忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 R28編成

2015-12-31 21:01:23 | 485系まとめ
2015年3月改正後も営業運転を行った編成は少なく、改正後に唯一残った新潟車の担当運用である糸魚川快速に充当された編成は、3月改正まで生き残った9編成のうちわずか4編成のみ。そのうち1編成は改正後すぐに運用から外れ、残った3編成のうち1編成も6月に運用を離脱。そうして残った2編成のうちの1編成がR26編成。そしてもう1編成が、青森から転入した3000番台という異質の存在であるこの編成です。


485系R28編成
転入:2006年3月
編成移動:なし
編成
クハ481-3350(6号車)
モハ485-3040(5号車)
モハ484-3040(4号車)
モハ485-3056(3号車)
モハ484-3056(2号車)
クロハ481-3020(1号車)

元々は青森A9編成で、青森で活躍していた編成です。青函トンネルには入れない編成ではありますが、青森で3000番台への改造が行われ、2001年12月までは盛岡~青森の「はつかり」として活躍していました。2001年12月に東北新幹線が八戸まで開業すると、輸送体系の見直しにより青森車485系の運用が減少。3000番台改造が行われたとはいえ運用数が減少したため余剰気味に。そんな中転機となったのは2005年12月。羽越本線脱線事故の影響で、新潟車の485系が1編成不足する事態に。そこで白羽の矢が立ったのがA9編成。新潟車の不足を補うために青森で組み替えを行い、4両が青森から新潟へ転属。方向転換と塗装変更を行い新潟車R28編成として活躍を始めました。485系3000番台で初の転属が行われた編成です。R28編成のうち4両はA9編成として青森から転属した車両。残る2両は、新潟車R1編成を6両に組み換えR26編成とした際余剰となった3両のうちの2両を組み込んでいます。一方青森では、新潟への転属に際しA8編成とモハユニットを組み替えています。
形式写真をなど細かい部分については、Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事もご参照ください。

○青森在籍時
青森車A9編成           
クハ481-3350(1号車)      
モハ484-3068(2号車)
モハ485-3068(3号車)
モハ484-3081(4号車)      
モハ485-3081(5号車)      
クロハ481-3020(6号車)     
青森車A8編成
クハ481-3005(1号車)
モハ484-3035(2号車)
モハ485-3035(3号車)
モハ484-3056(4号車)
モハ485-3056(5号車)
クロハ481-3021(6号車)

○A9編成新潟転属時
青森車A9編成           
クハ481-3350           
モハ484-3056            
モハ485-3056            
クロハ481-3020          
青森車A8編成
クハ481-3005(1号車)
モハ484-3035(2号車)
モハ485-3035(3号車)
モハ484-3068(4号車)
モハ485-3068(5号車)
クロハ481-3021(6号車)

(モハ484/485-3068と3056を組み替え)
(モハ484/485-3081は増結ユニットとして青森に残留)
なお、この際組み替えられたモハ484/485-3068と青森に残留となったモハ484/485-3081ユニットは、2010年12月のダイヤ改正による輸送体系見直しにより余剰。2011年に廃車となっています。

○青森A9編成→新潟R28編成化
クハ481-3350(6号車)
モハ485-3040(5号車)
モハ484-3040(4号車)
モハ485-3056(3号車)
モハ484-3056(2号車)
クロハ481-3020(1号車)
(モハ484/485-3040をR1編成より組み込み)
(新潟車とモハ484/485の向きを合わせるために方向転換を実施)



クハ481-3350(6号車)
改造種車:クハ481-350
種車のクハ481-350は1976年に青森に配置。以来どこにも移ることなく青森に在籍し、1999年に3000番台へと改造。2006年に新潟へ転属となります。485系300番台では初の3000番台改造が行われました。300番台は1000番台と異なりどちらの向きにも対応した先頭車ですが、3000番台改造と同時におそらく1000番台と同様の仕様となっているため、新潟へ転属する際に方向転換が行われているはずです。


モハ485-3040(5号車)
改造種車:モハ485-1040
種車は1978年に青森に配置。1988年に秋田に転属となり、1997年に新潟へ転属。同時に3000番台改造が行われ、R1編成に組み込まれました。2005年まではR1編成の一員として活躍しましたが、R1編成を6両編成のR26編成化する際に余剰車に。そして今回のR28編成組成の際に転用され、今回の4号車5号車に連結されることとなりました。組成の経歴からR21~R25編成では撤去された5号車のトイレは存置。ここが他の編成との識別点となっていました。


モハ484-3040(4号車)
改造種車:モハ484-1040
車両経歴は上記のモハ485-3040と同じです。モハ484/485-3040のみ青森からの転属車ではないため、経歴も他の車両とは異なったものとなります。青森から転属されていないため乗務員室窓は原形。小窓へと改造されたR26編成やR23編成のモハ484と識別可能です。


モハ485-3056(3号車)
改造種車:モハ485-1056
1979年に青森に配置。1988年に秋田へ転属となりましたが、1993年に再び青森へ転属となり、1997年に3000番台へと改造されました。青森車の一員ではありましたが、A9編成ではなくA8編成として活躍してたため、改造時期がクハ485-3350とクロハ481-3020とは異なっています。2006年にA8編成からA9編成に組み替えられ、2006年に新潟へ転属となりました。青森時代はA8編成の5号車に組成。隣の6号車とデッキが重なるためかトイレが撤去されています。新潟転入に際し組成位置がデッキが重なっていた5号車から中間に位置する3号車へ変更になっていますが、青森時代の名残で3号車に位置しているもののトイレが撤去されています。トイレ撤去後には電話室が設置されていたため、電話用のアンテナが屋根に設置されています。


モハ484-3056(2号車)
改造種車:モハ484-1056
車両履歴は上記の車両と同じ。車いす対応トイレ設置車であるため、新潟転入時には2号車に当たる部分に連結されています。車いす対応トイレ設置車の隣にトイレがない、という組成はR26編成とR27編成と同じ。ですが3号車のトイレ撤去の事情はR21編成~R25編成と同じという独特な編成です。


クロハ481-3020(1号車)
改造種車:クロハ481-1020←クハ481-1501
数少ない485系1500番台の生き残りの1両。3000番台改造を受ける前にクロハ481-1020へと改造されたたために番号だけでは1000番台の一員のような車両になっています。種車はまず1974年に札幌へ配置(厳密には札幌に配置した状態で青森に貸し出され「白鳥」にて慣らしを兼ねた暫定運用に就き、それから北海道へ)。1981年に青森へ移り、民営化後の1987年にクロハ481-1020へ改造。クロハ481では唯一の四つ目車として活躍しましたが、1999年に3000番台改造受けクロハ481-3020へ。そして2006年に新潟へ転属となります。新製された485系1500番台は他番台・他形式への改造後も含めますが全車両が新潟に一度転属されており、クハ481-1501が1500番台では最後に新潟に転属となった車両となりました(他の車両は大半が民営化直前の1987年、クハ481-1506が1997年、クハ481-1508が2000年に新潟に転属となっています)。2015年現在、JT車への改造種車を除き、485系列最古参の車両です。



編成表記。左がクロハ、右がクハです。トリミングの比率などで違うフォントのようにも見えますが、晩年はどちらも統一されたスタイルです。
編成表記の下に見えるのはおそらくカメラ。2012年の検査出場時から取り付けられ、以来撤去されずに残っていますが、用途は不明です。


運転台近辺。青森車の特徴として、運転台ガラスの両脇の部分に雪避け用の灰色のものがついています。新潟車には取り付けられていなかったので、新潟色で唯一のスタイルです。このほか、上で述べたとおりカメラが取り付けられたためか運転台部分に載っている機械がR28編成のみやや多い模様です。


クーラーは、1,3,5号車は写真左の更新型のAU112、6号車は未更新型のAU13EN。2,4号車のモハ484はAU71Bです。青森車のクハ,クロハ481とモハ485は全て未更新型のAU13ENであるため、こちらは新潟で更新を受けています。6号車だけ未更新のままであった理由は不明です。


連結器カバーは両端黒。転入が遅い時期であったため、黒から変わったことはありません。


R28編成の前面LED。2012年3月までは稼働していましたが、突然クハ側クロハ側ともに非表示に。故障と言われていますが、過去の故障事例を見る限り両方同時に故障する例はないため、何らかの事情で停止措置となったのではないかと思われます。タイミングとしては、らくらくトレイン信越とおはよう信越運転開始に伴った方向幕整理時に使用停止に。これが関わっていると思われますが…。


前面幕LED使用時。青森時代のLEDのため、表示パターンが新潟と異なるのが特徴。そのため新潟車にはない赤背景のLED幕が存在しました。


乗降ドアのステップ部分。2013年からは「くびき野」に多く運用されていましたが、それまでは「北越」「いなほ」運用が主であったことからステップは非装備。現在は「くびき野」運用の名残からかステップは装備したまま運用されています。


青森に在籍していた名残として、雨どいが改造されて曲がっているのが特徴。新潟の3000番台編成はこのほかにR25編成が曲がっているのみでした。


ATSは青森時代からPsのみを装備。装備しているものは変わらないはずですが、塗装変更時に位置が変わったらしく、微妙に名残が見えます。


R26,R27編成同様に3号車にトイレはなく、内装は同じように電話室が設置されていました。こちらも現在は電話が撤去され、単なるデッキになっています。


同じように反対側にはなぜか残っている紙コップ置き場。当然ここに紙コップはありません。


青森から転属となった1~3,6号車には青森時代のステッカーが貼られています。晩年期は下にあるようなステッカーが新潟車にも貼られることとなりましたが、撤去されることはなく、ボロボロになった3号車のステッカーのみが撤去され、現在は1,2,6号車に残っています。


青森と新潟では車両の塗装が違うためか普通車の座席そのものは同じであるものの色が異なり、青森は黒とグレー、新潟は青と黒が基調となっています。青森から新潟へ移る際、座席も新潟に合わせた物に交換されましたが、1号車と6号車は交換できなかったのか青森時代のままの座席。乗車の際は気にしてみてはいかがでしょうか。


6号車はほとんどが青森時代の座席ですが、座席が壊れたのか一部が新潟のものに交換。現在3000番台で唯一混色の座席となっています。


仕切りドア。青森で改造された4両は青森時代のものを交換せずに使用しているため、現在も仕切りドアは青森時代の黄色で残ります。


一方、新潟で改造された2両は青色のまま。出身がR1編成のためか、手で開けるように促すステッカーが残っています。


3号車にある車内表示機。トイレがない3号車はトイレの使用状況の部分をどうしているかといえば、白い紙で覆って使用停止状態。R26編成とは異なる処置です。


車内で表示している車両番号ですが、3000番台の標準フォントは左のようなステッカーで表示。ところがモハ485-3056だけはなぜか国鉄フォントでステッカーではなくプレートが設置。見て分かる通り同じユニットの相方であるモハ484-3056がステッカーであるため、本当に謎な部分です。


デッキのゴミ箱。新潟車のものはふたを押して開けるのに対し、青森車はふたを上に上げて開けるタイプのもの。そのため指を挟みこんで怪我をしないように加工されています。



青森からの転入車ではありますが、運用は他の編成と共通。転属時は特急運用である「北越」「いなほ」が中心。2013年に初めて「くびき野」を代走し、その後は3000番台編成でありながら比較的多く「くびき野」運用を担当。2014年からは「くびき野」専属編成であったT16,T17編成が離脱したため、「北越」「いなほ」と「くびき野」を行ったり来たりの運用を繰り返していました。2015年3月の改正前日はR26編成とともに運用には入らず新潟で留置。その後3月16日に糸魚川快速に初充当。6月までは比較的多く充当されていましたが、6月にR26編成が出場し糸魚川快速に充当されるようになってからは、R28編成の出番は少なくなりました。現在では糸魚川快速1往復のみに充当される程度ですが、団体運用で関西地区への入線を果たし、青森時代を含めると本州最北端と最西端の運用範囲に足を踏み入れる幅広い活躍を見せています。なお、臨時快速への充当履歴は少なく、8両編成の増結運用には入っていません。
晩年はHMが非点灯であるためハズレ扱いを受けることが多い編成ですが、それでも最後まで残った新潟車485系の数少ない編成の1つであることに変わりはありません。どのような活躍を見せてくれるのか、見守っていきたいものです。

新潟の話 R26編成

2015-12-12 08:26:18 | 485系まとめ
そもそもこのまとめをするにあたり、まずは現役編成をやるべきだったということで、数少なくなった現役編成のうち、長く新潟に在籍していた編成を。



485系R26編成
転入:1996年12月
編成移動
転入時:R1編成
2006年3月以降:R26編成
編成
クハ481-3034(6号車)
モハ485-3033(5号車)
モハ484-3033(4号車)
モハ485-3060(3号車)
モハ484-3060(2号車)
クロハ481-3026(1号車)

元々は1997年3月に登場した「はくたか」向けの編成として、初の9両編成3000番台として、秋田と新潟で余剰となっていた車両を改造し配置。その後485系が「はくたか」から撤退し、一時期は定期運用を持たず波動編成として在籍していましたが、2006年に編成を9両から6両に短縮し、新たにR26編成として活躍を始めた編成です。R1編成時代からATS-Pを持っており、一時期は関東への入線もあったようですが、関東地区で使用開始となったデジタル無線を装備していないため現在は関東地区へ入線できず、関西地区のATS-Pにも対応していなかったことから、晩年はATS-Pを使用した運用には一切入っていません。
組み換えなどを行ったために内装や外観が異なることから、同様の内外装となるR27,R28編成と同じグループ分けを個人的ではありますが行っています。
Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事も合わせてご覧いただくと、形式写真を中心により一層R26編成についてお分かり頂けると思います。

改造時はR1編成として新潟に配置されていたということで、一度も見たことがない身ではありますが、R1編成時代の編成表も載せておきます。
クハ481-3034(9号車)
モハ485-3040(8号車)
モハ484-3040(7号車)
モハ485-3060(6号車)
モハ484-3060(5号車)
サロ481-3107(4号車)
モハ485-3033(3号車)
モハ484-3033(2号車)
クハ481-3026(1号車)
6両への組み替えは、単純に4~6号車を抜いて6両…とはせず、モハユニットの位置を入れ替えています。これは主にモハ484の付帯設備が絡んでいるためです。下記で詳細を述べていきます。
9両のうち、5両はR26編成へそのまま転用。1両は改造の上R26編成へ組み込まれ、残った3両のうちモハ1ユニットはR28編成へ転用。最後まで残ったサロ481-3107だけは転用先が見つからず、6連化の際に編成から外れ廃車になっています。



クハ481-3034(6号車)
種車:クロハ481-1006←クハ481-1034
種車は1979年に秋田に配属。民営化直前の1987年にクロハ481-1006へ改造され、改造後も秋田で活躍を続けますが、(おそらく秋田新幹線開業目前の田沢湖線改軌工事に伴った「たざわ」減便の余剰車となり)今回のR1編成の改造種車に選ばれ、改造と同時に新潟へ転属となりました。今回の改造でクハ481へと復元が行われていますが、その際はクロハ化される前のクハ481-1034の番号を踏襲しクハ481-3034となりました。R1編成では9号車に連結。新潟では大阪・金沢方を向く車両は奇数番号の車両が使用されていたため、今回の改造で奇数方向への方向転換も行われています。R26編成への転用時は9号車から6号車へそのまま転用されたのみで、目立った動きはありません。


モハ485-3033(5号車)
種車:モハ485-1033
R1編成時代は3号車に連結。R26編成化に際し組み替えが行われ、5号車に連結されることとなりました。R21~R25編成は6号車とデッキが面している5号車のトイレが撤去されていますが、このような組み替えの経緯があるためトイレが残されているのが特徴です。


モハ484-3033(4号車)
種車:モハ484-1033
R1編成時代は2号車に連結。こちらもR26編成化に際し4号車へ組み替えられています。1979年に青森に配置。1993年に秋田に転属された後、R1編成向けの改造を受け1997年に新潟に配属となっています。新潟では数少ない、乗務員室窓が改造された3000番台車です。R1編成への改造前は5両編成を組んでおり、改造に際しクロハ481+モハ484+モハ485の3両が改造を受け転用。5両編成ということで、残りの2両は必然的にモハ484+クモハ485になりますが、こちらは3000番台改造は行われず幕張へと転属。ニューなのはなの種車となり活躍していました。


モハ485-3060(3号車)
種車:モハ485-1060
R1編成時代は6号車に連結。今回の組み換えで3号車に組み替えられました。9両編成は6号車のデッキに電話室を設けており、3000番台は青森車がトイレを撤去して電話室を設けていたことから同様の改造を施工。その結果トイレが撤去されましたが、撤去されたまま相方モハ484-3060に合わせて組み替えを行ったため編成中央部分に連結されている車両ではありますがトイレが撤去されています。電話室時代の名残で、デッキ屋根上部分にアンテナが取り付けられているのも特徴。車両自体はモハ484/485-3033と同様の動きをしています。なお、今回R1編成での改造で使われたクモハ485を含む5両編成2本は、厳密には3000番台改造の前に一度新潟に転属の扱いを受け、3000番台への改造が行われています。この際、改造に使われなかったクモハ485+モハ484(クモハ485-1001,1009+モハ484-1017,1076)も新潟に転属の扱いとなっているため、1年間のみ新潟に配属された扱いを受けています(運用入りはしていませんが)。


モハ484-3060(2号車)
種車:モハ484-1060
車いす対応トイレを備えたモハ484。R1編成時代は5号車に連結。3000番台の車いす対応トイレを備えた車両はグリーン車に近い位置に連結するようにされているようで、R1編成時代もグリーン車である4号車の隣に連結されていました。R26編成への組み換えの際、他の6両編成でも組成されているグリーン車の隣の2号車に組成されるように組み替えを行ったことから、他のモハ484/485ユニットも組み替えを行うこととなったようです。この影響で、R21~R25編成には3号車にあるトイレがなく代わりに5号車にはないトイレがある、といった差が生まれています。もっとも、これは所属が東日本だったからこそユニットの組み換えのみで済みましたが、これが西日本であればトイレ位置統一のためにユニットを切り離して組み替え、ということも起きたような気がします。


クロハ481-3026(1号車)
種車:クハ481-3026←クロハ481-1005←クハ481-1026
クロハ481となっている1号車は、R1編成時代はグリーン車であるサロ481が連結されていたこともあり同じ1号車に連結されていたとはいえクロハではなくクハ481-3026として在籍していました。種車であるクハ481-1026は1979年に秋田に配属され、民営化目前の1987年にクロハ481-1005へ改造。R1編成改造の際改造種車として選ばれ、改造と同時に新潟へ転属。この際クハ481への復帰が行われクハ481-3026に…といった流れはクハ481-3037と同様。ただしこの車両はその後R26編成化の伴いクロハ481へと再改造を受けます。一見地味な車両ではありますが、3回も改造を受けた車両というのはそう多くはないため、貴重な経歴を持つ車両でもあります。



編成番号。左がクロハ、右がクハ。スタイルそのものは半角フォント+ハイフン付と標準的なものですが。クハ側の編成表記が中央に寄っているのが特徴。ほとんどの編成がクロハ側のように端に寄せているものがほとんどであるため、特徴的なスタイルでもあります。


クーラーは晩年クハ481,クロハ481,モハ485は全て更新型のAU112で、モハ484はAU71Bを装備(画像は同じタイプであるR28編成のものを流用しています)。このうち、6号車のクハ481のみ2009年頃まで未更新型のAU13ENを載せていました。


連結器カバーは黒。R1編成時代はカバーがかなりころころと変わっていたようですが、R26編成は黒でおおむね統一されていたようです。


クロハ481のHMは現在撤去されており、よく見ると中身が見えます。他の編成とは異なり完全に撤去されているため、HM部分は真黒です。
2015年12月初めにクハ側HMも非点灯となったようです。
→LEDが不調で点灯する時と点灯しない時があるようです。機器の劣化でしょうか。


一方、こちらは2011年頃のR26編成。3月~8月まではクハ側のHMが故障したため白い幕でおおわれていました。8月にR26編成のHMは直りましたが、入れ替わるようにR21編成に同様の故障が発生しています。


晩年は主に「くびき野」に充当されていたこともあり、晩年はステップを埋め込んだ状態で運用されていました。このステップ部分ですが、R編成とT,K編成では種類が異なっていたようで、R編成の物はステップの下の部分が透明なもの。一方T,K編成は透明ではなく灰色のものです。取り付け自体は2014年から行われましたが、本来充当されていた「はくたか」の運転区間のうち、北越急行線内の十日町のホーム部分のみかさ上げが行われていたため、R1編成時代にも装備していたはずです。


R1編成とR2編成のみに取り付けられたエンブレム。R26編成とR27編成となったあとも存置されましたが、劣化が進みどちらの編成も撤去されてしまいました。R26編成は2009年の検査出場時に撤去。その痕跡はうっすらと残っています。乗務員室雨どいは原形です。


3号車デッキに設けられた電話室スペース。電話室スペースというだけあり、簡単な仕切りがあるのみで個室というものではありません。元々ここには公衆電話が設置されていましたが、現在は撤去され仕切りのみが残っています。R21~R25編成にはない設備ですが、逆にR21編成~R25編成の5号車にある荷物室はありません。


電話室スペースの反対側。本来の改造種車部分にはトイレがあった部分ですが、洗面台部分に電話室スペースを設けたためにトイレとしての機能が失われ、トイレそのものが撤去。ですがトイレの部分はそのまま存置されたのか、乗務員室として残っています。当然ながら扉はありますが開きません。そしてその手前にあるのは種車の名残である給水機と紙コップ受けの部分。原形編成ですら撤去されたものがなぜここだけ存置されているか疑問です。


一方2号車の元トイレ部分。車いす対応車のトイレは改造種車の乗務員室部分を改造して設置されたため、本来トイレがあった部分は必要となる機器類のスペースを除き撤去。そのためにちょっと変わった形になっていますが、この部分は一応荷物室になります。R26編成だけでなく、3000番台車には共通の部分です。


R26編成の車両間のドア部分に貼付されているシール。ドア形状はそっくりですが、車両間のドアは手動であるための注意ステッカーです。3000番台編成が主流でなかった新潟地区独特のもののようですが、元R1編成でR26編成に転用された6両のみに存置されて、他の編成には見られません。


クロハ481-3026の車内仕切りドア部分。他の編成と異なりクロハ481改造が遅かったため、車内仕切りドアが他の編成とは違ったものへ変更されています(同時期に改造されたR27編成は同一の仕様)。


3号車の車内上部の電光表示機。その隣にあるトイレの使用状況を示すランプですが、3号車にはトイレがないので、その部分は隣の2号車のトイレの使用状況を示すように改造されています(隣のモハ484-3060との組み替えは行われていないので、9両時代は5号車の使用状況が示されていたものではないかと思われます)。R21編成~R25編成は隣の6号車のトイレがすぐ近くということもありこのようなものは設置されていません。R27,R28編成についてはそれぞれの編成で記載しますが、このような改造は行っていません。



R1編成時代は「はくたか」専属編成として活躍し、「はくたか」が金沢を起点として動くことから基本的に金沢に常駐。検査の際は全車グレードアップ車に統一したT5編成を「はくたか」に使用し、R1編成は「北越」で新潟に出入りする運用が組まれていました。翌年R2編成が配置されると、9両T編成と運用が一部共通化。R2編成とは一週間おきに金沢常駐を交代していました。また、新潟への送り込みが「雷鳥」へと変更となり、送り込み運用以外でも「雷鳥」運用に入ったことから大阪へも頻繁に顔を出していました。2001年に新潟車が「雷鳥」から撤退すると、新潟への送り込みが再び「北越」へと変更されましたが、金沢常駐のスタイルは「はくたか」から撤退するまで続きます。この頃から、金沢に常駐していないR1,R2編成が混雑対策として繁忙期などの「いなほ」を担当することとなり、青森への入線も実現します。「はくたか」から撤退したとは1年ほど波動編成となり、ATS-Pを生かしTDL臨などの関東方面の団体も担当し入線となりましたが、R26編成への改造が行われ、現在のスタイルとなります。
なお、このR26編成とR27編成の改造により、特急編成であったT16,T17編成が「くびき野」専属編成に。当時専属編成であったT21,T22編成を置き換え、T21,T22編成は長野で組み替えを行い「彩」へ改造。老朽化していた14系客車「浪漫」が置き換えられています。


6両のR26編成なった後は他の編成と同じく「北越」「いなほ」として活躍しますが、改造されてからかなりの年数を走り込んでいたためか他の編成に比べ老朽化が進んでおり、晩年は10運用あった特急運用を最初から最後まで運用通りに入ることのほうが少なく、高確率で運用途中で差し替えにより離脱していました。R1編成時代に大阪まで乗り入れていますが、R26編成としてはあまり団体臨時運用には入らなかったこともあり、R26編成としては金沢が最西端。北限はR1編成時代もR26編成化後も青森まで入線。R1編成時代に入線した関東地区はR26編成としてTDL臨などでの活躍はあったものの短期間で終了。「みのり」運転時はR1編成だったこともあり長野への入線履歴もなく、信越山線区間へは長らく未入線のままでしたが、2014年以降運用入りとなった「くびき野」で新井までの入線を果たしました。それまでは特急運用にしか入らなかったR26編成ですが、2014年の「くびき野」担当開始後は「くびき野」運用を中心として活躍。2014年12月に検査出場となりましたがすぐに故障を起こしてしまい、2015年1月の臨時「いなほ」を最後に運用を離脱。長らく留置が続き、4月に秋田へ機関車牽引により送られましたが、同年6月に再度検査を出場。糸魚川快速として最後の活躍を続けます。
R1編成として新潟に配属された1997年は、ちょうど6両のT編成が配属され始めた頃。辿って来た経歴は異なるとはいえ、今もほとんど変わらぬ姿で新潟の地を駆け抜ける貴重な編成です。

新潟の話 T14編成

2015-12-01 08:10:01 | 485系まとめ
最後にいなくなる編成というのはいろいろなところで名が知れますが、やはり最初にいなくなった編成というのはあまり名が知られないもの。今回はひっそりといなくなってしまった編成を。



485系T14編成
転入:1997年8月
編成移動
転入時:T18編成
2000年3月以降:T14編成
編成(最終時)
クハ481-352(6号車)
モハ485-1012(5号車)
モハ484-1012(4号車)
モハ485-1043(3号車)
モハ484-1043(2号車)
クロハ481-1018(1号車)
最終運用:2013年9月16日 北越9号
廃車回送日:2013年9月25日

晩年のT13編成などと同じ時期に新潟へ転属となった特急編成。転属時は4連化対象となったT17,T19,T20編成の真ん中であるT18編成であったことから編成名の変化が6連編成の後半であるT14編成へと移動。構成ユニットも車両故障により当時余剰となっていた雷鳥用グレードアップ車両が組み込まれ、特急編成でありながらグレードアップ車両連結という特徴的な編成でした。しかしながら、検査期限の関係上晩年に残った485系編成の中で最初に離脱してしまったことや、T14編成とその後すぐに離脱したT11編成が離脱した後も上沼垂色編成が5編成残存していたことから、大きな話題にはならずにひっそりといなくなってしまいました。離脱してから2年ほど経ちましたが、このような編成があったということの記録となれば幸いです。


クハ481-352(6号車)
6号車を飾ったのは1000番台ではなく300番台車。新製配置は1976年に青森で、1000番台の初期製造車も同年配置であることから、ほとんど1000番台車と同等の扱いを受けています。1993年に秋田へ渡り、1997年に新潟へ。同時期に製造された車両のほとんどがクロハ481や3000番台への改造を受けましたが、この車両とクハ481-351(T16編成に連結)は最後まで改番を伴った改造を受けることなく生涯を終えました。


モハ485-1012(5号車)
9連時代に電話室だったこともあり、その当時のアンテナが残っています。車両詳細は下記を参照。


モハ484-1012(4号車)
グレードアップ車であった2両は他の4両とは生い立ちが異なり、こちらは1976年に秋田に配置されたものの、新潟への485系配置が決まった際の初転属車として民営化直前の1987年に新潟へ転属。以降他の地区への転属はなく新潟を拠点に活躍していました。この際に転属されたモハ484/485-1000,1500ユニットはほぼ全車両グレードアップ改造を受けることとなり、1012ユニットもその対象に。新潟に485系が配属となった当時は全て9連編成だったため、1012ユニットも9連編成の一員として活躍。6連編成が続々と転入してきた1996年代以降も9連編成に組み込まれ、9連時代末期はT3編成の一員として活躍。2001年3月に新潟車の「雷鳥」運用が消滅したため余剰車となりましたが、同時期に元々T14編成の4,5号車であった1084ユニットが故障。その代替車として組み込まれた結果、グレードアップ車最後の生き残りの1ユニットとして生き残ることとなりました。なお、元雷鳥用編成はそのほとんどが編成短縮や改造を受け生き残ることとなりましたが、T3編成のみはこの1012ユニットを除き一切転用されずに廃車となったため、T3編成唯一の生き残りでもありました。


モハ485-1043(3号車)


モハ484-1043(2号車)
こちらは他のユニットと同じような動き方。1978年に秋田に配属され、1996年に新潟に転属。モハ484の乗務員室窓も原型であり、他の4両が目立った分おとなしい車両でもありました。


クロハ481-1018(1号車)
種車:クハ481-1033
1978年に秋田に配属。1987年に青森へ転属となりましたが、1988年にクロハ481へ改造。1993年に秋田、1997年に新潟へ転属し、以降新潟を拠点に活躍しました。新潟に転属となった時は転属当時のT18編成(晩年のT14編成)ではなくT19編成(晩年のT16編成)のクロハ481として配属。そのため新潟に配属となった後は、T19編成→T22編成(4連編成短縮化)→T16編成(6連編成復帰)→T14編成のクロハ481として活躍しました。T14編成へ移る際はクロハ481-1011と組成位置を交換。クロハ481-1011がT16編成のクロハ481となり晩年を迎えました。前述の通り新潟配属時のT19編成のクロハ481だったため簡易リニューアル改造の対象車となっており、乗降ドア交換を伴った本格的な簡易リニューアル車でした。編成中のグレードアップ車が大きく目立っているためかあまり目立ってはいませんでしたが、この車両のみ乗降ドアが異なっていました。当然ながら、この車両だけが簡易リニューアル車なのは、この車両のみ組み替えが行われたためです。新潟へ485系が転属となった際はかなりの回数組み替えが行われましたが、このクロハ481-1018⇔クロハ481-1011の組み換えが新潟車485系最後の組み換え車になりました。1~3号車の座席は3000番台仕様のものですが、1号車と3号車は取っ手がついていました。


編成表記。左がクロハ、右がクハです。晩年は数少ない標準フォントで両端統一というスタイル。他の編成では晩年も特徴的なフォントや位置のものが多かったですが、最後はおとなしめな編成表記でした。


連結器カバーは両端黒。変更が多かった他の編成に比べ、ほとんど変更なく両端とも黒カバーでした。写真はクハ側で、300番台らしくジャンパ栓受けが4つあります。ジャンパ栓受け4つ+黒カバーというスタイル、300番台車自体の在籍数が少なかったこともあり、実はあまり多く見られないものでもありました。
クーラーは特急編成と同じ仕様。T13編成の項目のクーラーと全く同じ構成なのでここでは省略します。


ステップは非装備。外観が「くびき野」編成とそっくりですが、くびき野代走は未経験。関西地区への乗り切れ実績はあるので、その際にステップを装備したかどうかもありますが、普段は非装備でした(ステップ非装備編成で関西地区への乗り切れ実績がある編成は他にもいくつか在籍していました)。


グレードアップ車は本来指定席用の改造車ではありましたが、改造時に座席数が1列減少し未改造車より定員数が4名少ないため、6連編成の指定席車に組み込むと他の編成の指定席車両と定員数が異なることから指定席車には組み込めず、普段は自由席車となる4号車と5号車に当たる部分に連結されることとなりました。とはいっても、4号車は繁忙期を中心に指定席となるため、繁忙期には指定席車として活躍した頃の面影がよみがえりました。
(ただし、9連編成の晩年は運用数減少などによって生じた余剰車の組み替えを行いクハ2両以外はすべてグレードアップ車となったため、日常的に自由席車のグレードアップ車が見られてはいたのですが)
グレードアップ改造の際乗務員室窓に関しては手を加えていないので、この部分は原形のままで残っています。ちなみに、客室窓の拡大方法が3000番台とグレードアップ車では異なっているので、よく見ると同じ客室窓拡大車でも窓の位置が異なります(3000番台は主に下に、グレードアップ車は主に上へ窓を拡大しています)。


電話室時代のアンテナ部分。非常に見えにくいですが…。3000番台編成では撤去されたトイレは存置のようで、トイレタンクが残っています。



クハ481-352とクロハ481-1018は、青森に在籍していたこともあってか雨どいが改造されており、原形車とは異なり雨どいの形が異なっています(両端が曲がっているのが特徴)。下のクロハ481-1025の雨どいはT13編成の原形のもの。比べてみるとどのように曲がっているかが分かります。
また、クハ481-352にはベビーシートがないのも特徴の1つ。T11,T12,T13,T15編成のクハ481には設置されているため同じく設置されていそうですが未設置です。おそらくベビーシート改造時に秋田に在籍していなかったためのものと思われます(写真でベビーシートがないのがお分かり頂けると思います)。


外観にはとても個性的な部分が多い編成ですが、所属は特急編成。「北越」「いなほ」だけでなく、共通の運用となる「おはよう信越」「らくらくトレイン信越」もこなしています。最後のT編成上沼垂色として活躍したT13編成が最低限の運用範囲のみの活躍に留まる中、かつては「みのり」として長野へ、関西への団体臨時運用で大阪へ、「いなほ」として青森へと、「くびき野」代走未経験ながらその運用範囲は広範囲。更には中越地震の際長野~新潟を走った臨時快速として越後線。多客臨時・団体臨時列車として上越線も走行するなど、走行範囲はかなりのものでした。
広範囲に渡る活躍を考えれば、大きく注目を集めても良い編成であったと思いますが、検査期限の関係からか晩年期に残った編成の運用離脱第一号に。新潟地区の485系運用離脱は事故廃車となったR24編成以降見られなかったことから、久々の離脱として一部では話題となりましたが、新潟車の485系在籍数が多かったこともあってか大きな話題とはならず、静かに役目を終えました。
かなり多くの特徴や車歴を持った車両ばかりな編成ということもあり、運用離脱第一号編成…ではなく、個性的な編成の1つとして、思い出していただければ何よりです。