城郭探訪

yamaziro

丸岡城(養林寺城) 近江国(甲西)

2013年06月13日 | 平山城

   

お城のデータ

所在地:湖南市(旧・甲賀郡甲西町)柑子袋(こうじぶくろ)町 map:http://yahoo.jp/wW2LFD

別 名:養林寺城

区 分:平山城

築城期:鎌倉期 治承4年(1180)

築城者:青木籐兵衛尉

初城主:青木籐兵衛尉

遺 構:土塁、堀、土橋、郭

城 域:100m×50m

訪城日:2013.6.13

墓地への参道墓地に10台のスペースがある。

お城の概要

丸岡城は旧東海道の約200mほど南の丘陵地にあって、東約100mには支城と考えられる東丸岡城があり、このあたりは甲賀特有の “小城が連携しあって戦う” といった考え方で築城されているが、丸岡城は単郭方形の曲輪の虎口前面に小曲輪と共に土塁を配し、主曲輪虎口の強化が図られている。主曲輪の周囲の斜面にも曲輪状の地形が認められるが、削平状態が甘く城域がどこまでかははっきりしない。

西方約1kmには石部城、東方約3kmには三雲城があり、元亀争乱の中で織田方、あるいは六角方の改修の可能性が考えられる。

 丸岡城のすぐ横まで宅地が建ち並び、開発が進んでいるの気がかりである。

お城の歴史

丸岡城は、治承4年(1180)源頼朝に従って軍功を立てた青木籐兵衛尉が築城したと伝えられる。

 青木氏は甲賀五十三家の一家で、元亀年間(1570~1573)に織田信長に下り、天正13年(1585)には豊臣秀吉により領地を召し上げられている。

 真明寺を貞享のころ再興したのは四世俊応であるが、この僧は正福寺村(甲西町)の青木庄助の子であるが、正福寺にもまた青木氏がいた。『寛政重修諸家譜』(巻665)には「先祖近江国甲賀郡正福寺の人にして、もとは上山を称す。美作守家がとき、同国青木の庄に住せしより称号とす」とあり、「近江国正福寺の城に住し、佐々木承禎が旗下なり。そのゝち織田右京(信長)に属し、右府生害のゝち青木左京進某に焼討せられ、つゐに所領を奪わる(下略)」と註記されている。

 正福寺の青木氏も佐々木の幕下であった。菩提寺城、丸岡城(甲西町柑子袋)も青木氏で所領であった。このように青木氏は六角配下の土豪として当地方に勢力をもち、甲賀口を扼していたが、佐久間信盛らの来攻によって、菩提寺の青木氏、石部平野の青木氏も居城を捨て敗走したのである。

                               

北側は、ビューポント湖南市の野洲川沿いだ一望出来ます(城郭の北側は、無残にも山砂採取で破壊されている残念!)

         参道の北側が丸岡城でした!

 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城 

         本日の訪問、ありがとうございました!!感謝!!


最新の画像もっと見る