城郭探訪

yamaziro

高山城 近江国(甲賀・水口)

2014年04月27日 | 平山城

所在地:甲賀市水口町高山 map:http://yahoo.jp/gYUTRO 

    旧:甲賀郡水口町

目標地点:笹山神社

区 分:山城  標高:230m 比高差:80m 

現 状:山林

遺 構:郭・横堀・竪堀

築城期:室町期

築城者:高山氏

駐車場から主郭までの所要時間:麓から10分

訪城日:2014.4.25

国道307の三大寺北の信号から県道4号線に入ります。600m先の左手の山が城址ですが、

ここから入城、西側へ10m程で城域です県道4号沿いの小公園西側に平削地・・・そして切岸が!主郭で三角点。最高所!

 山頂はけっこう広い平削地ですが城郭というより詰め城。この平削地を巡るように窪地が、空堀のようには見えず、武者隠しの遺構か?

東側は公園化され林道が付けられ、一部土塁が残る。



歴   史

高山氏の本城とされます。ここの高山氏は高山右近の先祖という言い伝えもあるようですが

★右近の先祖

 一説によると右近の先祖は、今の滋賀県甲賀郡水口町高山まで溯ることができると言う。ここに古くから藤原の姓を名乗る一族が居住し、後に高山と名乗るようになった。
 その子孫、高山源太左衛門は長亨の乱(1487年)に戦功があったため甲賀五三家の一つに数えられている。その高山家の支流が摂津の国高山(現在の大阪府三島郡)に城を構えたとされ、右近はそこで産まれた。甲賀五三家には、後の高槻城主で右近と親しかった和田惟政の先祖もいる事実はこの説を裏付けるものであろう。

 別の説では、桓武平氏平重綱の子高山二郎重遠を祖とする系図がある。同系図によれば、『太平記』には高山遠江守の名が記され、新田十六騎の一人であった。越前守範重なる人物は武蔵野合戦(1352年)で将軍足利尊氏方に属して功があり、上野国那波郡のうちに所領を賜った。その子孫重利(右近の祖父)が摂津国茨木に移住したとされる。

 一方、摂津高山の豪族が、実権を握って領主になった際、当時の慣例により、その地名を自分の姓としたとも考えられる。

 摂津において高山の名が現れるのは、15世紀半ばである。高山氏は勝尾寺(現在も大阪府箕面市に現存する。)の代官であった。勝尾寺の記録によると、1458年に「高山入道」という代官がいた。この領地をめぐって、寺と高山氏の確執が続き、ついに高山氏が権力を握った。

遠景(東側より)

 

 

 

県道4号で分断された出丸!

高山集落の笹山神社の西の県道4号線沿い・・・東側

 

登城口の公園・県道4号越しの林(出丸カ?)

高山集落の笹山神社

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!

 


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