これからジャズを聴く人のためのジャズツアーガイド(18)
前回、ヨーロッパのジャズをご紹介して、あと1回でこのシリーズはいったん締めることにすると予告してから、何と3か月たってしまいました。読んでくださっていた方には深くお詫びいたします。
いろいろな他事にかまけていたことも事実ですが、一番の理由は、自分なりにこのシリーズを閉じることに未練があって、なかなか手をつけられなかったという点にあります。もちろん趣向を変えて再開するつもりでいることはすでに前回予告してありますが、それとは別に、あのモダンジャズの栄光の時期について一応の総括を試みることそのものが、私自身に独特の感傷を強いてくるのです。それは、思い出のいっぱい詰まったアルバムを見て楽しんでいたのに、閉じなくてはならない時間が来た時の感傷に似ています。
音楽そのものはちゃんと残っているのですからいつでも再現できるので、これはまったく身勝手な感傷にすぎません。でも、あの何人もの天才ジャズメンの短い活躍期にできるだけ寄り添って書いてきたつもりなので、彼らの演奏活動を追体験していると、ついジャズの歴史のはかなさそのものに同期している自分を見出してしまいます。その自分があえて幕引き役を演じることに何となく躊躇と抵抗を感じるのですね。
しかし、やはり帰らぬ人々やものごとに対しては、それにふさわしい仕方で手を合わせるのが真っ当なやり方というものでしょう。
以下、次のように記事を進めます。
モダンジャズの隆盛期を1950年代半ばから60年代前半までの約10年弱と見立て、もう一度、そこで活躍したジャズメンたちを呼び返してみたいと思います。これまで、名前だけ紹介しながら演奏を紹介しなかった人、また一度紹介したジャズメンのアルバムから拾わなかったけれど、やはりこの演奏を捨てるわけにいかないと感じられる曲、などをここで取り上げることにします。
次に、この短期間における奇跡としか言いようのない芸術現象のかけがえのない価値について少しばかり語ってみようと思います。
それから、少し哀しい話をします。私は個々のジャズメンの人生についてはほとんど知らないのですが、この天才たちの多くが、まるでジャズシーンそのものの短命に重なるように早く死んでしまっているという事実について語ろうと思います。主なミュージシャンの生没年と年齢を掲げてみましょう。
それでは、1952年から2、3年おきに発表された、歴史に残る名曲を紹介します。
まずモダンジャズの生みの親とされるチャーリー・パーカー(as)の『ナウズ・ザ・タイム』から、「ナウズ・ザ・タイム」。彼のオリジナルです。
この曲は、1952年から53年にかけて録音されたものと思われます。パーカーの絶頂期は40年代とされていますが、ビバップからより洗練されたモダンジャズへと移行した段階を理解するには晩年の演奏のほうがよいでしょう。この時期の演奏では、彼のソロの湧き出るような奔放さがよくあらわれ、後のジャズメンの演奏につながる要素が直接感じられます。彼のフレーズを聴いていると、コルトレーンやエリック・ドルフィーの力強さを連想させ、いささかも古さを感じさせません。
Now's the Time - Charlie Parker
次に、25歳で夭逝したトランぺッターのクリフォード・ブラウン。
『クリフォード・ブラウン&マックス・ローチ』から「ジョイ・スプリング」。この曲はクリフォードのオリジナルですが、ミディアムテンポであることによって、ソロの部分に彼の演奏の特徴がじつによく出ています。というのは、彼はアップテンポの曲では、きわめて指と口を早く動かして歯切れの良さを表現するのですが、スローバラードでは、フレーズの節目を息長く伸ばしてヴィブラートを効かせ、とても抒情的な雰囲気を演出します。この曲では、その両方が楽しめるのですね。
パーソネルは、ハロルド・ランド(ts)、リッチー・パウエル(p)、ジョージ・モロー(b)、マックス・ローチ(ds)。1954年の録音です。クリフォードとリッチーは、この2年後に同乗していた車による交通事故で世を去ります。
05.Clifford Brown & Max Roach - Joy Spring.
次は、やはりソニー・ロリンズの大ヒットアルバム、『サキソフォン・コロッサス』から「モリタート」を紹介すべきでしょう。『三文オペラ』の主題曲で、「マック・ザ・ナイフ」として有名です。ロリンズはこの演奏で、豪快さとユーモア、親しみやすさと冒険心など、彼の持ち味を存分に発揮しています。トミー・フラナガンの美しいソロも聴きものです。パーソネルはほかに、ダグ・ワトキンス(b)、マックス・ローチ(ds)。1956年の録音です。
Sonny Rollins - Moritat (1956)
次に、以前紹介したハイヒールをはいた女性の脚のジャケットで評判になった『クールストラッティン』から、「ブルー・マイナー」。これはピアニスト、ソニー・クラークのオリジナル曲で(タイトルテューンの「クールストラッティン」もそうです)、彼のリーダーシップによるアルバムですが、ソニーの明快な演奏もさることながら、ジャッキー・マクリーン(as)のソウルフルな演奏、上品なアート・ファーマー(tp)のソロも聴きもので、リズムセクションのポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)に支えられて、じつに息の合ったプレイが楽しめます。1958年の録音。
Sonny Clark - Blue Minor
最後に、再びビル・エヴァンスに登場願いましょう。
何十年もの間、一、二を争う人気を誇ってきた「ワルツ・フォー・デビィ」、同名のアルバムからです。1961年6月25日、ニューヨーク、ヴィレッジヴァンガードでのライブ録音。すでに紹介した『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジヴァンガード』と同日の演奏で、その姉妹版です。二枚組の完全版も出ています。パーソネルは、もちろんあのスコット・ラファロ(b)、そしてポール・モチアン(ds)。
このシリーズを閉じるにふさわしい、不朽の名作と言えるでしょう。どうかじっくり聴いてくださいね。
Waltz for Debby
さて、いささか私事を語ることになります。
このシリーズの初めにも書きましたが、60年代前半といえば、私の中学時代から高校時代に当たっており、ちょうどジャズを聴きはじめたころでした。渋谷、新宿、横浜などのジャズ喫茶で、しきりとこの隆盛期の曲がかかっていたのです。ですから日本でこのようにモダンジャズを聴きまくることが流行したのは、実際にそれらが演奏された時期とは数年ずれていたことになります。結果的に、私は偶然にも、その隆盛期のジャズのシャワーを浴びる恩恵に浴したのでした。スイング・ジャーナルというジャズ専門誌がよく売れ、毎月買って新譜の情報や批評家たちの座談会と解説、日本のジャズメンの楽器別ランキングなどを読み漁ったものです。
そのときは、こういう流れがずっと続くのだと思っていました。けれども、そうではありませんでした。多くの天才たちが次々に死に、モダンジャズそのものが運命を衰退させていきます。あの渋谷道玄坂界隈に密集していたジャズ喫茶はしだいに消えてゆき、ラブホ街に様変わりしてしまいました。音楽を聴くためだけの店というのはほとんどなくなり、ジャズを聴かせる店は、いまたいていはお酒や料理のサービスとセットで経営されています。
これはクラシックも同じで、当時は、「田園」「古城」「白鳥」「ライオン」などというクラシックを聴かせる喫茶店がいくつもありました。カテドラルのような外観に、かび臭い店内。ビロード製のソファに腰かけると、不思議と気分が落ち着いたものです。ある時そこの一軒で、シェイクスピア翻訳家の小田島雄志氏がしきりにペンを走らせているのを見つけました。彼は喫茶店で執筆するので有名です。
渋谷の「ライオン」は今もあるのかな。ちなみに、以前にも書きましたが、横浜は野毛、日本で一番早く開店したジャズ喫茶「ちぐさ」は、一時閉店しましたが、最近、場所を少し変えて復活しました。またJRお茶の水駅すぐ近くの「NARU」という店は、日本のジャズメンが連日出演する本格的なライブハウスです。
ちぐさ:http://noge-chigusa.com/jazz/
NARU:http://www.jazz-naru.com/
こういうお店は、いつまでも残ってほしいと思います。とはいえ、残念ながらかつてのジャズ喫茶文化が衰退したことは否定すべくもありません。
いっぽうでは、往年のジャズメンのかつての名演奏が高度な再生技術を通してCDなどの形で次々に復活するようになります。これは個人生活が豊かになったひとつの証左ではあるでしょう。名演奏をじっくり聴きたければ、安価で高度な音質のCDを買って、個人で聴けばいい。
ところでこの事実がジャズ史的には何を意味しているのかお分かりですね。
つまりは、あの短い栄光の時期に表現された一連の音楽が、見事に古典化されたということなのです。その証拠に、いまレストランや料理屋でBGMとして聞こえてくるジャズは、すべてこの時期に確立されたスタイルのものであって、フリージャズなどは絶えてありません。モダンジャズ以前のビッグバンドも衰退してしまったようですね。
もちろん、街で耳にするジャズこそが古典として残った唯一のモードだと言い張るつもりはありません。耳に心地よい大衆受けする部分が切り取られているのだとみなすことはできます。これは歯医者さんやエステなどでモーツァルトばかりがかかっているのと似ていなくもないですね。
多少真剣に(あるいはマニアックに)ジャズを聴いている人たちは、個人のレベルで、変貌以後から死の直前までのコルトレーンや、アルバート・アイラーや、オーネット・コールマンや、セシル・テイラーを追求しているのかもしれません。しかし、こうした演奏家の音楽は、一部のファンを除き多くの人の共感を呼び起こすことはできていません。
これらの傾向は、それに先立つ数年間にモダンジャズが頂点を極めてしまったので、その先に抜け出ようとすると、どうしても人口に膾炙しえない難しい隘路に入り込まざるを得なかったことをあらわしています。それはちょうど、クラシック音楽で、バッハからドビュッシー、ラヴェル、チャイコフスキーくらいまでが、普通のファンに受けるぎりぎりの幅で、それ以後の、バルトーク、コダーイ、マーラーなどがとっつきにくい領域として感じられているのと同じです。
私は、芸術が広く大衆に受け入れられて定着してゆく事実とかけ離れたところで、何か難解で高尚で、摂取に骨の折れる意味ありげな芸術性のようなものが、それだけで価値が高いとするような考え方を認めません。バルトークその他がかろうじて芸術的意義を持つのは、それ以前の古典派、ロマン派の音楽の膨大な蓄積があり、それが大きな感動を呼んで今なお聴衆の耳になじんでいるという事実を前提とする限りにおいてです。すでにやり尽くされてしまったその蓄積があるからこそ、それを土台として初めて、それだけでは近代人の複雑な感性を表現しきれないのではないかというモチベーションがはたらきます。結果的に現代音楽のような方向性が一つの止むにやまれぬ克服と探求の道として出てくるのだと思います。
しかしそれらの探求が、クラシック音楽の歴史の中で、かつての古典派、ロマン派(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、チャイコフスキーその他)に匹敵するような確実な地歩を確立することは、おそらくもうないでしょう。
同じことがジャズについても言えます。オーネット・コールマンやアルバート・アイラーが、絶頂期のマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、ソニー・ロリンズ、マックス・ローチ、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ウィントン・ケリー、レッド・ガーランド、ポール・チェンバースらがこぞって作り出していたあの雰囲気とスタイルを乗り越えて復活・定着するなどということはあり得ないと私は断言します。そしてその雰囲気とスタイルこそが、いまだに受け継がれて、現代ジャズミュージシャンたちの演奏の基本的なモチベーションを生み出しているのです。それが、モダンジャズが立派に古典化したということの本来の意味です。
酒場で聴こえてくるジャズがそろいもそろってこの時期のスタイルを踏襲したものになっているのは、それが大衆にとって安直で聴きやすいからではありません。多くの人の美意識に素直に訴えてくる優れた音楽スタイルだったからこそ、大衆の中に浸透し定着していったのです。
それでは、50年代半ばから60年代前半までの間に活躍したジャズミュージシャンのうち、このシリーズに登場した有力メンバーの生没年、年齢を書き記すことにしましょう。
プレイヤー 生没年 年齢
ブッカー・リトル(tp) 1938~1961 23
クリフォード・ブラウン(tp) 1930~1956 25
スコット・ラファロ(b) 1936~1961 25
ソニー・クラーク(p) 1931~1963 31
リー・モーガン(tp) 1938~1972 33
ポール・チェンバース(b) 1935~1969 33
チャーリー・パーカー(as) 1920~1955 34
エリック・ドルフィー(as,bc,fl) 1928~1964 36
ウィントン・ケリー(p) 1931~1971 39
ジョン・コルトレーン(ts,ss) 1926~1967 40
バド・パウエル(p) 1924~1966 41
キャノンボール・アダレイ(as) 1928~1975 46
ビル・エヴァンス(p) 1920~1980 51
レッド・ガーランド(p) 1923~1984 60
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) 1923~1985 62
マイルス・デイヴィス(tp) 1926~1991 65
トミー・フラナガン(p) 1930~2001 71
ジャッキー・マクリーン(as) 1931~2006 74
レイ・ブラウン(b) 1926~2002 75
ミルト・ジャクソン(vb) 1923~1999 76
エルヴィン・ジョーンズ(ds) 1927~2004 76
マックス・ローチ(ds) 1924~2007 83
ソニー・ロリンズ(ts) 1930~ 84(存命中)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
平均 51.4
以上のとおりです。
一見してわかるのは、40代までが異様に多く、50代、60代が少ないということです。また、その峠を越えた人は、けっこう長生きしているとも言えます。なお、現在のアメリカ男性の平均寿命が75~76歳で、1940年代生まれの人がそれくらい生きているということになりますから、やはり、かなり若死にが多いと言えるでしょう。
ジャズミュージシャンの場合、麻薬常習の問題を原因の一つとして重要視しないわけにはいきません。 また、演奏に激しく情熱を傾けることも体に無理を強いる一因でしょう。さらに、不規則で乱脈な生活も関係していると思います。夭逝した人のなかには、事故死が何人かいますが、それも、飲酒や睡眠不足や疲労と無縁ではないように思います。
芸術のために激しく燃焼し、命を代償にしても自己表現にすべてをかけざるを得なかった人々――ジャズの巨人たちの短い生涯のうちに、そうした哀しい法則のようなものの一端を見る思いがするのは、私だけでしょうか。
しかし彼らはそのようにして私たちに不滅の音楽を残してくれたのです。いまは、彼らが、あの10年足らずの花火のような期間に、力を合わせて素晴らしい芸術の創造のために尽くしたその心意気に大いなる敬意を表しつつ、彼らの冥福を祈ることにしましょう。
後には、なぜこのような信じられないことが可能となったのかという謎が残りますが、大きな背景として、この10年間は、二度の大戦に勝利したアメリカが、覇権国家として精神的にも物質的にも、最も力と自信を持っていた時期に相当するということと関係がありそうです。ヨーロッパに長い間文化的なコンプレックスを抱いてきたこの国は、この時初めて、自国独自の文化がある形で成熟するのを直感したのだと思います。ハリウッド映画の全盛期もこの時期に重なっていることを考え合わせると、ニューヨークを中心としたモダンジャズの成立という「事件」をそうした社会的背景に結びつけるのも、あながち牽強付会とばかりは言えないと思うのですが、いかがでしょうか。
前回、ヨーロッパのジャズをご紹介して、あと1回でこのシリーズはいったん締めることにすると予告してから、何と3か月たってしまいました。読んでくださっていた方には深くお詫びいたします。
いろいろな他事にかまけていたことも事実ですが、一番の理由は、自分なりにこのシリーズを閉じることに未練があって、なかなか手をつけられなかったという点にあります。もちろん趣向を変えて再開するつもりでいることはすでに前回予告してありますが、それとは別に、あのモダンジャズの栄光の時期について一応の総括を試みることそのものが、私自身に独特の感傷を強いてくるのです。それは、思い出のいっぱい詰まったアルバムを見て楽しんでいたのに、閉じなくてはならない時間が来た時の感傷に似ています。
音楽そのものはちゃんと残っているのですからいつでも再現できるので、これはまったく身勝手な感傷にすぎません。でも、あの何人もの天才ジャズメンの短い活躍期にできるだけ寄り添って書いてきたつもりなので、彼らの演奏活動を追体験していると、ついジャズの歴史のはかなさそのものに同期している自分を見出してしまいます。その自分があえて幕引き役を演じることに何となく躊躇と抵抗を感じるのですね。
しかし、やはり帰らぬ人々やものごとに対しては、それにふさわしい仕方で手を合わせるのが真っ当なやり方というものでしょう。
以下、次のように記事を進めます。
モダンジャズの隆盛期を1950年代半ばから60年代前半までの約10年弱と見立て、もう一度、そこで活躍したジャズメンたちを呼び返してみたいと思います。これまで、名前だけ紹介しながら演奏を紹介しなかった人、また一度紹介したジャズメンのアルバムから拾わなかったけれど、やはりこの演奏を捨てるわけにいかないと感じられる曲、などをここで取り上げることにします。
次に、この短期間における奇跡としか言いようのない芸術現象のかけがえのない価値について少しばかり語ってみようと思います。
それから、少し哀しい話をします。私は個々のジャズメンの人生についてはほとんど知らないのですが、この天才たちの多くが、まるでジャズシーンそのものの短命に重なるように早く死んでしまっているという事実について語ろうと思います。主なミュージシャンの生没年と年齢を掲げてみましょう。
それでは、1952年から2、3年おきに発表された、歴史に残る名曲を紹介します。
まずモダンジャズの生みの親とされるチャーリー・パーカー(as)の『ナウズ・ザ・タイム』から、「ナウズ・ザ・タイム」。彼のオリジナルです。
この曲は、1952年から53年にかけて録音されたものと思われます。パーカーの絶頂期は40年代とされていますが、ビバップからより洗練されたモダンジャズへと移行した段階を理解するには晩年の演奏のほうがよいでしょう。この時期の演奏では、彼のソロの湧き出るような奔放さがよくあらわれ、後のジャズメンの演奏につながる要素が直接感じられます。彼のフレーズを聴いていると、コルトレーンやエリック・ドルフィーの力強さを連想させ、いささかも古さを感じさせません。
Now's the Time - Charlie Parker
次に、25歳で夭逝したトランぺッターのクリフォード・ブラウン。
『クリフォード・ブラウン&マックス・ローチ』から「ジョイ・スプリング」。この曲はクリフォードのオリジナルですが、ミディアムテンポであることによって、ソロの部分に彼の演奏の特徴がじつによく出ています。というのは、彼はアップテンポの曲では、きわめて指と口を早く動かして歯切れの良さを表現するのですが、スローバラードでは、フレーズの節目を息長く伸ばしてヴィブラートを効かせ、とても抒情的な雰囲気を演出します。この曲では、その両方が楽しめるのですね。
パーソネルは、ハロルド・ランド(ts)、リッチー・パウエル(p)、ジョージ・モロー(b)、マックス・ローチ(ds)。1954年の録音です。クリフォードとリッチーは、この2年後に同乗していた車による交通事故で世を去ります。
05.Clifford Brown & Max Roach - Joy Spring.
次は、やはりソニー・ロリンズの大ヒットアルバム、『サキソフォン・コロッサス』から「モリタート」を紹介すべきでしょう。『三文オペラ』の主題曲で、「マック・ザ・ナイフ」として有名です。ロリンズはこの演奏で、豪快さとユーモア、親しみやすさと冒険心など、彼の持ち味を存分に発揮しています。トミー・フラナガンの美しいソロも聴きものです。パーソネルはほかに、ダグ・ワトキンス(b)、マックス・ローチ(ds)。1956年の録音です。
Sonny Rollins - Moritat (1956)
次に、以前紹介したハイヒールをはいた女性の脚のジャケットで評判になった『クールストラッティン』から、「ブルー・マイナー」。これはピアニスト、ソニー・クラークのオリジナル曲で(タイトルテューンの「クールストラッティン」もそうです)、彼のリーダーシップによるアルバムですが、ソニーの明快な演奏もさることながら、ジャッキー・マクリーン(as)のソウルフルな演奏、上品なアート・ファーマー(tp)のソロも聴きもので、リズムセクションのポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)に支えられて、じつに息の合ったプレイが楽しめます。1958年の録音。
Sonny Clark - Blue Minor
最後に、再びビル・エヴァンスに登場願いましょう。
何十年もの間、一、二を争う人気を誇ってきた「ワルツ・フォー・デビィ」、同名のアルバムからです。1961年6月25日、ニューヨーク、ヴィレッジヴァンガードでのライブ録音。すでに紹介した『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジヴァンガード』と同日の演奏で、その姉妹版です。二枚組の完全版も出ています。パーソネルは、もちろんあのスコット・ラファロ(b)、そしてポール・モチアン(ds)。
このシリーズを閉じるにふさわしい、不朽の名作と言えるでしょう。どうかじっくり聴いてくださいね。
Waltz for Debby
さて、いささか私事を語ることになります。
このシリーズの初めにも書きましたが、60年代前半といえば、私の中学時代から高校時代に当たっており、ちょうどジャズを聴きはじめたころでした。渋谷、新宿、横浜などのジャズ喫茶で、しきりとこの隆盛期の曲がかかっていたのです。ですから日本でこのようにモダンジャズを聴きまくることが流行したのは、実際にそれらが演奏された時期とは数年ずれていたことになります。結果的に、私は偶然にも、その隆盛期のジャズのシャワーを浴びる恩恵に浴したのでした。スイング・ジャーナルというジャズ専門誌がよく売れ、毎月買って新譜の情報や批評家たちの座談会と解説、日本のジャズメンの楽器別ランキングなどを読み漁ったものです。
そのときは、こういう流れがずっと続くのだと思っていました。けれども、そうではありませんでした。多くの天才たちが次々に死に、モダンジャズそのものが運命を衰退させていきます。あの渋谷道玄坂界隈に密集していたジャズ喫茶はしだいに消えてゆき、ラブホ街に様変わりしてしまいました。音楽を聴くためだけの店というのはほとんどなくなり、ジャズを聴かせる店は、いまたいていはお酒や料理のサービスとセットで経営されています。
これはクラシックも同じで、当時は、「田園」「古城」「白鳥」「ライオン」などというクラシックを聴かせる喫茶店がいくつもありました。カテドラルのような外観に、かび臭い店内。ビロード製のソファに腰かけると、不思議と気分が落ち着いたものです。ある時そこの一軒で、シェイクスピア翻訳家の小田島雄志氏がしきりにペンを走らせているのを見つけました。彼は喫茶店で執筆するので有名です。
渋谷の「ライオン」は今もあるのかな。ちなみに、以前にも書きましたが、横浜は野毛、日本で一番早く開店したジャズ喫茶「ちぐさ」は、一時閉店しましたが、最近、場所を少し変えて復活しました。またJRお茶の水駅すぐ近くの「NARU」という店は、日本のジャズメンが連日出演する本格的なライブハウスです。
ちぐさ:http://noge-chigusa.com/jazz/
NARU:http://www.jazz-naru.com/
こういうお店は、いつまでも残ってほしいと思います。とはいえ、残念ながらかつてのジャズ喫茶文化が衰退したことは否定すべくもありません。
いっぽうでは、往年のジャズメンのかつての名演奏が高度な再生技術を通してCDなどの形で次々に復活するようになります。これは個人生活が豊かになったひとつの証左ではあるでしょう。名演奏をじっくり聴きたければ、安価で高度な音質のCDを買って、個人で聴けばいい。
ところでこの事実がジャズ史的には何を意味しているのかお分かりですね。
つまりは、あの短い栄光の時期に表現された一連の音楽が、見事に古典化されたということなのです。その証拠に、いまレストランや料理屋でBGMとして聞こえてくるジャズは、すべてこの時期に確立されたスタイルのものであって、フリージャズなどは絶えてありません。モダンジャズ以前のビッグバンドも衰退してしまったようですね。
もちろん、街で耳にするジャズこそが古典として残った唯一のモードだと言い張るつもりはありません。耳に心地よい大衆受けする部分が切り取られているのだとみなすことはできます。これは歯医者さんやエステなどでモーツァルトばかりがかかっているのと似ていなくもないですね。
多少真剣に(あるいはマニアックに)ジャズを聴いている人たちは、個人のレベルで、変貌以後から死の直前までのコルトレーンや、アルバート・アイラーや、オーネット・コールマンや、セシル・テイラーを追求しているのかもしれません。しかし、こうした演奏家の音楽は、一部のファンを除き多くの人の共感を呼び起こすことはできていません。
これらの傾向は、それに先立つ数年間にモダンジャズが頂点を極めてしまったので、その先に抜け出ようとすると、どうしても人口に膾炙しえない難しい隘路に入り込まざるを得なかったことをあらわしています。それはちょうど、クラシック音楽で、バッハからドビュッシー、ラヴェル、チャイコフスキーくらいまでが、普通のファンに受けるぎりぎりの幅で、それ以後の、バルトーク、コダーイ、マーラーなどがとっつきにくい領域として感じられているのと同じです。
私は、芸術が広く大衆に受け入れられて定着してゆく事実とかけ離れたところで、何か難解で高尚で、摂取に骨の折れる意味ありげな芸術性のようなものが、それだけで価値が高いとするような考え方を認めません。バルトークその他がかろうじて芸術的意義を持つのは、それ以前の古典派、ロマン派の音楽の膨大な蓄積があり、それが大きな感動を呼んで今なお聴衆の耳になじんでいるという事実を前提とする限りにおいてです。すでにやり尽くされてしまったその蓄積があるからこそ、それを土台として初めて、それだけでは近代人の複雑な感性を表現しきれないのではないかというモチベーションがはたらきます。結果的に現代音楽のような方向性が一つの止むにやまれぬ克服と探求の道として出てくるのだと思います。
しかしそれらの探求が、クラシック音楽の歴史の中で、かつての古典派、ロマン派(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、チャイコフスキーその他)に匹敵するような確実な地歩を確立することは、おそらくもうないでしょう。
同じことがジャズについても言えます。オーネット・コールマンやアルバート・アイラーが、絶頂期のマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、ソニー・ロリンズ、マックス・ローチ、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ウィントン・ケリー、レッド・ガーランド、ポール・チェンバースらがこぞって作り出していたあの雰囲気とスタイルを乗り越えて復活・定着するなどということはあり得ないと私は断言します。そしてその雰囲気とスタイルこそが、いまだに受け継がれて、現代ジャズミュージシャンたちの演奏の基本的なモチベーションを生み出しているのです。それが、モダンジャズが立派に古典化したということの本来の意味です。
酒場で聴こえてくるジャズがそろいもそろってこの時期のスタイルを踏襲したものになっているのは、それが大衆にとって安直で聴きやすいからではありません。多くの人の美意識に素直に訴えてくる優れた音楽スタイルだったからこそ、大衆の中に浸透し定着していったのです。
それでは、50年代半ばから60年代前半までの間に活躍したジャズミュージシャンのうち、このシリーズに登場した有力メンバーの生没年、年齢を書き記すことにしましょう。
プレイヤー 生没年 年齢
ブッカー・リトル(tp) 1938~1961 23
クリフォード・ブラウン(tp) 1930~1956 25
スコット・ラファロ(b) 1936~1961 25
ソニー・クラーク(p) 1931~1963 31
リー・モーガン(tp) 1938~1972 33
ポール・チェンバース(b) 1935~1969 33
チャーリー・パーカー(as) 1920~1955 34
エリック・ドルフィー(as,bc,fl) 1928~1964 36
ウィントン・ケリー(p) 1931~1971 39
ジョン・コルトレーン(ts,ss) 1926~1967 40
バド・パウエル(p) 1924~1966 41
キャノンボール・アダレイ(as) 1928~1975 46
ビル・エヴァンス(p) 1920~1980 51
レッド・ガーランド(p) 1923~1984 60
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) 1923~1985 62
マイルス・デイヴィス(tp) 1926~1991 65
トミー・フラナガン(p) 1930~2001 71
ジャッキー・マクリーン(as) 1931~2006 74
レイ・ブラウン(b) 1926~2002 75
ミルト・ジャクソン(vb) 1923~1999 76
エルヴィン・ジョーンズ(ds) 1927~2004 76
マックス・ローチ(ds) 1924~2007 83
ソニー・ロリンズ(ts) 1930~ 84(存命中)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
平均 51.4
以上のとおりです。
一見してわかるのは、40代までが異様に多く、50代、60代が少ないということです。また、その峠を越えた人は、けっこう長生きしているとも言えます。なお、現在のアメリカ男性の平均寿命が75~76歳で、1940年代生まれの人がそれくらい生きているということになりますから、やはり、かなり若死にが多いと言えるでしょう。
ジャズミュージシャンの場合、麻薬常習の問題を原因の一つとして重要視しないわけにはいきません。 また、演奏に激しく情熱を傾けることも体に無理を強いる一因でしょう。さらに、不規則で乱脈な生活も関係していると思います。夭逝した人のなかには、事故死が何人かいますが、それも、飲酒や睡眠不足や疲労と無縁ではないように思います。
芸術のために激しく燃焼し、命を代償にしても自己表現にすべてをかけざるを得なかった人々――ジャズの巨人たちの短い生涯のうちに、そうした哀しい法則のようなものの一端を見る思いがするのは、私だけでしょうか。
しかし彼らはそのようにして私たちに不滅の音楽を残してくれたのです。いまは、彼らが、あの10年足らずの花火のような期間に、力を合わせて素晴らしい芸術の創造のために尽くしたその心意気に大いなる敬意を表しつつ、彼らの冥福を祈ることにしましょう。
後には、なぜこのような信じられないことが可能となったのかという謎が残りますが、大きな背景として、この10年間は、二度の大戦に勝利したアメリカが、覇権国家として精神的にも物質的にも、最も力と自信を持っていた時期に相当するということと関係がありそうです。ヨーロッパに長い間文化的なコンプレックスを抱いてきたこの国は、この時初めて、自国独自の文化がある形で成熟するのを直感したのだと思います。ハリウッド映画の全盛期もこの時期に重なっていることを考え合わせると、ニューヨークを中心としたモダンジャズの成立という「事件」をそうした社会的背景に結びつけるのも、あながち牽強付会とばかりは言えないと思うのですが、いかがでしょうか。
「私は、芸術が広く大衆に受け入れられて定着してゆく事実とかけ離れたところで、何か難解で高尚で摂取に骨の折れる意味ありげな芸術性のようなものがそれだけで価値が高いとするような考え方を認めません」
これに私は、激しく(笑)同意します。これを言い切ることには千金の価値があると、私は考えます。吉本隆明さんが生涯言い続けたことを最良の形で引き継ぐならば、上記のような言葉になると思います。
アバンギャルトなものに妙に感じ入り、参ってしまう手合いを、これまで腐るほど見てきましたが、ひとり残らずろくなものではありませんでした(そのことがはっきりしただけでも馬齢を重ねた価値があるのかもしれません)。
そのような、高踏派を気取りたがる俗物は、たんなる俗物以上の俗物である、ということでもありましょう。そういう手合いは、吉本さんが描き出した芥川龍之介の哀れで喜劇的な末裔のような存在なのでしょうが、これがじつに多い。うんざりします。たとえば、『永遠の0』より川端文学が高尚だなどと、既成の文学空間に安住してのほほんとうそぶく凡庸な文学者の去勢された俗物性を私は嫌い抜いております。大衆を敵に回すことは、大衆を心底恐れる自分を自覚することにおいてのみ許される思想的構えなのではないでしょうか。なぜなら、彼らがありがたがる、高尚な思想や文学や芸術のふるさとは生活世界以外になく、また生活世界は、ごく普通のひとびとによって織り成されるものであるからです。
悪態つきは、それくらいにしておきます。
いつもそうではあったのですが、今回の投稿は特に、小浜さんの、ジャズの全盛期へのひとかたならぬ愛が、哀しいほどに美しく感じられる、秀逸な文章であると思いました。こういう文章は、なかなか書けるものではありません。小浜さんの心のなかの、歳月の濾過作用に耐え抜いた言葉の数々が宝石のようにあちらこちらでつつましく輝いているような印象を受けました。
当シリーズのおかげで、Bill Evansの繊細なハートを感じ取れる耳を培えたことを、心から感謝します。
キツイいかもしれませんが、できうるならば、続編を期待します。勝手なことをいろいろと申し上げてしまいましたが、削除せずそのまま投稿することをお許しください。
しかし何よりも、お役に立てたことをとてもうれしく思います。
芸術、文化、思想は生活世界にこそそのふるさとを持つ――この当たり前の事実を忘れる文化人が多いですが、彼らは還帰すべき場所を喪失しているのですね。芥川の場合は、それを過剰に自覚していたことがあの悲劇につながったように思うのですが、そういう自覚すら持たずに高尚ぶっている鈍感な人がけっこういるのは困ったものです(名前は挙げませんが・笑)。
今回、このシリーズを閉じようと決めた直後から、妙に郷愁と憂鬱のようなものが付きまとって離れませんでした。これは結局、自分のケチな青春期とジャズのあの輝ける時期とを、勝手に重ね合わせていたところから来た気分なのでしょう。
でも書き終えた時点で言うと、このシリーズで私は二つのことが言いたかったのだと思います。
一つは、もちろん、彼らがいかにすごかったのかを体で感じ取ってほしいということ。
そしてもう一つは、自分の青春期がどれほどケチであっても、そこで入れ込んだ文化的情熱の「対象」には、必ず掬い取るに値する何かがある――そうしてこのことには、すべての人に当てはまる普遍性があるということです。
ですから私は、このシリーズを読んでくださった皆さんに、、そういう自分なりの「何か」を再発見してほしいとひそかに願っています。
続編については、まったく趣向を変えて挑戦してみようjと考えています。しばし時間をいただきたく思います。