城郭探訪

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五番領(ごばんりょう)下ノ城   近江国(安曇川)

2016年04月08日 | 平城

お城のデータ

所座地:高島市(高島郡)安曇川町中野773  map:http://yahoo.jp/8S9Wvg

現 状:竹藪地

区 分:平城

築城期:

築城者:山崎氏

遺 構:土塁・廓・堀・現地案内板

目標地:広瀬橋バス停・中野バス停の中間の県道

駐車場:バス停の中間県道に路上駐車

訪城日:2016.4.2

お城の概要

五番領城より、北東に8.5kmの県道23から南西へ太山寺集落への市道を南西200mの道脇に(安曇川川町中野)の位置する。太山寺城を見学に行く時、偶然看板を発見して、写真を撮った。竹藪の中は遺構は廓・土塁・堀痕は残るが、半分は道路の下か?

お城の歴史

歴史は不詳だが、五番領城の名がついているには、山崎氏に係わる城館であろう。

       或いは、五番領城の支城か?

高島七頭 

近江国は六角氏、京極氏・大原氏そして高島氏と佐々木信綱を祖とする佐々木一族が勢力を持った。

このうち嘉禎元年(1235)に高島郡田中郷の地頭となった佐々木高信を祖とする一族が各地に土着し、惣領家は清水山城を居城とした高島氏(越中氏)である。

高島七頭はこの高島氏を中心として、平井(能登氏)、朽木、永田、横山、田中、山崎氏を総称したものである。唯一山崎氏のみ元佐々木愛智流と祖の一族である。

 

【五番領(ごばんりょう)城】について 『日本城郭体系 11』によりますと、

所在地は「高島郡安曇川町五番領字西良」、創築年代は「応安二年(正平二十四、一三六九)」、創建者は「山崎兵庫頭」、形式は「平城」です。

城の歴史は「(中略)五番領城に関する唯一の文献ともいうべき『近江輿地志略』には「五番領村に在り。平城也。山崎兵庫頭居住の址なり」と記されているのみで五番領城が具体的に村の中のどういう所にあったのかは、今日までほとんど知られることはなかった。

また『高島郡志』にも城のことは書かれていても、その位置については触れられていない。

ところが江戸中期から明治初年にかけての「五番領村絵図」(区有)をみると、その中に城の一部と推定される堀が描かれたものが二点ばかりあるのである。

一つは享保十七年(1732)に五番領村が幕府の直轄地になった際に作られた絵図を、元文五年(1740)に再度写して役所へ納めた時のもの。

もう一つは、寛保三年(1743)に作られたものである。

参考資料:> レファレンス共同データベース事例詳細、

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