城郭探訪

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今郷城(おばん城) 近江国(水口)

2016年02月05日 | 丘陵城

市民活動によって発見された城

お城のデータ

所在地:甲賀市(旧甲賀郡)水口町今郷 map:http://yahoo.jp/fMlJzn

別称:おばん城

目標地:丘陵下の新道・・御城山の土山マラソン標識・甲賀市土山 オー・デュ・プール

区 分:丘城 

標 高:215m  比高差:10m 

現 状:山林

遺 構:郭・土塁・堀・土橋

築城期:室町期

築城者:大野氏か?

駐車場:丘陵にため池の手前に駐車可

訪城日:2016.2.3

お城の概要

東海道土山宿と水口宿の中間【現在では、土山町と水口町の境】の丘陵、城はあった。丘陵の森の中に鉄塔が建つ、北から鉄塔で東に送電線がⅬ字敷かれている。この鉄塔が主郭に建つ!

 丘陵下の県道182号線添い。国道1号線と平行道、水口町今郷と土山町大野の境に丘陵に鉄塔が見えます。この鉄塔が主郭、貯水池の東側が城跡です。

地元の有志が整備しているが、東側の一部が未整備です

お城の歴史

  • 近江興地史略(享保19年3月15日(1734))に、「今郷城 水口地帯となる。井戸、濠残る」とある。
  • 甲賀郡志・・大正15年(1926)6月10日に「城址 大野村大字今郷、大字大野元標より12町を距つる北方字「おばん」の高地にあり。東方なるは東西30間南北25間を有し築堤尚在し高1間半乃至り2間、南隅に2個の古井あり、雑草汚水の中に生じ深さ2尺余あり。北方に濠跡、1間半乃至2間を在す。また西方に方20間の城址あり出丸の如し。その西は断崖にして高さ18間余その下は即ち周濠にして今は耕地となる。南方は総て断崖を削るが如く濠跡は現時溝と相連り田用水となる。東跡は雑樹灌奔業生し西跡は開墾して畑地となす。」と記す。
  • 私たちの今郷・・・昭和55年(1980)9月 今郷の北のおばん、小字の名、姥が淵の高台に東西2地区に分かれて城址があって、東の方は面積二反、高さ2間の築堤がり、西方は一反の広さでありました。だれの城か不明です。元弘・建武(1331~1336)のころ、嶬峨氏の城か、または甲賀武士大野中務入道が永享年間(1429~1441)大野城へ移る前に住んでいた城とも言われています。

 

甲賀郡大野村に大野宮内少輔の宅跡あり大屋敷と云う。宮内少輔は、六角氏に仕う、その子を右近大夫と称す。この大野氏は、甲賀二十一家中、山北九家の一なり。姓氏と家紋 より

ウィキペディアに

大野村(おおのむら)は滋賀県甲賀郡にあった村。現在の甲賀市土山町の西端、野洲川の右岸、国道1号の沿線および水口町今郷にあたる。

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、大野村・今郷村・徳原村・前野村・頓宮村・市場村の区域をもって発足。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 土山町・山内村・鮎河村と合併し、改めて土山町が発足。同日大野村廃止。

「江州佐々木南北諸氏帳」大野城主 大野宮内少輔義宗・

            大野 住 大野助十郎

            大野 住 後信長髄尾州知田郡住 大野佐馬亮

            大野 住 大野左近・・・・とある

今郷好日会(いまごうこうじつかい) : 安全で確実なプロの技 from 2015年4月12日 to their timeline.

おんば城(今郷城)の整備活動
伐倒方向にワイヤーで引張りながら安全第一で伐採する薪割りくらぶTSRさんの技を見てください。

山城の魅力

 かつての近江国(現在の滋賀県)は、東海道や中山道、北陸道など主要な街道が交わり、琵琶湖の水運もあって歴史上たびたび重要な役割を果たしており、「近江を制するものは天下を制す」といわれた。

 城では国宝の天守閣を持つ彦根城(彦根市)や、豪壮な天主があったとされる安土城(近江八幡市)などが注目されがちだが、山の地形を利用して土塁や堀切などを張り巡らせた城郭も独特の魅力がある。築年代や由来もはっきりしないものが多いが、地域の歴史を顧みる上での貴重な“遺産”だ。

 そうした山城跡を、歴史愛好家の住民グループなどが自治体とともに“再発見”に努める動きが県内で活発化している。

散策道などを整備

 「土塁を囲って、柵を置いたらどうだろう」「遊歩道があれば、歩きやすくて多くの人が来てくれるのでは」

 昨年12月中旬、旧東海道が通る県南部の甲賀市水口町今郷の山中で、郷土史研究やまちおこしを手がける住民グループ「今郷好日会」のメンバーらが倒木を切ったり、草刈りをしたりしていた。

 同会は昨年4月、メンバーの1人が所有するこの山林で、高い土塁と深い堀に囲まれた「単核方形」の城館跡を発見した。

 甲賀市内には、こうした城館が約200あるとされるが、行政機関などによる調査でほとんどが発掘しつくされ、「もう新たな城館はない」といわれていた。そんな中での“大発見”。メンバーらは専門家のアドバイスを受けながら調査を続け、遊歩道や柵を設けて観光スポットにしようと整備を進めている。

 甲賀の城館は、甲賀忍者との関わりも指摘されるだけに観光資源としては有望だ。同会の福野憲二事務局長(59)は「地域の宝として全国発信したい」と力を込める。

yd_sankei3.jpg 城館跡の周辺整備を検討する「今郷好日会」のメンバー

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 戦国時代(16世紀頃)の城館跡とみられる土塁や堀が、水口町今郷(いまごう)の小高い山の中で発見された。
 方形の土塁などの特徴から、甲賀衆の集落を守るために造られた「今郷城」跡とみられるという。[産経新聞・MSN]

参考資料:甲賀郡志、近江興地志略、私たちの今郷、姓氏と家紋・ウィキペディア・江州佐々木南北諸氏帳・今郷好日会(facebook)・ITmedia ビジネスオンライン > 過疎化の解決に:「近江を制するものは天下を制す」 埋もれた山城を発掘して“地方創生”に (1/3)

       本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!


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