別 名 :田中館
現 状:八太神社・田地・宅地
城
標 高:84m 比高差:0m
遺 構:曲郭・土塁・空堀
築城期:室町期
築城者:田中荘司
播磨田城は、播磨田地区にある八太神社東側の水田から東側の宅地一帯に築かれていた。
発掘調査の結果、室町時代の遺跡であると確認されている。播磨田町は、近くに幹線道路が走っているため宅地化・市街地化が進んでいますが、播磨田城址一帯は、宅地化で露出遺構は田地の一部を残して、新興住宅地に平成22年に消失した。
小字古城と呼ばれた住宅地の一画に、土塁の痕跡と思しき土盛りが残っていた。また、古城と八太神社の間の田地は、北を除く三方を土塁状の畦と堀状の水路が巡っており、城郭遺構も消失。この部分は、北にもう少し広い方形に近い曲輪であったと推測され、先の字古城の土塁と合わせると、最低2つの曲輪をもった城であったが。
水田と民家の間に土塁が残存していた、お城。
城の遺構は、水田と民家の間には低いが土塁が残存していた。 また、資料によれば東側の住宅地にも土塁が残存しているようだが、民家敷地内で確認することは出来なかった。
歴 史
播磨田城は、築城年代は定かでないが500~600年前の室町期、佐々木氏の家臣田中氏によって築かれた。
八太神社の東に小字古城と呼ばれる場所があり、土塁の痕跡が見受けられる。『近江輿地志略』によれば、播磨田村には田中荘司と称する佐々木氏家士の屋舗があり、田中荘司は播磨田のほか吉身、守山、金ヶ森、市三宅に所領をもっていたとある。播磨田城はこの田中荘司の城館と推測されるが、詳細は不明である。
播磨田町にはこの他に田中館という城館名が伝わっているが、田中荘司の館という意味で播磨田城と同じものを指すと、滋賀県安土城郭調査研究所発行の『淡海の城』などでは推定している。
延命地蔵横・・に駐車
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、守山城物語
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!
播磨田城遺跡発掘調査報告 2010年-守山市
宅地造成前・・・平成22年には、土塁・堀・曲郭跡が残存!
播磨田町字宮前地先で、分譲住宅用地造成工事に伴い、約515 ㎡を対象に、平成22 年6 月24 日から同年8月10 日までの期間をもって発掘調査を実施しました。
http://www.city.moriyama.lg.jp/maizobunkazai/documents/maibuncenter_8_03.pdf