天性の「逆ひきこもり」がお届けする、あちこち(九州中心)ガイド。今回は、熊本県山鹿市内にある日輪寺をご紹介いたします。
山鹿・菊池を統治していた、菊池氏の禅寺として有名なお寺、だそうです。わたくしも、このたび行ってみて、はじめて知りました。
目当てはお寺ではなく、このお寺で毎年開かれている『つつじ祭り』。このお祭りも、熊本の地方紙で知りました。俳句作家にとって、その季節にどういう場所で、どんな花が咲くかというような情報を集めるのは、基本中の基本なんです。ただ、見えたものを読む、というような態度では俳句はできません。ジーサン・バーサンの頭の体操だけでない、まるで乗りテツ(全国各地の鉄道に乗ることを至福とする、鉄道ファンのこと)のように俳句作家はアクティブです。
このお寺は、境内がある小高い丘のふもとから頂上に至るまで、丘陵に沿ってびっしりとつつじの木が植えられていて、4月中旬から5月上旬にかけて、赤・白・紫などのつつじがワッと咲き誇ります。この期間中に行われる「日輪寺つつじ祭り」は、熊本県北の春のお祭りとして人気があるとのこと。
場所を検索して、行ってみました。基本的には、本堂があるだけの普通のお寺にもかかわらず、お祭りがあるようなお寺ですから、大きな駐車場がありまして、入っていきますと、いきなり400円の駐車料金を取られました……。いつも思うのですが、こういう地方のイベントの駐車場の料金って、高いですよね。どうにかならないかな?(一心行の大桜の会場は、600円でした。信じられん!)
この駐車場から見えるつつじも、なかなかきれいだったのですが、どうせ来たのだからと境内を散策することに……。
つつじだけでなく、このお寺に来た理由のひとつに、「とんでもない大仏像を見る」というのがありました。そのだいぶつというのが、こちら……。
うーん。奇妙だ。(笑) これを見るにも、また400円の拝観料を払わないと見れなかったりします。(苦笑)
これ、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)という釈迦の弟子の像なんです。(参照)
世の中に、この賓頭盧尊者の大仏というのはここだけではないでしょうか。しかも、この像。マッサージチェアに寄りかかっているような格好で半分寝ているような姿をしてします。(半臥、と説明されていました) 仏像マニアのわたくしですが、そんな格好の像は今まで聞いたことがありません。しかも、なんと、全高30mもあるんだそうですよ。
像の両脇には階段があり、そこを上りきると、像の肩口が扉になっていて、中に入ることができます。入ってみると、この大仏と同じ格好をした賓頭盧尊者が、今度は完全に仰向けに寝ている姿で祀られているではありませんか。賓頭盧尊者は、主に坐像で知られます。こんな無愛想な「おびんずるさま」は見たことがありません。
あきれ返っていると、奥の壁が刳り貫いてあって、そこに、なんともまっとうな賓頭盧尊者坐像が祀られていました。
身体を赤く塗り、頭や顔の塗料がはがれているのは、参拝に来た信者が丁寧に撫でながら病気平癒を祈願した証拠。
ここで、ひとつ気付きました。
この賓頭盧尊者坐像は、もともと本堂脇に据えられていたものだったのではないでしょうか? 「おびんずるさま」であるならば、そうでないとおかしい。
本堂の改築や境内の整備のために、移動が余儀なくされ、いったんどこかに移ったものを、寺の何百周年かの行事で
「どうせなら、大仏を建立してその中に安置しよう」
という計画が立ったにもかかわらず、急な丘陵地であることと、地質の問題(または法律の問題か)などで、丘陵に沿った作り方にしなければならなかった……。
こんなへんてこな推理を勝手に立ててしまいました。
「本日はおまいり、ありがとうございます。ご参拝の折に、この『びんずる香』をお焚きになると、よりご利益が増しますよ。一本300円で……」
中の管理人の方にそういわれましたが、丁重にお断りいたしました。なんぼ、小銭をせびるんでしょう、ここは。(笑)
でも、この撫で仏は、実にまっとうで、繊細な造りのものでした。
また、公園化している丘陵から望むつつじは、それはそれはきれいでした。
赤つつじ欲深さうに咲きにけり
つつじ「本人」には失礼かもしれませんが、花をひしめき合って咲く姿に、なんとなくそう感じてしまいました。
来年は、鹿児島の深山霧島がみたいな……。あ。わたくしも、かなり強欲ですね。(笑)
山鹿・菊池を統治していた、菊池氏の禅寺として有名なお寺、だそうです。わたくしも、このたび行ってみて、はじめて知りました。
目当てはお寺ではなく、このお寺で毎年開かれている『つつじ祭り』。このお祭りも、熊本の地方紙で知りました。俳句作家にとって、その季節にどういう場所で、どんな花が咲くかというような情報を集めるのは、基本中の基本なんです。ただ、見えたものを読む、というような態度では俳句はできません。ジーサン・バーサンの頭の体操だけでない、まるで乗りテツ(全国各地の鉄道に乗ることを至福とする、鉄道ファンのこと)のように俳句作家はアクティブです。
このお寺は、境内がある小高い丘のふもとから頂上に至るまで、丘陵に沿ってびっしりとつつじの木が植えられていて、4月中旬から5月上旬にかけて、赤・白・紫などのつつじがワッと咲き誇ります。この期間中に行われる「日輪寺つつじ祭り」は、熊本県北の春のお祭りとして人気があるとのこと。
場所を検索して、行ってみました。基本的には、本堂があるだけの普通のお寺にもかかわらず、お祭りがあるようなお寺ですから、大きな駐車場がありまして、入っていきますと、いきなり400円の駐車料金を取られました……。いつも思うのですが、こういう地方のイベントの駐車場の料金って、高いですよね。どうにかならないかな?(一心行の大桜の会場は、600円でした。信じられん!)
この駐車場から見えるつつじも、なかなかきれいだったのですが、どうせ来たのだからと境内を散策することに……。
つつじだけでなく、このお寺に来た理由のひとつに、「とんでもない大仏像を見る」というのがありました。そのだいぶつというのが、こちら……。
うーん。奇妙だ。(笑) これを見るにも、また400円の拝観料を払わないと見れなかったりします。(苦笑)
これ、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)という釈迦の弟子の像なんです。(参照)
世の中に、この賓頭盧尊者の大仏というのはここだけではないでしょうか。しかも、この像。マッサージチェアに寄りかかっているような格好で半分寝ているような姿をしてします。(半臥、と説明されていました) 仏像マニアのわたくしですが、そんな格好の像は今まで聞いたことがありません。しかも、なんと、全高30mもあるんだそうですよ。
像の両脇には階段があり、そこを上りきると、像の肩口が扉になっていて、中に入ることができます。入ってみると、この大仏と同じ格好をした賓頭盧尊者が、今度は完全に仰向けに寝ている姿で祀られているではありませんか。賓頭盧尊者は、主に坐像で知られます。こんな無愛想な「おびんずるさま」は見たことがありません。
あきれ返っていると、奥の壁が刳り貫いてあって、そこに、なんともまっとうな賓頭盧尊者坐像が祀られていました。
身体を赤く塗り、頭や顔の塗料がはがれているのは、参拝に来た信者が丁寧に撫でながら病気平癒を祈願した証拠。
ここで、ひとつ気付きました。
この賓頭盧尊者坐像は、もともと本堂脇に据えられていたものだったのではないでしょうか? 「おびんずるさま」であるならば、そうでないとおかしい。
本堂の改築や境内の整備のために、移動が余儀なくされ、いったんどこかに移ったものを、寺の何百周年かの行事で
「どうせなら、大仏を建立してその中に安置しよう」
という計画が立ったにもかかわらず、急な丘陵地であることと、地質の問題(または法律の問題か)などで、丘陵に沿った作り方にしなければならなかった……。
こんなへんてこな推理を勝手に立ててしまいました。
「本日はおまいり、ありがとうございます。ご参拝の折に、この『びんずる香』をお焚きになると、よりご利益が増しますよ。一本300円で……」
中の管理人の方にそういわれましたが、丁重にお断りいたしました。なんぼ、小銭をせびるんでしょう、ここは。(笑)
でも、この撫で仏は、実にまっとうで、繊細な造りのものでした。
また、公園化している丘陵から望むつつじは、それはそれはきれいでした。
赤つつじ欲深さうに咲きにけり
つつじ「本人」には失礼かもしれませんが、花をひしめき合って咲く姿に、なんとなくそう感じてしまいました。
来年は、鹿児島の深山霧島がみたいな……。あ。わたくしも、かなり強欲ですね。(笑)
※また、この文章を「それでも」モーニング娘。と、そのファンを卑下するものどもに叩き付ける
(上の写真は、モーニング娘。リーダー・吉澤ひとみ)
「俳句は希望の詩」と去年の終わりに書きましたが、松の内も過ぎて、まだ間もないというのに、「希望」というには悲しすぎる出来事ばかり起こっているような気がします。
二件もバラバラ殺人事件が起り、また青少年の暴動や虐め(あえて漢字表記にする)による報道などもひっきりなしにあります。
「われわれ」にとって身近なところでは、モーニング娘。のリーダー・吉澤ひとみさん(21)の弟、弘太(こうた)さんが、十六歳という若さで交通事故によって亡くなられるというショッキングな事件がありました。(参照記事)
事故があった場所は新宿区神楽坂下交差点。JR飯田橋駅西口近く。わたくしが能楽師見習い時代に通っていた稽古場のすぐそば。まさしく自宅であった新宿区牛込地区から稽古場へ通うときはそこをよく通りました。新宿~秋葉原間の交通の要所として車の往来も激しく、神楽坂は古い料理屋やディスコのある歓楽街として、飯田橋は法政大学や白百合女子学園など多くの名門校のある学生街として栄える、人間の往来も激しいところです。
吉澤弘太さんは、自転車で神楽坂を滑り降りて学生街の飯田橋へ通学の途中、新宿方面から突っ込んできた乗用車にはねられて即死だったそうです。
神楽坂は降りるとなれば、一番下側が、急にジェットコースターが落ちるような角度になっていて、わたくしも神楽坂を自転車で走行中、その急坂で勢いが付いてブレーキが聞かず、赤信号の手前で止まり損ねて冷や汗を掻いたことがあります。以来、坂では自転車を降りるようになりました。それくらい恐いところ。
弘太さんがその坂の餌食になったかどうかは分かりませんが、ともかくも、一人の少年が不慮の事故で尊い命を失う不幸は、その姉である吉澤ひとみにとって、どれだけの悲哀だったことでしょう。テレビやラジオ番組などで、メンバーそれぞれの家族の話題があれば、彼女は必ずこの弘太さんのことを話し、手のかかるやんちゃな弟だが、2人いる弟の中で一番かわいいと、母親のような目線で溺愛していました。新聞記事では、号泣で憔悴激しいとありましたが、実際の彼女の姿は、ファンであるわれわれが想像しても想像しきれません。
多くのファンが同情しました。なにしろ、彼女は正月二日のコンサートのコメントで、モーニング娘。を卒業する胸を発表したばかり。(参照記事)「一般アイドルの人気も四年が区切り」といわれる芸能界において、2000年のモーニング娘。加入から、はや七年のキャリアを持ち、多くの根強いファンに支えられた彼女。一時は飄々とした性格から、「日和見」とも「昼行灯」とも見られ中傷されたこともありましたが、三代目リーダーの矢口真里が若手俳優との逢瀬をフライデーされたことによる突然の脱退のあとのモーニング娘。を、見事に本来の行動力で統率しきって見せました。まるで『三年飛ばず鳴かず』(中国の故事。伍挙という臣下が荘王に「阜というところに三年枝に止まって鳴かない鳥がいるが、これはどういうことでしょうか?」と問うたところ、王は「それは一度飛べば千里を翔け、万里に行き渡る鳴き声を蓄えているのだ」と答えたこと)のようです。
事故によって心配したファンは、「この時期に、しかもこんなにショックの大きい彼女を卒業に追いやって何の得があるのか」などと卒業を決めたプロダクションに疑問符を投げかけました。
それでも、彼女は事故の三日後の大阪でのコンサートのステージに立つと言い切ったそうです。(参照記事)
一度飛ぶと決めた鳥は、本当に千里を翔け抜け、万里に届く歌声を満面の笑みで歌いきりました。
大阪のコンサート会場に駆けつけたファンは、会場の中のみならず、その外にまで溢れかえり、みな笑顔の中に涙を浮かべていたそうです。
彼女は本来ならば、コンサートの出演をキャンセルして亡き弟の葬儀を行うべきなのでしょうが、それを先に延ばし、ステージに立つことを優先しました。
もし、自分が欠員すれば、ステージ構成やモーニング娘。メンバーらにも迷惑がかかる。なにより、ファンのみんなに心配をかけたくない。泣いている姿を見てみんなが喜ぶだろうか……。
……稀代の能楽師、櫻間金太郎師が身罷られたときは雨の日だったそうです。
長らく病床にあって、弟子たちが師の舞台を代役で穴埋めしていたその最中でした。
その日の能の公演が終わって、舞台から戻ったときには、もうこの世にはいらっしゃらなかったそうです。
みな、偉大な師の急逝に嘆き悲しみましたが、その夜に仮通夜だけを済ませ、翌日には喪服を脱いで舞台に上がったそうです……。
ひとつの公演があり、その舞台を楽しみにしているファンがいる。
舞台に上がる人種を、アイドルと能楽師とで差別する必要があるでしょうか?
それほど、能や歌舞伎などの伝統芸能は高尚で、アイドルの歌は下等でくだらなく、卑猥で低俗なものでしょうか?
人間が感動するのに、高尚とか、卑俗だとかいう差別があっていいのでしょうか?
感動する心は誰でもひとつの心から発せられるものだと考えます。
なにゆえ、アイドルの楽曲やあり方を卑下するのですか?
彼女らの容姿や歌声だけでなく、必死にひとつのステージを仕上げようとする彼女たちの真剣さ、エンターテイナーとしてのプロ根性、そういうものにわれわれファンは惹かれてなりません。
彼女からも、また、他人に感動を与える仕事をしているのです。
吉澤弘太さんは、アイドルの弟であることで、周囲の視線を気にしたり、また周囲からも横目で見られたりと苦労もあったようです。
それでも、大勢のファンの前で声を張り、全身を使って楽しそうに踊り、みんなに感動を与えようと努力する彼女の姿を誇りに思っていたそうです。
姉のひとみさんは、クリスマスと誕生日には必ずプレゼントを渡し(メンバーに渡し忘れることはあったそうな。これも彼女らしい。←笑) 忙しくて帰宅が遅くなったときでも、彼の寝顔を見ることだけは欠かしませんでした。
姉が芸能界という派手な仕事についていることから、将来就くなら、自分はむしろ地味な仕事をと、なによりも姉のことを一番に気遣う弟さんだったそうです。
これでも、彼女らが、われわれファンに与える感動を「ウソ物で安っぽい」と言い張りますか。
弟の突然の死に、一人の女性が号泣した、その涙を「ウソ物」と言いますか。
そこまで、われわれモーニング娘。ファンを、そしてモーニング娘。を卑下するあなたがたには、人間の血が通ってないのですか。
われわれモーニング娘。ファンは、ことあるごとに「気持ち悪い」「気が狂っている」「あんなアイドル風情のどこがいいのだ?」などと、卑下され、揶揄され、中傷され、大都市から遠方にいる辺境のファンたちにとっては、そのコンサートを観ることすら「人間のやることか」とまでいわれてしまう。モーニング娘。が誕生して十周年。この十年は辺境のファンのわれわれにとって、まさに苦難の旅路でした。わたくしはこれを、仏法を広めようと往来の人たちに話しかけようとして非難を浴びる僧侶の有様になぞらえて「法難」と呼びました。
この法難に、どんな思いで耐えてきたことでしょう。わたくしは、持っているモーニング娘。の写真やらポスターやら写真集やら出演番組を録画したVTRなどをことごとく焼き払われた過去があります。(正直コレは、犯罪ですよね)
今ここに、われわれが声援を送り続けてやまないモーニング娘。のメンバーが、まさしく真実にエンターテイナーであることを、この法難を擦り付けるものどもに訴えることができます。
弘太氏が実の姉の仕事を素晴らしいものだと誇りに思っていた事実。それに必死に答え続けてきた姉の姿。
この真実こそ、われわれファンにとってこれからの心の支えになっていくのではないでしょうか。
弟さんの死に、われわれは、ただただ悲しみました。とくに四期メンバーの加入(吉澤は2000年に四期メンバーとして加入)からモーニング娘。ファンのわたくしにとっては、実の弟の死に直面したようでした。
寒空が死にたいほどに晴れてゐる
彼に対するせめてもの哀悼の意をこめた弔句です。
でも、いま読み返してみて思います。この青空は、決して悲しみに溢れた空ではないと。この青空が真夜中の闇に変わったとしても、必ずまた、今度はわくわくするような真っ青な空が待っているはずです。
ああ……。ほんとうに「俳句は希望の詩」なんだと実感しました。
(上の写真は、モーニング娘。リーダー・吉澤ひとみ)
「俳句は希望の詩」と去年の終わりに書きましたが、松の内も過ぎて、まだ間もないというのに、「希望」というには悲しすぎる出来事ばかり起こっているような気がします。
二件もバラバラ殺人事件が起り、また青少年の暴動や虐め(あえて漢字表記にする)による報道などもひっきりなしにあります。
「われわれ」にとって身近なところでは、モーニング娘。のリーダー・吉澤ひとみさん(21)の弟、弘太(こうた)さんが、十六歳という若さで交通事故によって亡くなられるというショッキングな事件がありました。(参照記事)
事故があった場所は新宿区神楽坂下交差点。JR飯田橋駅西口近く。わたくしが能楽師見習い時代に通っていた稽古場のすぐそば。まさしく自宅であった新宿区牛込地区から稽古場へ通うときはそこをよく通りました。新宿~秋葉原間の交通の要所として車の往来も激しく、神楽坂は古い料理屋やディスコのある歓楽街として、飯田橋は法政大学や白百合女子学園など多くの名門校のある学生街として栄える、人間の往来も激しいところです。
吉澤弘太さんは、自転車で神楽坂を滑り降りて学生街の飯田橋へ通学の途中、新宿方面から突っ込んできた乗用車にはねられて即死だったそうです。
神楽坂は降りるとなれば、一番下側が、急にジェットコースターが落ちるような角度になっていて、わたくしも神楽坂を自転車で走行中、その急坂で勢いが付いてブレーキが聞かず、赤信号の手前で止まり損ねて冷や汗を掻いたことがあります。以来、坂では自転車を降りるようになりました。それくらい恐いところ。
弘太さんがその坂の餌食になったかどうかは分かりませんが、ともかくも、一人の少年が不慮の事故で尊い命を失う不幸は、その姉である吉澤ひとみにとって、どれだけの悲哀だったことでしょう。テレビやラジオ番組などで、メンバーそれぞれの家族の話題があれば、彼女は必ずこの弘太さんのことを話し、手のかかるやんちゃな弟だが、2人いる弟の中で一番かわいいと、母親のような目線で溺愛していました。新聞記事では、号泣で憔悴激しいとありましたが、実際の彼女の姿は、ファンであるわれわれが想像しても想像しきれません。
多くのファンが同情しました。なにしろ、彼女は正月二日のコンサートのコメントで、モーニング娘。を卒業する胸を発表したばかり。(参照記事)「一般アイドルの人気も四年が区切り」といわれる芸能界において、2000年のモーニング娘。加入から、はや七年のキャリアを持ち、多くの根強いファンに支えられた彼女。一時は飄々とした性格から、「日和見」とも「昼行灯」とも見られ中傷されたこともありましたが、三代目リーダーの矢口真里が若手俳優との逢瀬をフライデーされたことによる突然の脱退のあとのモーニング娘。を、見事に本来の行動力で統率しきって見せました。まるで『三年飛ばず鳴かず』(中国の故事。伍挙という臣下が荘王に「阜というところに三年枝に止まって鳴かない鳥がいるが、これはどういうことでしょうか?」と問うたところ、王は「それは一度飛べば千里を翔け、万里に行き渡る鳴き声を蓄えているのだ」と答えたこと)のようです。
事故によって心配したファンは、「この時期に、しかもこんなにショックの大きい彼女を卒業に追いやって何の得があるのか」などと卒業を決めたプロダクションに疑問符を投げかけました。
それでも、彼女は事故の三日後の大阪でのコンサートのステージに立つと言い切ったそうです。(参照記事)
一度飛ぶと決めた鳥は、本当に千里を翔け抜け、万里に届く歌声を満面の笑みで歌いきりました。
大阪のコンサート会場に駆けつけたファンは、会場の中のみならず、その外にまで溢れかえり、みな笑顔の中に涙を浮かべていたそうです。
彼女は本来ならば、コンサートの出演をキャンセルして亡き弟の葬儀を行うべきなのでしょうが、それを先に延ばし、ステージに立つことを優先しました。
もし、自分が欠員すれば、ステージ構成やモーニング娘。メンバーらにも迷惑がかかる。なにより、ファンのみんなに心配をかけたくない。泣いている姿を見てみんなが喜ぶだろうか……。
……稀代の能楽師、櫻間金太郎師が身罷られたときは雨の日だったそうです。
長らく病床にあって、弟子たちが師の舞台を代役で穴埋めしていたその最中でした。
その日の能の公演が終わって、舞台から戻ったときには、もうこの世にはいらっしゃらなかったそうです。
みな、偉大な師の急逝に嘆き悲しみましたが、その夜に仮通夜だけを済ませ、翌日には喪服を脱いで舞台に上がったそうです……。
ひとつの公演があり、その舞台を楽しみにしているファンがいる。
舞台に上がる人種を、アイドルと能楽師とで差別する必要があるでしょうか?
それほど、能や歌舞伎などの伝統芸能は高尚で、アイドルの歌は下等でくだらなく、卑猥で低俗なものでしょうか?
人間が感動するのに、高尚とか、卑俗だとかいう差別があっていいのでしょうか?
感動する心は誰でもひとつの心から発せられるものだと考えます。
なにゆえ、アイドルの楽曲やあり方を卑下するのですか?
彼女らの容姿や歌声だけでなく、必死にひとつのステージを仕上げようとする彼女たちの真剣さ、エンターテイナーとしてのプロ根性、そういうものにわれわれファンは惹かれてなりません。
彼女からも、また、他人に感動を与える仕事をしているのです。
吉澤弘太さんは、アイドルの弟であることで、周囲の視線を気にしたり、また周囲からも横目で見られたりと苦労もあったようです。
それでも、大勢のファンの前で声を張り、全身を使って楽しそうに踊り、みんなに感動を与えようと努力する彼女の姿を誇りに思っていたそうです。
姉のひとみさんは、クリスマスと誕生日には必ずプレゼントを渡し(メンバーに渡し忘れることはあったそうな。これも彼女らしい。←笑) 忙しくて帰宅が遅くなったときでも、彼の寝顔を見ることだけは欠かしませんでした。
姉が芸能界という派手な仕事についていることから、将来就くなら、自分はむしろ地味な仕事をと、なによりも姉のことを一番に気遣う弟さんだったそうです。
これでも、彼女らが、われわれファンに与える感動を「ウソ物で安っぽい」と言い張りますか。
弟の突然の死に、一人の女性が号泣した、その涙を「ウソ物」と言いますか。
そこまで、われわれモーニング娘。ファンを、そしてモーニング娘。を卑下するあなたがたには、人間の血が通ってないのですか。
われわれモーニング娘。ファンは、ことあるごとに「気持ち悪い」「気が狂っている」「あんなアイドル風情のどこがいいのだ?」などと、卑下され、揶揄され、中傷され、大都市から遠方にいる辺境のファンたちにとっては、そのコンサートを観ることすら「人間のやることか」とまでいわれてしまう。モーニング娘。が誕生して十周年。この十年は辺境のファンのわれわれにとって、まさに苦難の旅路でした。わたくしはこれを、仏法を広めようと往来の人たちに話しかけようとして非難を浴びる僧侶の有様になぞらえて「法難」と呼びました。
この法難に、どんな思いで耐えてきたことでしょう。わたくしは、持っているモーニング娘。の写真やらポスターやら写真集やら出演番組を録画したVTRなどをことごとく焼き払われた過去があります。(正直コレは、犯罪ですよね)
今ここに、われわれが声援を送り続けてやまないモーニング娘。のメンバーが、まさしく真実にエンターテイナーであることを、この法難を擦り付けるものどもに訴えることができます。
弘太氏が実の姉の仕事を素晴らしいものだと誇りに思っていた事実。それに必死に答え続けてきた姉の姿。
この真実こそ、われわれファンにとってこれからの心の支えになっていくのではないでしょうか。
弟さんの死に、われわれは、ただただ悲しみました。とくに四期メンバーの加入(吉澤は2000年に四期メンバーとして加入)からモーニング娘。ファンのわたくしにとっては、実の弟の死に直面したようでした。
寒空が死にたいほどに晴れてゐる
彼に対するせめてもの哀悼の意をこめた弔句です。
でも、いま読み返してみて思います。この青空は、決して悲しみに溢れた空ではないと。この青空が真夜中の闇に変わったとしても、必ずまた、今度はわくわくするような真っ青な空が待っているはずです。
ああ……。ほんとうに「俳句は希望の詩」なんだと実感しました。
毎年、7月23日は肥後国・熊本を治めていた加藤清正公の祥月命日に当たる。菩提寺である山寺、日蓮宗發星山(ほっしょうざん)本妙寺では、毎年この日に「頓写会(とんしゃえ)」が催される。この「頓写」には、一晩で日蓮宗ならば法華経を全巻書き写すという意味があるが、現在では主要な経文を読経するくらいで終わっているようだ。
その昔はちゃんと一晩かけて頓写したり読経したりしていたのであろう、本廟から山門、その下の商店街に至るまで長々と続く夜店は、明くる朝まで厭きることなくたくましく商売していた。現在では、きっちり11時までと決まっている。
それでも、ここ最近はすっかり寂れてしまった商店街も、このときばかりは多くの人出でにぎわう。
元来、本妙寺は清正公を神と同格として祀り、肥後の守護神として信仰を集めてきた。頓写会の日、人々は清正公の亡骸の眠る本廟に参って上半期およそ半年の厄を落とし、これから先の秋も冬も平安に過ごせるようにと願う。また、お坊さんから「笹の御守り」を受けてこれを家の居間に飾る。この「笹の御守り」は、いわば初詣のときに神社で受ける破魔矢のようなもので、小笹に護符と小さな張子の虎がつるしてある。これは、豊臣秀吉が朝鮮出兵を号令した折りに進軍した加藤清正が、山奥の竹やぶに踏み迷って猛虎と遭遇したが、得意の長槍をもって突き殺したという伝説によるもので、厄災退散・家内安全の意味がある。(一本、1000円なり。むかしはもっと安かった)一年間家の中に飾って、すっかり枯れてしまった笹の御守りは、また寺に戻すことになっている。
だが、これらの頓写会にまつわる縁起や祭りの意義などを理解する人間は、ほとんどいなくなったといっても差し支えない。ほとんどの人間は、長々と参道に続く夜店目当てである。参道を埋め尽くす若者たちは、「とんしゃ」と聞けば「夜店」と答えるだろう。……ま、かくいうわたくしも小さいころは夜店のことを「とんしゃ」というのかと誤解していたが。(笑)
頓写会の日、毎年7月23日は梅雨が明けるか明けないかという微妙な天候で、大概は曇りか小雨と相場が決まっている。だが、2006年の今年はとんでもない年となった。
梅雨前線が九州地方に猛威を振るったのだ。
四五日前から熊本は想像を絶する豪雨続き。わたくしの家の近くを流れる井芹川はこの間に三回も洪水警戒水位を超えた。
後で知ったことだが、南の鹿児島県のさつま町や湧水町では家屋が流される大洪水だったそうだ。大丈夫だと思うが、万が一でも、もしかしたらしたら思うと身の毛のよだつ気持ちになる。
わたくしの実家である料理屋は、この時期には頓写会にくる人々の休憩所的な役割をするが、今年ばかりは人でも少なくなるだろうと従業員一同が暗い表情となった。
予想は的中。当日は朝から大雨。夜店の営業が始まり、商店街が歩行者天国になる午後5時あたりも断続的な大雨だった。
そんななか、店の中が若干ヒマだったのもあるのだろう、「ねぇ、だれか『笹の御守り』買ってきてよ」という話がおこる。従業員のほとんどは、毎年頓写会に身近に接していながら、頓写会に来る人々の接待であまりにも店の中が忙しくなるため、笹の御守りを買いにいったことがないのだ。「そういえば、オレもちっちゃいころにしか行ったことないな~」と漏らすと、「だったら、ハルちゃん。行ってきてよ!」と、よりによってそんなことになってしまった。
外は大雨。それでも商魂たくましい夜店の連中は、煌々と明かりをつけて客の呼び込みをしているが、肝心の客は大雨のためにまばらになっている。いつもならばちょっとの雨だったとしても、参道には多くの人が押し寄せ、人ごみで両肩が押しつぶされるような思いをするのだが、道の真ん中を人をよけることなく歩いている。たしかに、今年は異常だ。でも、小さい傘の中で窮屈な思いをしていたので、感覚的には変わらないが……。
「とんしゃ名物、冷し飴ぇー! 甘こーてうまいの、甘こーておいしーのー!」
子供のころは頓写会は友達連中と、長々と続く夜店の中でどの店の何がうまいのかを講評しあったものだ。その友達連中からは不評だったが、わたくしだけがなんとなくファンだったのに、この冷し飴がある。(写真参照)わたくしが子供のころからあるのだから、もう30年以上は店を出し続けているのだろう。真っ赤な樽の中に水飴を氷水で溶かしたものがあり、店のオバちゃんはしがれた声でこの売り声を叫びながら、樽に突っ込んだ棒を掻き回している。樽の中の氷が棒に当たってガラガラと涼しげな音を立てる風情がたまらない。雨宿りと懐かしさに惹かれて一杯買い求めることにする。300円なり。
「今年は災難ですねー」
と、屈託のない笑顔を見せながら、売り声と変わらないしがれ声でオバちゃんが話しかけてきた。たしかに、雨の中を御守りを買いにいくわれわれも大変だが、もっと大変なのは夜店をやっている人たちだろう。茶色みがかった飴色の液体を、大きなコップになみなみと注がれたのを受け取ると、思わず苦笑いが出た。
「雨雲が消える兆しないですもんねぇ~」
と、冷し飴をすすりながら空の様子を伺うと、漆黒の夜空を、どす黒い雨雲の塊が次から次へと疾駆しているのが見て取れた。
雲行きて行きても雨や冷し飴
化学製品の糖類にはない冷し飴の素朴な甘さは、いつもならば少しの安堵感を感じるものだったが、今日ばかりはなんとなく胃にもたれるようなストレスを感じた。それは量の多さからではなく、このあまりにも降り過ぎる雨のせいにしておこう。そう思った。
(続く)
その昔はちゃんと一晩かけて頓写したり読経したりしていたのであろう、本廟から山門、その下の商店街に至るまで長々と続く夜店は、明くる朝まで厭きることなくたくましく商売していた。現在では、きっちり11時までと決まっている。
それでも、ここ最近はすっかり寂れてしまった商店街も、このときばかりは多くの人出でにぎわう。
元来、本妙寺は清正公を神と同格として祀り、肥後の守護神として信仰を集めてきた。頓写会の日、人々は清正公の亡骸の眠る本廟に参って上半期およそ半年の厄を落とし、これから先の秋も冬も平安に過ごせるようにと願う。また、お坊さんから「笹の御守り」を受けてこれを家の居間に飾る。この「笹の御守り」は、いわば初詣のときに神社で受ける破魔矢のようなもので、小笹に護符と小さな張子の虎がつるしてある。これは、豊臣秀吉が朝鮮出兵を号令した折りに進軍した加藤清正が、山奥の竹やぶに踏み迷って猛虎と遭遇したが、得意の長槍をもって突き殺したという伝説によるもので、厄災退散・家内安全の意味がある。(一本、1000円なり。むかしはもっと安かった)一年間家の中に飾って、すっかり枯れてしまった笹の御守りは、また寺に戻すことになっている。
だが、これらの頓写会にまつわる縁起や祭りの意義などを理解する人間は、ほとんどいなくなったといっても差し支えない。ほとんどの人間は、長々と参道に続く夜店目当てである。参道を埋め尽くす若者たちは、「とんしゃ」と聞けば「夜店」と答えるだろう。……ま、かくいうわたくしも小さいころは夜店のことを「とんしゃ」というのかと誤解していたが。(笑)
頓写会の日、毎年7月23日は梅雨が明けるか明けないかという微妙な天候で、大概は曇りか小雨と相場が決まっている。だが、2006年の今年はとんでもない年となった。
梅雨前線が九州地方に猛威を振るったのだ。
四五日前から熊本は想像を絶する豪雨続き。わたくしの家の近くを流れる井芹川はこの間に三回も洪水警戒水位を超えた。
後で知ったことだが、南の鹿児島県のさつま町や湧水町では家屋が流される大洪水だったそうだ。大丈夫だと思うが、万が一でも、もしかしたらしたら思うと身の毛のよだつ気持ちになる。
わたくしの実家である料理屋は、この時期には頓写会にくる人々の休憩所的な役割をするが、今年ばかりは人でも少なくなるだろうと従業員一同が暗い表情となった。
予想は的中。当日は朝から大雨。夜店の営業が始まり、商店街が歩行者天国になる午後5時あたりも断続的な大雨だった。
そんななか、店の中が若干ヒマだったのもあるのだろう、「ねぇ、だれか『笹の御守り』買ってきてよ」という話がおこる。従業員のほとんどは、毎年頓写会に身近に接していながら、頓写会に来る人々の接待であまりにも店の中が忙しくなるため、笹の御守りを買いにいったことがないのだ。「そういえば、オレもちっちゃいころにしか行ったことないな~」と漏らすと、「だったら、ハルちゃん。行ってきてよ!」と、よりによってそんなことになってしまった。
外は大雨。それでも商魂たくましい夜店の連中は、煌々と明かりをつけて客の呼び込みをしているが、肝心の客は大雨のためにまばらになっている。いつもならばちょっとの雨だったとしても、参道には多くの人が押し寄せ、人ごみで両肩が押しつぶされるような思いをするのだが、道の真ん中を人をよけることなく歩いている。たしかに、今年は異常だ。でも、小さい傘の中で窮屈な思いをしていたので、感覚的には変わらないが……。
「とんしゃ名物、冷し飴ぇー! 甘こーてうまいの、甘こーておいしーのー!」
子供のころは頓写会は友達連中と、長々と続く夜店の中でどの店の何がうまいのかを講評しあったものだ。その友達連中からは不評だったが、わたくしだけがなんとなくファンだったのに、この冷し飴がある。(写真参照)わたくしが子供のころからあるのだから、もう30年以上は店を出し続けているのだろう。真っ赤な樽の中に水飴を氷水で溶かしたものがあり、店のオバちゃんはしがれた声でこの売り声を叫びながら、樽に突っ込んだ棒を掻き回している。樽の中の氷が棒に当たってガラガラと涼しげな音を立てる風情がたまらない。雨宿りと懐かしさに惹かれて一杯買い求めることにする。300円なり。
「今年は災難ですねー」
と、屈託のない笑顔を見せながら、売り声と変わらないしがれ声でオバちゃんが話しかけてきた。たしかに、雨の中を御守りを買いにいくわれわれも大変だが、もっと大変なのは夜店をやっている人たちだろう。茶色みがかった飴色の液体を、大きなコップになみなみと注がれたのを受け取ると、思わず苦笑いが出た。
「雨雲が消える兆しないですもんねぇ~」
と、冷し飴をすすりながら空の様子を伺うと、漆黒の夜空を、どす黒い雨雲の塊が次から次へと疾駆しているのが見て取れた。
雲行きて行きても雨や冷し飴
化学製品の糖類にはない冷し飴の素朴な甘さは、いつもならば少しの安堵感を感じるものだったが、今日ばかりはなんとなく胃にもたれるようなストレスを感じた。それは量の多さからではなく、このあまりにも降り過ぎる雨のせいにしておこう。そう思った。
(続く)
熊本の県民性なのか、流行りもの好きな人間が多い。これを方言でワサモンとかいう。
この頃の秋葉原系のオタク文化の流行に合わせて、この熊本にもメイド喫茶がオープンした。店名『きゅーる』 シャワー通りの通り沿い、中程のフレンチレストランの隣のビルの二階。
入るなり、言われた。
「おかえりなさいませ。ご主人さま!」
あー、噂に聞いた「ご主人さま」とはこれか。
たしかに、メイド風の衣装をきたウエイトレスがいる。オープンしたてとあってか、彼女たちも慣れていないのだろう。時々、「お客様」と言いそうになっている。商売とは、いろいろ大変である。
客は、オープンを待ち侘びていた方々や物珍しさに来てみたというような人間まで様々。なかなかの繁盛ぶり。
メニューは難解。普通に「ドリンク」「フード」などの項目がある中、「つめたいご主人様」「お堅いご主人様」「大きな萌え・小さな萌え」などなど……。
こういう場面で普通のメニューを頼んでもどうしようもあるまい。
あれこれ悩んでいると、ウエイトレスのひとりが、2000円を払ってこのメイド喫茶の会員になると、裏メニューが注文できたり、イベントに参加できたりするなどと説明してくれたが、とりあえず断る。
噂に聞いた「オムライスにケチャップでいろいろ書いてくれる」とかいうサービスが、この店でもゃっているらしいので、それと、謎の「お堅いご主人様」を注文する。ちなみに、セットで1300円ほどだったか。
注文を待っていると、サラリーマンらしい男四人組がカウンター席に通された。
わたくしは四人がけのテーブル席に通されていたので、わざわざ四人連れでカウンターへ席に座ることも無いだろうし、わたくしも隣りに「シャア専用」とか書いてある赤い椅子のある席にわびしく一人でいることもあるまいと、ウエイトレスの一人を呼んで席を交換したい旨を伝えた。そのコは戸惑っていたが、おずおずサラリーマンの一人に訊く。
「ありがとうございます。ご主人様!」
と、欣喜雀躍したのはサラリーマンの一人だった。どうやら、ここはある種のパラレルワールドらしい。
ウエイトレスのコが、席を移動する間にわたくしに、しきりに申し訳なさそうにしていたが、妙に気恥ずかしくなる。
「やさしいんですね」
などといわれるが、これは「萌え」などというものではないだろう。
しばらくすると、「お堅いご主人様でございます」とウエイトレスが一人封筒を持ってきた。なにをするのかと思っていたら、封筒の中にあるクイズをウエイトレスと同時に解き始め、客のほうがすばやく答えられたら、次回来店したときにドリンクをサービスされるそうな。結果はわたくしの勝ち。ここでも褒められる。
なるほど、このコミュニケーションが欲しいのだろう。ここに来る客は。
オムライスとドリンクが運ばれる。オムライスは見た目には普通のオムライス。
「なにか文字をお書きしましょうか?」
ああ。これだ、これだ。そう思ったが、とくにこれといったものを思いつかない。
突発的に「恋」という字を頼んだ。口の細いケチャップボトルで、このウエイトレスは写真でご覧のように、実に手の込んだものに仕上げた。こんな狭いところにハートまであしらうとは、象嵌の職人か。(笑)
味は、お世辞にも褒められたものではない。塩と胡椒で炒めたライスを、ただ薄焼き卵で巻いただけ。ケチャップ象嵌の量を、わたくしよりも多く頼む客がいるのでケチャップライスにしていないのかもしれない、とかなんとか思っていたものの、具も一切無いオムライスというものをはじめて食べた。なるほど、ここはウエイトレスとのコミュニケーションと、茶を飲むことだけが楽しめる空間なのかもしれない。
途中、
咳をして メイド喫茶に をりにけり
などと詠めた。物見遊山の客以外は、みな俯き加減にウエイレスが来る瞬間だけを待っているというような、どことなしかうら寂しさを感じた。
風邪が治りかけている今、どっと出た咳が、アニメソングが逡巡する店内に、どんよりと沈んでいくのを感じた。
会計を済ませて、
「いってらっしゃいませ、ご主人さま!」
と送り出された。
風俗店の待合室にただ居させられただけというか、コミケ会場を一周しただけというか、なんとも言いがたい気分だったが、「お堅いご主人様」のドリンクサービスが勿体なので、もう一回はこなければなるまいと思った、冬隣る一日だった。
この頃の秋葉原系のオタク文化の流行に合わせて、この熊本にもメイド喫茶がオープンした。店名『きゅーる』 シャワー通りの通り沿い、中程のフレンチレストランの隣のビルの二階。
入るなり、言われた。
「おかえりなさいませ。ご主人さま!」
あー、噂に聞いた「ご主人さま」とはこれか。
たしかに、メイド風の衣装をきたウエイトレスがいる。オープンしたてとあってか、彼女たちも慣れていないのだろう。時々、「お客様」と言いそうになっている。商売とは、いろいろ大変である。
客は、オープンを待ち侘びていた方々や物珍しさに来てみたというような人間まで様々。なかなかの繁盛ぶり。
メニューは難解。普通に「ドリンク」「フード」などの項目がある中、「つめたいご主人様」「お堅いご主人様」「大きな萌え・小さな萌え」などなど……。
こういう場面で普通のメニューを頼んでもどうしようもあるまい。
あれこれ悩んでいると、ウエイトレスのひとりが、2000円を払ってこのメイド喫茶の会員になると、裏メニューが注文できたり、イベントに参加できたりするなどと説明してくれたが、とりあえず断る。
噂に聞いた「オムライスにケチャップでいろいろ書いてくれる」とかいうサービスが、この店でもゃっているらしいので、それと、謎の「お堅いご主人様」を注文する。ちなみに、セットで1300円ほどだったか。
注文を待っていると、サラリーマンらしい男四人組がカウンター席に通された。
わたくしは四人がけのテーブル席に通されていたので、わざわざ四人連れでカウンターへ席に座ることも無いだろうし、わたくしも隣りに「シャア専用」とか書いてある赤い椅子のある席にわびしく一人でいることもあるまいと、ウエイトレスの一人を呼んで席を交換したい旨を伝えた。そのコは戸惑っていたが、おずおずサラリーマンの一人に訊く。
「ありがとうございます。ご主人様!」
と、欣喜雀躍したのはサラリーマンの一人だった。どうやら、ここはある種のパラレルワールドらしい。
ウエイトレスのコが、席を移動する間にわたくしに、しきりに申し訳なさそうにしていたが、妙に気恥ずかしくなる。
「やさしいんですね」
などといわれるが、これは「萌え」などというものではないだろう。
しばらくすると、「お堅いご主人様でございます」とウエイトレスが一人封筒を持ってきた。なにをするのかと思っていたら、封筒の中にあるクイズをウエイトレスと同時に解き始め、客のほうがすばやく答えられたら、次回来店したときにドリンクをサービスされるそうな。結果はわたくしの勝ち。ここでも褒められる。
なるほど、このコミュニケーションが欲しいのだろう。ここに来る客は。
オムライスとドリンクが運ばれる。オムライスは見た目には普通のオムライス。
「なにか文字をお書きしましょうか?」
ああ。これだ、これだ。そう思ったが、とくにこれといったものを思いつかない。
突発的に「恋」という字を頼んだ。口の細いケチャップボトルで、このウエイトレスは写真でご覧のように、実に手の込んだものに仕上げた。こんな狭いところにハートまであしらうとは、象嵌の職人か。(笑)
味は、お世辞にも褒められたものではない。塩と胡椒で炒めたライスを、ただ薄焼き卵で巻いただけ。ケチャップ象嵌の量を、わたくしよりも多く頼む客がいるのでケチャップライスにしていないのかもしれない、とかなんとか思っていたものの、具も一切無いオムライスというものをはじめて食べた。なるほど、ここはウエイトレスとのコミュニケーションと、茶を飲むことだけが楽しめる空間なのかもしれない。
途中、
咳をして メイド喫茶に をりにけり
などと詠めた。物見遊山の客以外は、みな俯き加減にウエイレスが来る瞬間だけを待っているというような、どことなしかうら寂しさを感じた。
風邪が治りかけている今、どっと出た咳が、アニメソングが逡巡する店内に、どんよりと沈んでいくのを感じた。
会計を済ませて、
「いってらっしゃいませ、ご主人さま!」
と送り出された。
風俗店の待合室にただ居させられただけというか、コミケ会場を一周しただけというか、なんとも言いがたい気分だったが、「お堅いご主人様」のドリンクサービスが勿体なので、もう一回はこなければなるまいと思った、冬隣る一日だった。
実は昨日あたりから、喉を病っており、やや風邪っぽくて苦しい。
わたくしのこういう病は、内科に行くよりも耳鼻咽喉科で治療すれば早い。
久しぶりに掛かり付けの耳鼻咽喉科に入る。ここは皮膚科も兼ねており、治りが早いと評判の医院で、いつも老若男女でごった返す。
子供が多いので、いつも『トム&ジェリー』のビデオを繰り返して流している。子供に雑じって大人もまじまじとテレビ画面に見入る姿は、若干滑稽でもある。
診察まで雑誌を拾い読みしながら、時間を潰すこと小一時間。長い。(笑)
診察は比較的短めに終わった。原因は疲労から喉の粘膜が弱ったからだと。疲れていても、勉強したり、パソコンしたりいろいろやることは多い身分には付きまとう病かも知れない。
終わってから、鼻の吸入器で鼻の中を浄化。長いこと待たされて、揚げ句の果てには、二本の管を鼻に突っ込まされるこの境遇を、我ながら情けなく思った。
壁向いて 鼻の吸入 冬隣
気が付けば、あと一週間ほどで立冬だ。
行く秋を惜しむ情けも、鼻の穴に突っ込んだ管が送る薬剤に噎せている間は、まったく余計な感情でしかなかった。
わたくしのこういう病は、内科に行くよりも耳鼻咽喉科で治療すれば早い。
久しぶりに掛かり付けの耳鼻咽喉科に入る。ここは皮膚科も兼ねており、治りが早いと評判の医院で、いつも老若男女でごった返す。
子供が多いので、いつも『トム&ジェリー』のビデオを繰り返して流している。子供に雑じって大人もまじまじとテレビ画面に見入る姿は、若干滑稽でもある。
診察まで雑誌を拾い読みしながら、時間を潰すこと小一時間。長い。(笑)
診察は比較的短めに終わった。原因は疲労から喉の粘膜が弱ったからだと。疲れていても、勉強したり、パソコンしたりいろいろやることは多い身分には付きまとう病かも知れない。
終わってから、鼻の吸入器で鼻の中を浄化。長いこと待たされて、揚げ句の果てには、二本の管を鼻に突っ込まされるこの境遇を、我ながら情けなく思った。
壁向いて 鼻の吸入 冬隣
気が付けば、あと一週間ほどで立冬だ。
行く秋を惜しむ情けも、鼻の穴に突っ込んだ管が送る薬剤に噎せている間は、まったく余計な感情でしかなかった。
昨日の白川水源吟行のことを。
写真は俵山トンネルを潜る手前の展望所にて。
この日は、実によく晴れた一日だった。熊本市内から南阿蘇までの間、まったく雲らしい雲もなく、素晴らしい快晴。
展望所が見えてきたので、先日吟行したときにまったく景色が見えなかったことを思い出して、すぐに駐車場へ車を入れる。
快晴だけに、えもいわれぬ眺望!
なんと、有明海から島原まで見えている。(写真ではわかりづらいでしょうが)
天高し 阿蘇から海を 望みけり
一句詠んだが、全然冴えない。(笑)
今、再考し直した。
遠海を 遥かに招く 尾花かな
こっちのほうがまだましか?
写真は俵山トンネルを潜る手前の展望所にて。
この日は、実によく晴れた一日だった。熊本市内から南阿蘇までの間、まったく雲らしい雲もなく、素晴らしい快晴。
展望所が見えてきたので、先日吟行したときにまったく景色が見えなかったことを思い出して、すぐに駐車場へ車を入れる。
快晴だけに、えもいわれぬ眺望!
なんと、有明海から島原まで見えている。(写真ではわかりづらいでしょうが)
天高し 阿蘇から海を 望みけり
一句詠んだが、全然冴えない。(笑)
今、再考し直した。
遠海を 遥かに招く 尾花かな
こっちのほうがまだましか?