城郭探訪

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長浜城址 近江国 2013.

2013年10月05日 | 平城

 

 1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城を開始した。

同3・4年頃完成し入城。湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていた。城下町は小谷城下(滋賀県長浜市湖北町伊部)からそのまま移した。そのため、現在でも城下町には当時の面影や名残がある。秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所でもある。

本能寺の変後、清洲会議で長浜の支配権を獲得した柴田勝家の甥の柴田勝豊が入城するも、まもなく勝家と対立した秀吉に攻められ落城した。

賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が6年間在城し、内藤信成・信正が城主になるが1615年(元和元年)に廃城になり資材の大半は彦根城の築城に流用された。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられている。その他、長浜市内にある大通寺の台所門は長浜城の大手門を移したものと伝えられ、今でも矢尻の跡を見ることができる。同市内にある知善院の表門は、長浜城の搦手門を移したものと伝えられている。

現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにし模擬復元されたもので市立長浜城歴史博物館として運営されている。

 

 

近郊歴史スポット

 長浜市平方町の「徳勝寺」には浅井三代、久政、亮政、長政の墓がある。もとは小谷城の清水谷にあり浅井家の菩提寺。

秀吉が長浜在城中に側室に産ませた「秀勝」の位牌もあるほか、浅井長政とお市の方の木像も。

 同様に歴史を味わいたいという人にお勧めなのが「竹生島(ちくぶしま)」。伏見桃山城の束力使殿を移築した都久夫須麻神社本殿や、茶々によって移築された豊国廟に使用されたいた極楽門、秀吉が朝鮮出兵の折に使った御座船「日本丸」の船底骨組みを天井に使用した舟廊下などが見られる。そのほか浅井家によって寄進された弁財天など。お江も竹生島の氏子。長浜城から徒歩10分の長浜港から琵琶湖汽船乗船30分。

 長浜市内では妙法寺に、秀勝の墓がある。城では、なんといっても小谷城。そのほか、石田三成出生の地でもある石田家旧宅、跡姉川古戦場、横山城跡、国友鉄砲資料館、国友一貫斎の屋敷跡など。付近には日帰りで行けるスポットが多いため、長浜を旅のベースキャンプにするも良し。


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