お城のデータ
所在地:大津市平津2丁目5-1(滋賀大学教育学部) map:http://yahoo.jp/K3MLGH http://yahoo.jp/sZJQBF
現 状::大学敷地周辺
遺 構:不明
区 分:平城
築城期:
築城者:
城 主:井上越前守(重尚)の屋敷
目標地:滋賀大学教育学部
駐車場:滋賀大学教育学部
訪城日:2014.7.24
大津のかんきょう宝箱より現在、屋敷跡の南方に古池と呼ばれる池があるが、これが蓮池にあたるのである。
お城の概要
『近江輿地志略』には地元の古老の話がのせられているが、それによると井上越前守(重尚)の屋敷跡は「燕子花の池」というところにあって、昔はその池を蓮池といったとある。
現在、屋敷跡の南方に古池と呼ばれる池があるが、これが蓮池にあたるのである。
滋賀大学教育学部(平津2丁目5-1)正門を入った右手の丘の付近、現在の平津ヶ丘寮の地に立つと、寮を含む滋賀大学全体が、いかにも城山と呼ばれるような台地の上に位置することがわかる。東方(瀬田川の方向)は、いまは雑木で見通しが悪いが、北側には石山城跡とされる関西日本電気の石山寮や、瀬田川の両岸が一望できる。瀬田川を上下する兵船の監視などには、格好の地であったにちがいない。
歴 史
明治十四年(1881)の『平津村誌』には、井上越前守重尚の砦跡として記されています。重尚は石山寺奉行を努めていましたが織田信長に追われ京都へ出奔しました。城は約300坪高さ1.8mの土塁に囲まれていました。
享保十九年(1734)成立の『近江輿地志略』には、井上越前守の屋敷跡とあり、明治十四年(1881)の『平津村誌』には、井上越前守重尚の砦跡として記されている。
井上氏の砦跡は、滋賀大学教育学部(平津二丁目)の正門を入り、坂道をのぼった右手あたりで、現在は同大学平津ヶ丘寮がたっているところという。その地形はおよそ三反(約三千平方メートル)の広さの長方形の平地が、高さ約1.8メートルの土塁でかこまれ、東と西の二ヶ所に、出入り口らしき切れ込みがあつた。
土塁の外周には堀がめぐり、部分的には常時水のたまっているところもあって、堀の外側は坂となって下方に続いていたという。【平津城跡】HPより拝借(参考文献大津市史編纂室発行 『大津の城』取材 足立隆夫)
駐車場を拝借http://yahoo.jp/iwyxgQ
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、『大津の城』、」大津のかんきょう宝箱
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