お城の概要
所在地:野洲市小比江 (旧中主町小比江) map:http://yahoo.jp/tfLmcK
現 状:畑地ほか
区 分:平城
遺 構:墓碑・堀跡
築城期:
築城者:
目標地:小比江バス停
訪城日:2014.6.15
お城の概要
調査中
歴 史
調査中
歴 史
江戸期の上田家の知行地
初代・重秀が寛永十二年に賜った知行所は、近江国野洲郡内八ヶ村でした。現在、守山市域に含まれる森川原、服部、立花、小浜、中主町に含まれる木部、比江、小比江、吉川の各村で、そのうち、木部、小比江は他の領主と相給でした。
高級旗本上田家5000石。 初代・重秀が寛永十二年に賜った知行所は、近江国野洲郡内八ヶ村でした。
現在、守山市域に含まれる森川原、服部、立花、小浜、中主町に含まれる木部、比江、小比江、吉川の各村で、そのうち、木部、小比江は他の領主と相給でした。この辺りは、大名領や旗本の知行地が錯綜していた土地でしたが、拝領高が五千石、三千石、五百石というように整数で表されているのが特徴でした。
別表の上田氏の知行所でも、斗、升、合まで細かい数を組み合わせて整数に仕上げていることに驚かされます。 また、幕末にはこの辺りの開発が進んで、表高に比べ実高が増加していました。上田氏場合でも天保二年の時点で、実高が五千四百四十石ほどになっており、四百四拾石の剰余がありました。軍役、助郷役をはじめ土木工事のに人夫などは、表高によって負担することになっていたので、領主、村人にとつても表高をずっと据え置くことは有利でした。そたのめ、この辺りでは新規開発された田畑を帳簿外としておく例が多くありました。
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知行地 |
寛永高帳 |
元禄郷張 |
天保郷帳 |
旧高旧領帳 |
近江国野洲郡 |
森川原 |
555.213 |
555.213 |
555.213 |
555.213 |
服部 |
825.753 |
814.000 |
935.785 |
935.785 |
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立花 |
369.328 |
369.328 |
370.324 |
370.324 |
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小浜 |
586.250 |
586.250 |
587.470 |
587.470 |
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木部の内 |
703.922 |
703.922 |
703.922 |
703.922 |
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比江 |
1061.740 |
1061.740 |
1061.740 |
1127.346 |
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小比江の内 |
164.154 |
182.340 |
182.340 |
182.340 |
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吉川 |
733.640 |
744.457 |
1043.000 |
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参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、菩提寺歴史散歩
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!