城郭探訪

yamaziro

畑村城 近江国(甲賀・水口)

2014年03月10日 | 平山城

 

住所 :甲賀市水口町春日字伴城     (旧:甲賀郡水口町春日) Map:http://yahoo.jp/G__MRP

区 分:丘城  比高:30m 

現在の状態 :山林                                                                                   築城者:伴大隅守資景                                                                                        時 代/人物: 室町期/城主は、伴大隅守資景  伴上野介資光等 
遺構 :曲輪・土塁・竪堀                                                                                 形式 :平山城 最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:5分
撮影・訪問日:2014.3.9

畑村城  大字春日字伴城 西春日の南東に位置する伴城山上。土盛高い所は約4m内面積 800㎡

城の遺構は甲賀典型的な単郭方形を主体とした館城です。丘陵先端部を削り主郭が作られたもので、丘陵尾根側は削り残しの土塁が5m以上あるところもあります。先端部の外側には堀跡と思われる窪みと郭跡なのか平坦地も認められます。

 

畑村城は、甲賀市の北端、蒲生郡日野町と接する春日集落の南方に所在する。

付近は四方から山塊が迫る狭い谷部に街道が走るとともに集落が営まれていて、城は街道を望む丘陵先端部の通称「伴城山」に築かれている。

北側から登城すると、すぐに溜池が現れ、それに沿うように通路を進み、やがて虎口bに至る。虎口北側には竪堀が掘られている。

地形を生かした造りなのか、主郭は歪な形に切り込んだ約25m四方の削平地で、東方街道側に削り残しの土塁を設けている。東辺以外の山側は切岸のみ、しかしさらに西側は浅い堀切状のcがあり、主郭間はおおよそ太い土塁のような格好になっている。

主郭南東隅にも虎口aが開口しているが、これは防御効果を減少させるような開口部に見える。

畑村城の名は江戸期までの村名にちなむようだ。

歴史

伴城山という地名から伴氏との関わりが考えられる。

大字春日   住家109戸
    春日は畑村といっていましたが、明治7年(1874)に現在の春日に改称しました。永保3年(1083)以来伴氏の所領で、建武4年(1337)伴大隅守資景が伴城山に畑村城を築きました。慶長5年(1600)以後は伴上野介資光の領地となり畑村と八田村を所領していました。慶長7年(1602)羽柴若狭少将勝俊、慶長10年(1605)鳥居彦左衛門、慶長13年(1608)松平隠岐守、石川主膳頭 、内藤紀伊守に代々交代しました。
  寛文3年(1663)以来幕府代官の小堀仁右衛門猪飼治郎兵衛、野田源左衛門中根弥治助等の代官が管治しました。天和2年(1682)加藤明友が石見より水口に転封となり水口藩が立藩され 、以後水口藩の領地となりました。藩主は一時期鳥居氏に代わっていましたが正徳2年 (1712)それまでの藩主鳥居忠英に替わって下野壬生より、加藤和泉守嘉矩が水口藩主として転封になり再び、加藤氏の領地となりました。
   明治維新後、明治4年(1871)の廃藩置県で水口県に属することになり、大津県所属を経てその翌明治5年(1872)滋賀県所属となりました。この時滋賀県は12郡に分けられましたが、甲賀郡はさらに10区に分けられ、畑村(明治7年(1874)春日村と改称)は八田、下山、伴中山、上、下、堂(明治8年(1875)合併して山村となる)の伴谷地区の各村と下田村とともに甲賀郡第2区に入りました。各村の戸籍事務・行政は民選の戸長が担当しました。明治12年(1879)区制は 廃止されましたが明治18年(1885)には、旧甲賀郡第2区の6ヵ村を所管する連合戸長役場が、区域の中心地である春日村に設置されました。明治22年(1889) 4月1日の市町村制施行により、春日連合戸長役場管内から下田村が分離独立し、八田、春日、下山、伴中山、山の各村は合併し、伴谷村が誕生、初代村長には春日の西田忠兵衛さんが選ばれ、村役場は伴中山に設置されました。
    春日地区の小字 52小字
      猪ヶ谷 外輪 阪ノ橋 新打ヶ谷 山女谷 大砂溜 田首 兎谷 川窪 安養坊 平田 杉谷  泓 芳谷 後谷 振り合 内垣内 名及出 岨出 円山 大谷 囲碁木 峯道 大平  田中出   平林 寺堤 野田 清水 坊谷 竹ノ下 四ッ辻 稲葉 松ヶ崎 地蔵前 瀕谷 宮ヶ谷   四方谷 西出 谷口 伴城 安垣 杭原 西裏 谷田 養津喰 向出 藤谷 阪ノ浦 灰坂   高松 薑谷

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)

本日も訪問、ありがとうございました


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