城郭探訪

yamaziro

鷹尾山城 近江国(甲賀・土山)

2014年04月15日 | 平山城
鮎河館・鷹尾山城・(仮称)中ノ尾山城・鮎河山城  現地見学会(南北朝の山城探索)                                                                          
 
鮎河館、★1   平地城館の址「石碑が残る」                                                                                    高尾山城★★★3 戦国期の遺構「奇妙な畝堀」                                                                                     中ノ尾城★★2  南北朝の遺構「古式の城郭」か?                                                                               鮎河山城★★★3 戦国期の遺構「横堀が見事」                                                                                  総合★★★★★★★★★9

付録【新城発見踏査に同行】見学

日 時 413() 414() 両日同内容                                                                               定 員 約20名(不定) 少雨決行                                                                                                                                                                講師 長谷川博美氏 (愛知中世城郭研究会)                                                                                                                                                内容 鮎河館、高尾山城、中ノ尾城、鮎河山城見学                                                                              集合 土山歴史民俗資料館(丘陵上駐車場/トイレ有)                                                                                          時間 10時〜16時 各自弁当水筒持参
主催 米原市文化協会 教養部 城歩会                                                                                                    Eメールwwmy29831@maia.eonet.ne.jp 長谷川氏

集合場所で事前「座講」

鮎河の城址探訪 

  近江には中世の城館跡が大変多く、約1300ヶ所といわれていますが、特に甲賀郡はそれが密集している地域で約300ヶ所もあります。

これは甲賀五十三家と呼ばれるように主家、分家、親戚などからなる同名中惣(地侍の運命共同体のようなもの)が多数存在したからです。土山町には現在判っている城館跡だけで土山城址、音羽野城址、山中城址、頓宮城址、黒川城址、鮎河城址、それに大河原氏砦址と7ヶ所もありますが、そのうち鮎河地域に3ヶ所もあります。山中城址以外はいずれも頓宮氏の同名中惣と思われます。

城といっても、近世の天守閣をもつ大きなものではなく、土塁のようなもので石垣も一部使われていたようです。

鷹(高)尾山城へ  戦国期の遺構「奇妙な畝堀」  

地蔵堂 裏山

別 名:鷹尾山の砦(鷹尾城)

所在地:甲賀市土山町鮎河 map:http://yahoo.jp/rNtgFb

遺構等:土塁、畝状空堀郡、郭・腰郭、

標 高:408m 比高差:約60m

現状:地蔵堂・墓地の裏手の山林

築城者:頓宮弥九郎

築城期:戦国期に黒川氏が改修したカ?

歴代城主:頓宮氏

区分:山城

訪城日:2014.4.13

南北朝時代に南朝に属していた頓宮弥九郎(鮎河弥九郎)が南朝軍反撃の拠点とした城です。

建武5年(1338)、頓宮弥九郎は兵を挙げ鮎河城に立て篭ったが、北朝軍の佐々木秀綱に従った山中橘六、小佐治右衛門、美濃部兵衛三郎らの軍に攻められ落城した。

鮎河城の北にある鷲尾城は当時の砦跡と伝えられる。(現地説明板より)

  近江には中世の城館跡が大変多く、約1300ヶ所以上といわれていますが、特に甲賀郡はそれが密集している地域で約300ヶ所もあります。     これは甲賀五十三家と呼ばれるように主家、分家、親戚などからなる同名中惣(地侍の運命共同体のようなもの)が多数存在したからです。土山町には現在判っている城館跡だけで土山城址、音羽野城址、山中城址、頓宮城址、黒川城址、鮎河城址、それに大河原氏砦址と7ヶ所もありますが、そのうち鮎河地域に3ヶ所もあります。山中城址以外はいずれも頓宮氏の同名中惣と思われます。

 

城といっても、近世の天守閣をもつ大きなものではなく、土塁のようなもので石垣も一部使われていたようです。

 南北朝の頃、南朝に属していた頓宮肥後弥九郎が反撃の拠点として築いた要塞跡で、ここで二度にわたり北朝側と戦いましたが、いずれも武運つたなく敗れ去った。近くにある鷹尾山にも砦があり鷹尾城とも呼ばれた。

東の切通しに下りました

鷹尾山城:長谷川博美氏の踏査図(2014.1.30)

甲賀市史7巻(甲賀の城)の概要図

県道9号沿い「鮎川小学校」から300m程山の麓が館跡の北の鷹尾山。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、長谷川博美現地見学会(説明・レジュメ)

本日も訪問、ありがとうございました

 


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