
湯豆腐の八つの角と一人かな
夜寒さや空が仮面をかぶる刻
手袋の指に遅れて曲がりけり
ジョン・レノン忌なにかにつまずき転びけり
水煮えて太き湯となる年の暮
冬夕焼山から川へ暮れにけり
愚者・賢者・愚者・愚者と来て餅を搗く
あの声のいまさら冴ゆる夜なるかな
冬空へひとつくらいはのぼるもの


以上、10句。



俳句って、短くて何もいえないんだけど、そこが一番の強み。「以心伝心」などという言葉が存在する日本ならではの感覚で、「言い含める」ことで、「想像力を喚起すること」が俳句の最大の眼目なんだ。
わたくしの好きな句に、

これはもう裸といへる水着かな  大野朱香

というのがあって、一見川柳っぽい(一句の中で完結している)句だけど、その水着については『どんな形か』『どんな色か』『どんな人が着ているのか』『どこで着ているのか』『一人なのか二人なのか』など、そういう情報がまったく入っていない。なので、読者は想像するしかないわけ。そこが俳句の強み。つまり、想像というのは人それぞれ違うわけだから、人それぞれの解釈で千差万別の情景があるといえる。わかりきったことをわかったようにいう「只事」でなくて、このような一見なにげないことでも、その一句からひとつのストーリーができそうになるほどの可能性を持っているのが俳句のすごいところ。実際に、先ほど言った「いつ」「どこで」などを文章として書き出し、この一句に付け足してみると、見事に小説の一文として完成するだろうことがわかる。世の中の小説家に俳句をたしなみとする人が多いのはそのせいかもしれない。

俳句作家・日野草城も言っていたけど、「俳句に不可能はない」というのはあながちうそではないようだ。