忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 485系の形式解説

2015-02-26 22:25:07 | 485系まとめ
かれこれ5編成ほど新潟車の485系をまとめていますが、そこで少し出てくるのが、方向転換やら少し面倒な部分も出てきます。しかしよくよく考えれば、なぜ方向転換する必要があるのか、という部分も出てきます。編成のページごとに解説しているとその部分の分量も多くなるので、簡単にここで解説しておきます。

新潟の話になるので、新潟に在籍した車両以外の解説は簡略化・省略しています。他のページ同様、思い出したら付け足していくのでたまに増えます。


現在在籍している485系は、300番台,1000番台,1500番台,3000番台,3300番台と700番台の6種類です。過去には0番台,100番台,200番台も在籍しており、こちらのグループの発展系が現在の番台になるので、まずは過去に在籍していた番台を解説していきます。

・481系
485系列最初の形式で、「雷鳥」「しらさぎ」用として登場。以来直流/交流60Hz対応車として北陸・山陽・九州特急として活躍しますが、製造年数が早かったこともあり民営化される前に廃車されています。新潟とは無縁な車両ですが、モーターのないクハなどが485ではなく481を名乗るのはこの形式が原因。形式数を増やさないようにするという当時の方針から、モーターのない付随車は共通形式に、ということで、485系でもモーターのない車両は全て481系になっており、それが現在まで引き継がれています。ちなみに、489系は付随車も碓氷峠で協調運転を行うための栓が通っているため481ではなく489を名乗ります。

・483系
481系に次ぐ形式で、こちらは「ひばり」「やまびこ」用として登場。こちらは直流/交流50Hz対応車として東北特急用に活躍。481系同様老朽化のため民営化直前に全車廃車・保留車となりますが、「ひたち」増発の際車両が不足したためモハ482/483-13~15が運用に復帰しJR東日本が継承。1990年まで活躍した車両もあります。こちらも新潟とは全くの無縁ですが、485系の解説…ということで。481系で述べたように付随車は481を名乗るため、製造数が少なかった483系はモハ482,モハ483の2形式しか存在していなかったのも特徴。そのためモハ482/483が消滅した時点で形式消滅となっています。

・485系0番台/100番台

鉄道博物館保存 クハ481-26

485系0番台の派生形、489系0番台のサシ489-3を改造したスシ24-1。屋根上のクーラーが初期車の面影を残します。
485系では最初のグループで、先頭車はボンネット、中間車はキノコ型クーラーと呼ばれるタイプ(AU12)を搭載した車両のグループ。屋根上機器の都合でモハ484はAU12のクーラーとは別に床置型のクーラー(AU41)を3つ設置し、余剰スペースに車掌室が設置されています。上記の481系と483系もこのグループです。「雷鳥」「ひばり」などの増発を目的とし仙台や京都(当時は向日町。以下同じ)に配属。東日本地区では訓練車として残った写真のクハ481-26を含む編成が訓練車として2007年まで在籍。西日本地区ではクハ481の0番台はJR西日本に継承されなかったもののモハ484/485の0番台は2011年の「雷鳥」廃止まで活躍。九州地区では塗装変更を受けながら1995年まで活躍と、つい最近までその姿を見ることができました。JR東日本の保有するジョイフルトレインの種車として一部車両が改造されいますが、流用は最小限のみほとんど全て新製されているので生きていると定義していいのかは難しいところです…。
新潟に在籍した0番台は、京都で「雷鳥」として活躍した車両の一部が転入。他の番台と共通で使われ「雷鳥」「白鳥」などで活躍し、老朽化と組み替えによる余剰で1999年に全廃となりました。クハ481-27を除き全て「雷鳥」用編成として活躍、クハ481-27のみ途中から「いなほ」「北越」用T20編成へ組み込まれ、勝田からの転入車クハ481-332に置き換えられ離脱しています。いずれも座席のモケット交換と塗装変更。クハ481は運転台上を除いたライトをシールドビームへ交換。タイフォンカバーをHM下へ移設し、晩年は連結器カバーが小型化されていたのが特徴です。

485系100番台と同一形状のクハ489-1
100番台はクハ481-0のマイナーチェンジ車で、クハ481のみの区分。クハ481のMG容量アップと小型化、タイフォンのHM下への取り付けが行われています(クハ481-101のみタイフォンは後に改造してHM下へ移設)。0番台とは床下の機器配置とHM隣のライトケースの下の通風気の形状が異なるのが相違点。元々は東北特急の15連化に関したMG容量アップでしたが、東北特急へは後に登場する200番台の投入が決まったためわずか4両のみの配置にとどまり、ほとんどが京都へ配属。北陸特急として活躍し、「しらさぎ」に683系が投入された関係で余剰となったクロ481-2000が京都に転属し置き換えられる2004年まで北陸地区でその姿が見られました。489系の製造開始時がちょうど100番台製造時期だったこともあり、初期の先頭車は100番台がモデル。写真のクハ489-1もその1両ですが、タイフォンがHM下への移設が行われなかったのが特徴。JR西日本在籍時代にワイパーが増設されているため、オリジナルとはやや異なります。
新潟へは、京都に在籍していたクハ481-102のみが転属して配置。「雷鳥」用編成に組み込まれ、0番台と共通で使用。内装のモケット変更と塗装変更、連結器カバーの小型化が行われ、新潟車では最後のボンネット営業車として活躍し、1999年に廃車となりました。

・485系200番台

485系200番台の派生形、489系200番台に含まれるクハ489-604
ボンネットタイプの先頭車から一新した貫通型先頭車を含むグループで、489系200番台,600番台もこのグループです。元々は東北特急を2本連結し途中で増結・切り離しを行う多層立て列車として本数を増やせるようにと製造されたグループですが、計画が変更され東北特急の多層立て列車計画は中止に。それでもボンネットタイプよりも定員数が増えるというメリットがあったことから以降製造は100番台から200番台に移行されています。クーラーがそれまでのAU12からAU13E(クハ481、モハ485)とAU71A(モハ484)に変更。前面形状の変更で定員数が増えたクハ481の他に、床置きクーラーが廃止されたモハ484の定員数も増加したため、クハ481とモハ484にが200番台として製造されました。一方で、クーラーが変更された以外に変更のなかったモハ485,サハ481などは0番台のまま製造。モハ485の場合相方のモハ484が200番台にもかかわらず0番台として製造が続けられたため、以降1500番台・1000番台まで番号が一致しなくなります。また、モハ484は床置きクーラー廃止と同時に車掌室も廃止されたため、車掌室のあるグリーン車が編成の端に連結される青森地区では編成中間に車掌室を確保するために0番台ユニットを連結せざるを得ない状況に。このことから車掌室を備えたモハ484-600も誕生します。主に青森・仙台・京都に配属されましたが、転配が進み九州地区にも進出。運転台が狭く貫通路からのすき間風侵入により乗務員からは不評だったこと、すき間風により老朽化が進行。対策としてクハ481-200は貫通路の閉鎖改造が実施されましたが、東日本地区は1999年、西日本地区は183系改造車も含め2013年に全廃。九州地区のDo32編成としての車両が、200番台では唯一の現役車となっています。
新潟には、クハ481-200が3両、モハユニット1組が京都から転属。定員の関係からモハユニットは「いなほ」「北越」編成(T20編成)に組み込まれるものの定員が異なるためか編成組み替えの際に外され2000年に廃車。クハ481-200は「雷鳥」用編成として塗装変更とグレードアップ改造が行われ、「雷鳥」の新潟発着便廃止まで活躍。その後「雷鳥」編成は組成変更が行われましたが、200番台は全車その対象から外され、廃車になっています。

・485系300番台

クハ481-346。K1編成6号車として在籍、数少ない現役車。
運転台のすき間風侵入と運転台の拡大を行い、運転環境を整備したグループ。運転台の貫通路を廃止し前面形状がやや変更になった程度のものなので、所属するのもクハ481のみ。製造年数が200番台よりやや遅いので200番台よりは老朽化が進行していないからか、現在でも数両ながら現役。1000番台と共通で使用されています。

・485系1500番台

クハ481-1508。T18編成6号車に在籍、原形車としては最後の車両。
北海道地区で特急列車を運転する計画が持ち上がった際、製造実績のある485系で運転することとなり製造されたグループ。北海道で「いしかり」として活躍したものの、北海道の雪に対応しきれず役目を781系に譲り青森へ転属(この時、1500番台転属により捻出された200番台が九州へ転属。481系の置き換えが行われています)。北海道在籍時代は床下・台車が異なっていましたが、本州に戻った際に1000番台と同じものへ変更。その後青森・秋田で活躍しましたが、最終的に全車両が新潟へ転属。モハユニットの1500番台はグリーン車の連結を想定していないため車掌室を備えたモハ484-600をベースに製造、「雷鳥」用編成として塗装変更とグレードアップ改造を行い、「雷鳥」の新潟発着便廃止まで活躍。こちらはクハ481-200同様、組成変更時に外され廃車に。クハ481-1500は1000番台同様幅広い活躍を見せ、8両のクハ481-1500のうち、1両がクロハ481、1両が3000番台、5両がグレードアップ改造を施工。最終的に3両が余剰廃車、1両が事故廃車、2両がジョイフルトレインへ改造。1両は3000番台、1両は原形車として最後の活躍を見せています。

・485系1000番台

クハ481-1017。仙台A2編成6号車に在籍。クハ481-1000のままの数少ない原形車。
183系1000番台で成功した3MG化(客室用電源であるMGを3つ装備したもの)を485系でも取り入れ、耐雪装備を強化した、485系の最終製造グループ。1500番台同様モハ484は車掌室を備えたモハ484-600をベースに製造。クハ481もモハ484,485も耐雪装備のために床下機器が若干変更されています。また、モハ484-1025以降はクーラーがAU71Bへ変更、モハ484/485-1025以降には手すりが取り付けられています。そして最大の特徴は、3MG化のための栓(KE76)が設けられていることで、先頭車の方向が固定されている片渡り構造であること。他の番台は489系を除き先頭車の向きは固定されていませんが、1000番台では3MG対策のための栓を設けた関係で先頭車の向きが固定(番号が奇数車は奇数、偶数車は偶数向きに固定)されいるため、先頭車の向きを変える際は改造が必要になります(T18のクロハ,R21のクハなど、方向転換のために改造をするのはこのため)。先頭から見るとジャンパ栓の本数が3本(他のボンネットを除いた番台は4本。ボンネットは栓なし)なのが相違点で、奇数車と偶数車では3本のジャンパ栓の配置が異なります。現役車はほとんどが3000番台へ改造されていることから原形車は数が少なく、新潟からはT13編成が廃車されたことにより原形の1000番台は消滅。残る車両も間もなく終焉を迎えようとしています。

モハ484-1016。屋根上のクーラーとパンタ周りがやや異なり、こちらはモハ484-200,600,1500のスタイル。

モハ484-1052。屋根上の形状が先程のものとは異なり、現在生き残っている485系としてはこちらが標準ですが、485系列で見ると少数派です。

ここまでが新製車になります。そして残る3つの番台と、1つの改造形式を。

・クロハ481形

クロハ481-1023。現在は廃車になった、T17編成の1号車。
クハ481-1000を主な種車として、運転台側にグリーン車を設置した改造車。1両すべてをグリーン車にするほど需要は見込めないものの、グリーン車を最低限連結しなければいけない列車に連結するためのもので、元々は秋田で「たざわ」、青森で「はつかり」として改造したもの。改造種車のクハ481-1000は奇数向き・偶数向きの判別を車番で行っていましたが、クロハ481形は種車に関係なく改造順に番号が付けられているため、ぱっと見ではどちらが奇数向き・偶数向きかの判別ができなくなっています。1001~1009までが「たざわ」用で偶数向き(グリーン席定員12名)、1010~1020、後に増備した1021と1028~1030が「はつかり」用奇数向き(グリーン席定員16名)、1022~1027が「いなほ」用で偶数向き(グリーン席定員16名)と区別がされており、全て青森方を向くように改造されています。青森・秋田に配置されていましたが、一部余剰車が新潟へ転属。その際車両の向き・グリーン席の定員が変わった車両もあり、その都度改造が行われた結果、改造時の法則は成り立たなくなっています。外観はグリーン車マークが貼り付けられた程度であまり差はないですが、新潟車は一部編成のグリーン車部分のみクーラーをAU112に交換しています。一部車両は3000番台へ改造されています。

・485系3000番台

クハ481-3018。R21編成6号車に連結される、標準タイプの3000番台。
485系1000番台を中心に、内外装共にリニューアルを施した車両。新車並みにリニューアルを施した改造車で、デッキ・座席などを総取り換えし、トイレの改修・撤去を行っていま。車いす対応トイレと多目的室を設置した車両もあり、その車両のみ種車の1000番台とは定員数が異なります。側面窓の大きさも拡大し乗降ドア、車内ドアの更新をも行っています。屋根周りは、モハ484に空気遮断機が増設された程度で、床下はクハ・クロハの空気圧縮機を三相誘導電動駆動のものに交換し床下に移設、MGが静止型SIVに変更された程度(このため運転台下のルーバーが廃止)で他は種車の485系1000番台のままになっています。そのため床下と屋根周りは種車を引き継いでいるため、1000番台の1024までの車両と1025以降の車両の違いは3000番台でも表れています。番号は種車のものに+2000をしているだけで、反対に3000番台の車番から-2000をすると種車が分かります。青森と新潟で改造され、新潟車のみクーラーをAU112へ総取り換え(一部車両はクーラーを更新せずにAU13Eのままの車両も存在)し、青森車は雪対策として運転台周りとドア回りに雪覆いをつけているほか、余剰車が盛岡へ転属し「ジパング」としても活躍。現在在籍してる485系の大半は3000番台ですが老朽化も進んでおり、廃車も進行中。こちらも終焉が近いと思われます。

モハ484-3074。車いす対応トイレ・多目的室を追加改造で設置しており、その分座席定員が減っています。

モハ484-3022。種車の1000番台と大きな変更点はないので、屋根周りの違いが3000番台にも表れています。

・485系3300番台

クハ481-3342。R22編成6号車に在籍。先程のクハ481-3018とはわずかながら差があります。
485系3000番台に属するグループで、3000番台との違いは種車が300番台か1000番台の違いのみ。外観の床下が300番台のものを引き継いでいるため3000番台と異なるといった違いだけです。内装は編成単位で3000番台改造を行ったことから3000番台と同一で、種車の300番台は両渡り構造のため先頭車にジャンパ栓が4本ありますが、3300番台へ改造すると同時に3本へ改造され、実質クハ481-3000と同等の仕様になっています。番号は種車のものに+3000で、編成全体で3000に揃えるようになっています。
ちなみに、485系1500番台から改造された車両もあり、同じように床下が異なるため番号が分けられており、3500番台を名乗っていましたが、1両しかない区分であり、唯一属していたR24編成のクハ481-3506が廃車となったため、形式消滅しています。ただ、3000番台改造を受ける前にクロハ481へ改造されたクハ481-1501は、クロハ481の番号、クロハ481-1020で3000番台化されたため、3500番台ではないものの、現在唯一の元1500番台車の3000番台として活躍しています。

・485系700番台
波動編成として在籍するNODOKA、きらきらうえつ編成が名乗る番台区分。従来車とは内外装共に全く異なるために番台区分が分けられたのみで、車体は新製のため種車の面影はありません。こちらはここではなく、各編成のページで解説していけたらと思います。


ざっとこんな感じですが、追加があればまた書き足していきます。

以下の書籍を参考にさせていただきました。より細かい内容を知りたい方はこちらも参照ください。
・形式485系 イカロス出版様
・鉄道ピクトリアル 2014年11月号 485・489系電車(Ⅰ) 株機器会社電気車研究会様
・鉄道ピクトリアル 2014年12月号 485・489系電車(Ⅱ) 株機器会社電気車研究会様

新潟の話 R21編成

2015-02-25 23:58:22 | 485系まとめ
今でこそ在籍車の大多数を占める485系3000番台。青森と新潟(と盛岡のジパング編成)に在籍しているこのグループですが、改造時期が何度か分かれた新潟車の3000番台はいくつかの点で異なる部分があります。そんな中、新潟では標準的ともいえる3000番台編成を今回はまとめます。



485系R21編成
転入:2000年3月
編成移動:なし
編成
クハ481-3018(6号車)
モハ485-3037(5号車)
モハ484-3037(4号車)
モハ485-3074(3号車)
モハ484-3074(2号車)
クロハ481-3024(1号車)
最終運用:2015年3月15日 おはよう信越
秋田回送:2015年5月8日

新潟では6両編成グループの中で最初に3000番台として配属された車両。種車は新潟に在籍していた車両ではなく、秋田に在籍し「こまくさ」として活躍していた車両。山形新幹線新庄延伸により特急「こまくさ」が廃止(「こまくさ」の名称時代は701系使用の快速として残った後に消滅しています)となり余剰となった5両編成のこまくさ2・4編成の1~3号車であったクロハ481+モハ484+モハ485(残る4号車・5号車のモハ484+クモハ485のペアは秋田に残ったものの、使用されることなく廃車)に改造・組み替えを行い新潟に転属。新たにR21編成と名乗り新潟で第二の人生を送り、現在に至ります。
3グループに分かれるうち、R22編成と同じ1グループに分けられ、転落防止幌と5号車のトイレがない仕様。微妙に異なるところはありますが、主な仕様は同時期に同じ経緯で改造されたR22編成と同一です。
新潟では標準的な3000番台編成となります。目立った点がないため模型化しやすい編成ともいえ、マイクロエースからは485系3000番台6両編成仕様「いなほ」として製品化もされています。
R21編成に関しても、Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事も合わせてご覧ください。


クハ481-3018(6号車)
種車:クハ481-1018←クロハ481-1001
元こまくさ2編成の1号車。クハ481となるとそこまで目立つ車両ではありませんが、元々はクロハ481のトップナンバーを名乗っていた車両。新潟車の485系の場合新潟方を向く6号車には奇数車両のクハ481を連結しなければいけないため、偶数車両であるこの車両は方向転換を同時に行っています。
種車クハ481-1018は1979年に青森に配置。1993年に秋田に転属し、1987年にクロハ481-1001へと改造の上再度青森に転属。1988年に秋田に再び転属となり、2000年にクハ481-3018へと改造され、新潟に転属となりました。分割民営化が行われた1987年付近では、485系が青森と秋田でかなりの車両が転属を繰り返しており、この車両のように青森と秋田を何度も行き来した車両もみられたようです。クロハ481-1000のトップナンバーであった車両ですが、新潟転属時に全席普通車のクハ481へと再改造。番号もクハ481時代のものを踏襲したため、クロハ481時代の名残はほぼ見られません。


モハ485-3037(5号車)
種車:モハ485-1037
元こまくさ2編成の3号車。トイレが撤去されているためトイレタンクがないのが外観の最大の特徴です。
種車モハ485-1037は1979年に青森に配置。1988年に秋田へ転属となり、2000年に3000番台のモハ485-3037となり、新潟へ転属。R21編成の一員として活躍しています。


モハ484-3037(4号車)
種車:モハ484-1037
元こまくさ2編成の2号車。乗務員室の窓は原形になっています。3000番台改造の際、乗務員室窓に関しては種車のものを流用するので、種車が改造車であれば小窓、未改造車であれば原形サイズのものとなります。
R21編成は、秋田在籍時代のこまくさ2・4編成を組み換え改造して組成された編成であるため、1~3号車と4~6号車で改造種車の編成が異なります。6~4号車はこまくさ2編成からの転用です。


モハ485-3070(3号車)
種車:モハ485-1070
元こまくさ4編成の3号車。5号車モハ485-3037とはトイレタンクの有無程度で外観はほとんど同じ仕様です。
種車モハ485-1070は1978年に秋田に配置。以降移動することなく秋田に配置されていまたが、2000年に3000番台改造を受けモハ485-3070となり新潟へ転属となります。山形新幹線新庄延伸によった用途余剰により、3000番台へと生まれ変わって新潟の地で活躍しました。


モハ484-3070(2号車)
種車:モハ484-1070
元こまくさ4編成の2号車。新潟車の場合2号車は多目的トイレを備えた車両で、座席の1列分の撤去と車いす対応座席の設置により同じモハ484-1000,3000でも定員が異なります。この改造は3000番台改造を行うと同時に施工されており、連結位置は異なるものの青森車の3000番台にも同様の設備が整えられています。T編成R編成ともに共通運用となっていた新潟車485系は、2号車の座席は定員数の少ない3000番台のものに合わせて指定券を販売していたようです。
車両の流れはモハ485-3070と同様です。


クロハ481-3024(1号車)
種車:クハ481-1004←クロハ481-1024
元こまくさ4編成1号車。6号車に位置する元クロハ481-1001とは異なり転用に際し方向転換などの改造は行われていません。クハ481-1000としては最若番となる1004が種車ですが、クロハ481を名乗っている現在はやや気づきにくいところです。
種車クハ481-1004は1976年に秋田に配置。1985年に青森に転属しますが、1986年に再び秋田へと再転属。1988年にクロハ481-1024へと改造。その後も秋田で活躍を続けますが、2000年にクロハ481-3024へと改造され、新潟に転属となります。6号車のクロハ481-1001とは異なり、こちらはクロハ481としての機能を新潟転属後も生かすため、普通車への改造は行われていません。


編成番号表記。左がクロハ、右がクハになります。新潟車の標準となるハイフン付きのフォントではないのが特徴で、同じように表記しているR23、R25編成とはまた違ったものであるのも特徴。特にクハのものは遠目からでも目立つほど白いため、遠くから編成を判断する1つの基準となります。


転落防止幌を備えていないのも特徴。車両間の間には何もありません。


クーラーは更新型のAU112をクハ481,モハ485に全車装備。モハ484はAU71Bを装備しています。(写真は同じもののR28編成のもの)


ステップは埋め込みできないタイプのもの。ステッカーステップとドアに貼ってある「あつい」ステッカーのみが貼り付け。ゴミ箱は新潟では標準のもので、ゴミを押して入れるタイプ。青森のフタを開けるタイプとは対称的です。


トイレのない5号車の部分には他の編成同様荷物室を設置。この荷物室、R21編成のみ床下デザインが異なる(デッキと同じデザイン)というちょっと違った点も。


車内の仕切りドアは青色のもの。R編成だけでなく、T編成にも普及しているこのドア形状。ただしクロハ481の普通車とグリーン車を仕切るドアもこの形状になっているのはR編成のみ。デッキと室内を仕切るドアは自動(普通車とグリーン車の仕切りにはグリーンステッカーを貼り付け)、車両間のドアは同じタイプですが手動となっており、取っ手がつきます。


乗務員ドアの雨どいはどちらも原形タイプ。標準タイプが多いのもR21編成らしいところ。


連結器カバーは両端ともに黒。2009年頃まではクハ481のみが白でしたが、クハが白という姿が最後まで見られたのはR21編成のみ。なお連結器カバーという点では、国鉄時代に標準となったお椀型と言われている青いものを6両編成の中では唯一装備していたのも当編成のみです。


幕故障はここ最近では見られていなかった編成ですが、2011年秋~2012年冬にかけてクロハ481のヘッドマークが故障していた時期があり、その際は白い布でヘッドマークを覆っており、目立つものになっていました。



運用は転入当初から特急運用に従事しており、主に「いなほ」「北越」として活躍。「みのり」を代走した経験もある他、2012年に一度だけ「くびき野」も代走しています。増結ユニットが配備された頃から基本的にR21編成が増結対象になっており、「いなほ」の増結や「高田お花見」にも使用。増結ユニットを用いた最終運用と、増結ユニットの廃車回送を長野まで送り届けたのも当編成でした。


2012年に運転を開始した「おはよう信越」の一番列車を担当したR21編成。485系の運用が減少していく中でも華々しい姿を見せつつ活躍を続けていしたが、2015年3月改正による運用整理によってその役目も終了。自らが最初に担当した「おはよう信越」を最後に運用離脱となり、生まれ故郷である秋田で無事に役目を終えました。

新潟の話 T18編成

2015-02-24 18:22:38 | 485系まとめ
長らく更新してませんでしたが…今回は要望もあったということや、模型化も実現したということで、新潟ではかなり注目を集めている編成の1つをまとめていきます。


485系T18編成
転入:2000年7月
編成移動
転入時:T15編成
2001年3月:T18編成
編成
クハ481-1508(6号車)
モハ485-1074(5号車)
モハ484-1074(4号車)
モハ485-1082(3号車)
モハ484-1082(2号車)
クロハ481-1029(1号車)
最終運用:2015年5月30日 団体
新津回送:2015年7月7日 クハ481-1508のみ新津鉄道資料館保存のため、EF81-134牽引により回送
秋田回送:2015年8月10日,11日 残る5両は余剰廃車のため機関車牽引により秋田回送。8/10,EF64-1032牽引、新潟→長岡。8/10-11,EF81-140牽引、長岡→秋田

2000年7月から青森から転入してきた編成で、青森ではA12編成として在籍。青森では「はつかり」として主に運用に入っていましたが、E751系投入に伴い余剰となり保留車へ。同タイミングで新潟車の波動輸送用の客車を置き換える目的で新潟に転属となりました。転属当初はT15編成でしたが、これは晩年のT15,T16,T17編成が当時T21,T22,T23編成として在籍していたためで、この3編成が6連となった際はT編成最後の編成番号に位置するようにT18編成へ改名しています。これは当編成がATS-Pを備えているためのもののようで、オールモノクラスだったT19編成、R編成でATS-Pを持つR26,R27編成、青森から転属したR28編成が編成番号後半に来ているところを見ると意図的に変えているようです。転属当初は編成向きが青森時代もままで逆向きでしたが、転入して1年後に方向転換を実施。編成向きが揃ったことで他の編成と共通運用を組むようになり、2001年に上沼垂色化。2003年に「ムーンライトえちご」予備編成を担当できるよう改造を実施、2008年に国鉄色に戻され現在に至ります。



クハ481-1508(6号車)
ご存知の通り元々北海道での運用を想定した1500番台のうちの1両。1974年に札幌に配置、となっていますが、落成当初は性能チェックを兼ねて青森貸出という形で配置。その後北海道へ渡り「いしかり」として運用された後、1981年に青森へ転属。1988年に秋田に転属し、1993年に再び青森へ。2000年に新潟に転属となりました。外観は運転台後方監視窓の埋め込みなど最小限の改造に留まっており、かなり原形を残したスタイルで活躍していました。
485系1500番台は、JRへの分割民営化に絡んだ新潟への485系配置の際、優先的に新潟へ転属していたのが特徴。分割民営化直前に行われた新潟への転属時、485系1500番台で新潟へ転属しなかったのは、クハ481-1501,1508(青森残留)、1506(秋田残留)の3両のみ。このうち、クハ481-1506は1997年、クハ481-1508は2000年、クハ481-1501はクロハ481-3020となったうえで2006年に新潟へ転属。最終的に全車両が新潟へと転属しています。
(なお、クロハ481-3020(←クハ481-1501)が転属となる前にモハ484/485-1500が全廃となっている他、クハ481-1504,1505が勝田転属、クハ481-1507,クハ481-3506(←クハ481-1506)が廃車になっているので、全車両が新潟で顔を合わせたことはありません)


モハ485-1074(5号車)
1978年に秋田に配置され、1993年に青森、2000年に新潟に転属となっています。青森在籍時代に現在の編成を組成しているため、車両の動きは1993年以降は6両とも同じです。外観は転落防止幌が取り付けられた部分以外は原形を保ちます。5号車と6号車は簡易リクライニングシートを装備していた最後の485系でもあります。


モハ484-1074(4号車)
車両の動きはモハ485-1074と同じです。新潟では自由席車として活躍していましたが、青森時代とは方向が変わっているため、青森時代は指定席車として活躍していました。仕切りドアが自動ドアになっていることがその名残となります。乗務員室窓は小窓へと改造。青森時代に改造されたようで、2号車のモハ484-1082や後に転属となるK1,K2編成のモハ484も同様に改造されています。4号車は主に自由席の車両となりますが、T編成では珍しく座席の交換が行われており、3000番台タイプの座席へ交換されていました。


モハ485-1082(3号車)
1979年に秋田に配置。1993年に青森、2000年に新潟に転属となっている、という流れは他の車両と同じです。秋田在籍時の晩年からT18編成へと繋がる編成に組成されていたようですが、秋田在籍時晩年は上野発着の夜行急行「津軽」として活躍。この際の編成には、晩年新潟でT18,K1,K2編成となる車両が使われており、首都圏に乗り入れていたことから青森在籍時代も含めこの3編成にはATS-Pが設置。新潟在籍時まで密接に関わる3編成の縁はこの頃からあったようです。


モハ484-1082(2号車)
前述のモハ484/485-1074とは逆で新潟では指定席車、青森では自由席車として活躍した車両。モハ484/485-1082は新潟では2号車と3号車に連結されることから指定席車として使用されるため、新潟転入後座席を3000番台タイプの座席に交換しています。デッキなどの部分は青森時代のままであるため、客室とデッキの仕切りドアが(新潟在籍時の)2号車と3号車は手動ドア、4号車と5号車は自動ドアになっている点が、当時の名残でした。



クロハ481-1029(1号車)
種車:クハ481-1035
種車クハ481-1035は1978年に秋田に配置され、1993年に青森に転属。同時にクロハ481-1029となり、2000年に新潟へ転属となります。急行「津軽」として活躍していた頃はサロ481を組み込んだ9両編成であったためクハ481-1035として活躍していましたが、青森転属の際に他の編成と合わせるためにクロハ481-1029へ改造されたようです。
JR時代に追加改造されたクロハ481グループ最終改造車の1両。新潟と青森では編成の向きが異なっていたことから新潟に転入し方向転換が行われているため、本来偶数の先頭車となる1号車ですが奇数の先頭車となっています。クロハ481,クハ481共にですが、T18編成は各地の2008年の国鉄色再塗装時以降JRマークを省いて塗装されており、編成を見定める1つのポイントになります。なお、青森時代と新潟転入直後の国鉄色時代はJRマークが入っていました。



編成番号は左がクロハ481、右がクハ481です。標準となるのはクハ481のようなタイプですが、統一はされていないようです。


クーラーは特急編成の一員であることから更新改造が行われており、クロハ481のグリーン車部分である2つのみがAU112、他はAU13EN(モハ485,クハ481,クロハ481残り3つ)、AU71B(モハ484)を搭載しています。


「ムーンライトえちご」予備編成投入に際し関東圏に乗り入れることから転落防止幌を設置。こちらは黒で塗装されているためあまり目立つことなく編成に溶け込んでいます。


クハ481-1508のみ車体番号がペイント化されています。時期的には上沼垂色化の際にペイント化されたようなので、青森時代と新潟転入直後はオリジナルのステンレスタイプだったようです。


クハ481-1500は北海道時代に着雪防止のためテールライトを改造しているためやや形状が異なるのが特徴。このテールライトは着脱可能なので外すことも可能ですが、外さずに運用に入っています。


クロハ481-1029のタイフォン部分はなぜか取って付き。他のクロハ481,クハ481には1両を除き全く普及していなかったことから試作要素が強かったものとみられます。


「ムーンライトえちご」運用に入ったことから、全車指定である旨を示したステッカーを各車両に貼り付け。現在は「ムーンライトえちご」の設定が消滅しているもののステッカーは存置されており、かなり劣化したものは撤去される、といったことになっているようです。


乗降ステップ。晩年は外さなければいけない「いなほ」運用が置き換えられたため、「くびき野」「北越」運用を行き来しやすいようにステップを装着したままになっていますが、基本的には外したまま運用に入っていました。


窓下のステッカーとゴミ箱。窓下ステッカーは他の編成と同じものを貼り付け。ゴミ箱は青森時代のものが備わっています。ただなぜかT18編成、ゴミ箱のふたが全て撤去されています。


(食事中の方すみません…)
485系のトイレは基本的のJR時代にはリニューアルを受けていますが、T18編成も例外なく受けています。ただし他の新潟車とは異なり青森時代にリニューアルを受けているため、他のT編成とは異なった内装になっています。現在はT編成がT18編成のみとなってしまったため比較できないのが残念なところです。


デッキの仕切りドアは黄色いもので、青森時代の名残です。青森車は1000番台編成も3000番台編成に準じたリニューアルを行った模様で、仕切りドア交換もその一環と思われます。黄色のドアなのは、青森の3000番台が黄色基調のものであるからと思われます。


…が、1か所だけ仕切りドアが新潟仕様の青色のものになっているところも。


クロハ481のグリーン車部分の仕切りドア。この場所に限らず、T18編成の自動ドアは全てこの形状です。あくまで仕切りドアが自動なのは指定席車のみ、しかも青森時代で指定席車だった車両のみであるため、方向転換が行われたT18編成では自動ドアとなっているのは1,4,5号車ととびとびになっています。


2,3,6号車の仕切りドアは数少ない原形タイプ。リニューアルを施工した車両のみが生き残っている現状において原形ドアがこのような形で生き残っているのは貴重といえます。


1~4号車の車内には後付けのようなクーラーを設置。特急運用で指定席車にあたる部分のみに取り付けられていることからサービス改善のためでしょうか。他のT編成・K編成には見られません。


クロハ481の連結器カバーは時期によってかなり変わっており、黒、緑、白を装備しています。上沼垂色時代~国鉄色復帰初期(2009年頃)までが白、黒は2009年頃~2012年1月、緑は2012年1月~2013年8月、そして再び白に変わり現在に至っていることから、白カバーに縁がありそうです。なお、転属当初は青森時代のものを装備(新潟車115系と同タイプのもの)しており、クハ481は転属当初を除き一貫して黒カバーです。



運用に関しては、転属当初は波動運用、編成向きが揃った時点から「いなほ」「北越」といった特急運用に原則入っています。一時的ながらT22編成と連結し10両編成となり「いなほ」を担当したこともあったりと、面白い運用にも入っています。「みのり」「くびき野」には当初から代走指定編成となっており、専属編成のあった頃は原則T18編成が代走を担当していました。「くびき野」専属編成消滅後は積極的に「くびき野」運用に入っていますが、「北越」運用にもちょくちょく顔を出したりとなかなか動きが読めない運用の入り方をしています。「ムーンライトえちご」でも予備編成として機能していたことから「フェアーウェイ」などの運用も担当。「能登」でも予備編成として機能…といいたいところですが、運用実績を見ると代走というよりT18編成も所定編成に含まれていた、と見てもいいと思います。
TDL臨や多客臨としても活躍しており、青森や関東、関西への乗り入れを行ったほか、他支社に貸し出され各地の臨時列車や代走に使用されたことも。仙台支社に貸し出し臨時「あいづ」運転や「あいづライナー」代走、盛岡支社に貸し出し「つがる」代走などといったものが例になりますが、状態の良さからか各地での活躍もみられ、それが今の人気につながっているのかもしれません。


今でこそ人気もあり注目される存在ではありますが、青森所属時代はE751系投入により真っ先に運用から外され保留車扱い。新潟へ転入しても最初は編成の向きが違ったために他の編成と同じ運用を組めなかったという過去もあります。それでもひたむきに今まで走り続けたことが、今の人気と活躍ぶりに繋がっているんだと思っています。彼を見るときに、日の目を浴びなかった過去があったということを思い出してみると、また違った見方が出来るのではないでしょうか。
新潟地区では最後まで残った1000番台・1500番台編成。団体列車として新潟の各地を駆け抜け、その先頭を飾った1両、クハ481-1508は新津鉄道資料館に保存。残る5両は機関車牽引により秋田へ回送され、役目を終えました。